第23話 後編
夜。
財布を、ひらく。
名刺入れは、ガムテープでも、もう、限界で、ついに、別の、ファイルケースに、入れていた。
分厚い、バインダーみたいに、なっている。
いちばん下の、行を、探す。
『家庭料理教室「焦げ目の味」 主宰 兼務』
「…………焦げ目」
笑った。
笑って、そのあと、胸が、ぎゅっと、なった。
名刺の、裏の、手書き。
『最初は失敗でも、いい。それが、うちの味になる』
母さんの、言葉だ。
スマホを、ひらく。
ギャラリー。
一番上の、新しい写真。
小さな、台所。
エプロン姿の、オレが、フライパンの前に、立っている。
その、横で、ミキの、娘が、背伸びして、のぞきこんでいる。
テーブルの上の、お皿には、ちょっと、焦げた、卵焼き。
メモ。
『姪っ子に、卵焼き教室。「おじちゃん、焦げてるよ」「それが、うちの、味なんだよ」……母さんに、見せたかった』
「…………見せたかった」
その言葉の、重さが、胸に、のしかかった。
写真の、すみっこ。
台所の、窓の、外に、白い、ワンピースの、人影が、立っていた。
でも、今回は、これまでと、ちがった。
顔が、ほんの少し、見えた。
笑って、いた。
オレを、見て、笑って、いた。
長い髪を、ひとつに、まとめて。
オレは、画面を、拡大した。
その人の、顔の、輪郭は、ぼやけている。
でも、笑った、ときの、目じりの、しわの、寄り方が。
「…………母さん?」
声が、ふるえた。
白い、ワンピースの、人は、母さんなのか。
でも、母さんは、エプロン姿の、人だ。
白い、カーディガンは、着ていたけれど。
ワンピースは。
「…………母さんの、若い頃の、写真」
思い出した。
居間の、箪笥の、上に、飾ってある、結婚式の、前に、撮ったという、母さんの、写真。
白い、ワンピースを、着て、長い髪を、ひとつに、まとめて。
「…………まさか」
ここまで、言いかけて、やめた。
まだ、決めつけちゃ、だめだ。
オレは、スマホを、伏せた。
財布の、ポケットから、新しい、紙が、出てきた。
小さな、レシピカード。
母さんの、字だった。
『卵焼き 卵3個 砂糖大さじ2 しょうゆたらーっ 焦げたら、それが、うちの味』
その、いちばん下に、ボールペンの、字で、書き足されている。
オレの、字だった。
『母さん、焦がしても、いいんだよ。 ヒロキ』
「…………」
涙が、ぽとり、と、カードに、落ちた。
でも、今回は、拭かなかった。
そのまま、乾くまで、じっと、持っていた。
廊下の、むこうで、母さんと、ミキの、声が、した。
「おかあさん、あしたも、プリン、たべたい」
「ええ、いいわよ」
「ありがとう!」
「どういたしまして」
母さんの、声が、やさしかった。
でも、よく、聞くと、その声の、奥に、ほんの少し、息の、ぜえぜえ、いう音が、まじっていた。
オレは、布団に、もぐった。
天井を、見た。
あと、六日。
そのとき。
机の、引き出しが、ブブッと、鳴った。
スマホの、バイブ。
オレは、そっと、引き出しを、あけた。
画面に、通知が、出ていた。
『バッテリー残量 10%』
「…………え」
ずっと、100%のままだった、はずなのに。
十パーセント。
オレは、息を、のんだ。
そして、その、通知の、下に、もう一行。
『残り時間 6日』
「…………」
スマホが、数えていた。
オレの、ここに、いられる、時間を。




