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第25話「ひまわりランドの、観覧車」

八月九日。


目が覚めて、引き出しを開けた。


『バッテリー残量 8%』


『残り時間   4日』


「……はい、減ってる」


もう、驚かなくなった。


驚かなくなったのが、いちばんこわい。


でも、今日は、予定がある。


母さんと、お出かけだ。


鏡を見た。


無精ひげと、目の下のクマ。


あいかわらずの、37歳の顔が、ちょっと寝ぐせをつけて、こっちを見ている。


半ズボンは、あいかわらず、パツパツだった。


この格好で、母さんと、お出かけだ。


「ヒロキー! ごはんー!」


「はーい!」


朝ごはんのとき、ミキが、ぷくっとほっぺをふくらませた。


「わたしも、行きたい」


「ミキは、きょう、お父さんと、おるすばん」


母さんが、やさしく言った。


「えー! ずるい!」


「ずるくないの。ミキには、あした、とくべつな日を、つくるから」


「とくべつ?」


「ふたりで、パンケーキ、焼きましょう」


「やったー!」


ミキの機嫌が、一瞬で、なおった。


ちょろい。


でも、かわいい。


父さんが、新聞のかげから、こっそり、母さんに、うなずいた。


母さんも、小さく、うなずき返した。


その、無言のやりとりが、なんだか、ずっと昔から続いているみたいで、胸の奥が、ちょっと、あったかくなった。


バスに、乗った。


母さんは、麦わら帽子をかぶって、水色のブラウスを着ていた。


窓際に、ならんで、座る。


オレは、座席がせまくて、ひざが、前の座席に、ぎりぎり、当たっている。


足を、ごそごそ、動かしていたら、母さんに、くすっと、笑われた。


「ヒロキ、足、ごそごそ」


「勝手に、なる」


「ふふ。小さいころと、おんなじ」


「…………」


おんなじ、か。


37歳のオレは、もう、どこにも、いない。


そう思ったら、窓の外の景色が、ちょっとだけ、にじんだ。


「母さん、どこ行くの?」


「ついてからの、おたのしみ」


「ヒントは?」


「うーん。高いところ」


「高いところ?」


「それと、ぐるぐる」


「ぐるぐる?」


「ひみつ」


母さんは、にやっと、笑った。


その顔が、いたずらっ子みたいで、オレは、ふきだした。


着いたのは、駅前の、古い、デパートだった。


『ひまわりデパート』


大きな看板。


くすんだ、黄色の、ひまわりの、マーク。


エレベーターに、乗って、いちばん上の階の、ボタンを、押す。


屋上。


ぽーん、と、扉が、ひらいた。


夏の、光が、ぱあっと、飛びこんできた。


「…………うわ」


屋上遊園地だった。


小さな、メリーゴーランド。


パンダの形の、百円で動く乗り物。


ソフトクリームの、売店。


そして、いちばん奥に。


小さな、観覧車。


ゴンドラが、八つしか、ない。


でも、ちゃんと、ゆっくり、まわっている。


「ひまわりランド」


アーチに、書いてある。


「…………母さん、ここ」


「そう。ひまわりランド」


母さんは、アーチを、見上げて、目を、細めた。


「母さんの、思い出の場所なの」


「思い出?」


「あとで、話すわ。まず、いろいろ、乗りましょう」


「え、母さんも、乗るの?」


「もちろん」


母さんは、オレの手を、ぎゅっとにぎった。


その手は、あったかかった。


今日は、冷たく、なかった。


まず、パンダに、乗った。


百円を入れると、パンダが、ぶるぶる、ふるえて、ゆっくり、前後に、ゆれる。


「ヒロキ、手、ふって」


「やだ」


「ふって」


「…………」


オレは、パンダの上から、母さんに、手を、ふった。


母さんは、ベンチに、座って、小さい、カメラを、かまえていた。


かしゃっ。


撮られた。


小5の顔で、パンダに、乗って、手を、ふっている、オレ。


中身は、37歳。


でも、もう、どっちでも、いいや、と思えた。


次は、ミニ汽車。


ちっちゃい、機関車が、ぐるぐる、まわる。


子どもたちが、ぎっしり、乗っている。


オレは、いちばん、うしろの、貨車に、ちょこんと、座った。


前の、小さい子が、ふりむいて、言った。


「おにいちゃん、おっきいね」


「え」


「ぼくより、おっきい」


「あ、うん。5年生だから」


「ごねんせい! すごい!」


その子の目が、きらきらした。


オレは、ちょっと、えらい気分に、なった。


37歳のときは、誰にも、「すごい」なんて、言われなかったのに。


汽車を、おりたら、母さんが、にこにこしていた。


「ヒロキ、お兄ちゃん、してたわね」


「見てたの」


「見てたわよ。ぜんぶ」


ぜんぶ。


その言葉が、胸に、ぽとんと、落ちた。


ソフトクリームを、ふたりで、ひとつ、買った。


母さんは、バニラ。


オレは、半分、ちょうだいした。


ベンチに、座って、なめる。


「冷たい」


「夏だもの」


「母さん、食べて、だいじょうぶなの?」


「だいじょうぶ。今日は、特別」


母さんは、ソフトクリームを、ぺろっと、なめた。


ほっぺに、ちょっとだけ、クリームが、ついた。


「母さん、ついてる」


「え、どこ」


「ここ」


オレは、ハンカチで、そっと、ふいた。


母さんは、目を、まるくして、それから、やさしく、笑った。


「ヒロキに、ふいてもらっちゃった」


「うん」


「うれしいわ」


母さんは、ソフトクリームを、ちびちび、なめながら、遠くの、観覧車を、見ていた。


「ヒロキ」


「うん」


「母さんね、ここで、お父さんに、プロポーズ、されたの」


「えっ」


「あの、観覧車の、てっぺんで」


オレは、ソフトクリームを、落としそうに、なった。


「ぬか床の、あとに?」


「ぬか床の、あとに」


「ぬか床で、決めたんじゃ、なかったの?」


「ぬか床で、ほぼ、決まってたけど、ちゃんと、言ってほしかったのよ」


母さんは、ふふっと、笑った。


「お父さんね、ゴンドラの中で、ガチガチに、緊張して、てっぺんに、着く前に、言っちゃったの」


「てっぺんじゃ、ないの?」


「ぜんぜん。まだ、三分の一くらい」


「だめじゃん、父さん」


「だめよねえ」


母さんは、おなかを、かかえて、笑った。


オレも、笑った。


「それでね」


母さんは、声を、ちょっと、おとした。


「その日、母さん、白い、ワンピースを、着ていたの」


「…………!」


息が、止まった。


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