↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
39/63

第21話 後編

引き出しの、奥から、小さな、ノートが、出てきた。


表紙に、でかい字で、『なつやすみ にっき』。


オレは、ページを、めくった。


7月28日。


『きょうは、お母さんと、かき氷を、たべました。お母さんが、いちごで、ぼくが、メロンでした。』


8月3日。


『きょうは、お母さんと、プールに、行きました。お母さんは、泳げないのに、浮き輪で、ぷかぷかしていました。』


8月10日。


『お母さんと、花火を、しました。線香花火が、さいごまで、おちなかったです。』


どれも、母さんの話ばかりだった。


そして、8月13日の、ページ。


そこで、日記は、ぷつりと、止まっていた。


白紙。


その次の、ページも、白紙。


最後まで、白紙。


「…………」


指が、ふるえた。


8月13日。


そうだ。


この日だ。


母さんが。


「ヒロキ」


うしろから、声がした。


ふりむくと、教室の入り口に、母さんが、立っていた。


エプロンじゃなくて、あの、白い、カーディガン。


夕日が、背中から、さして、輪郭が、ふわっと、光っている。


「母さん……なんで、学校に」


「迎えに、きたのよ」


「…………」


「ヒロキが、日記を、見つけたから」


母さんは、静かに、教室に、入ってきた。


床に、足音が、しない。


あれ。


足音、しない。


「母さん」


「なあに」


「この日記、8月13日で、止まってる」


「ええ」


「…………母さんは、あの日、どうしたの」


母さんは、ゆっくり、オレの前に、座った。


そして、そっと、日記の、白紙の、ページを、なでた。


「ヒロキ。母さんは、ね」


「うん」


「この日、お医者さんに、行ったの」


胸が、どくん、と、鳴った。


「そこで、言われたの。ちょっと、むずかしい病気で、これから、長く入院することになるって」


「…………」


「でも、まだ、子どもに、言えなかった。夏休みの、思い出を、こわしたく、なくて」


母さんは、困ったように、笑った。


「だから、日記が、止まったのは、ヒロキの、せいじゃ、ないのよ」


「…………」


「ヒロキは、その日から、母さんの、ことを、見ないふりを、したのね」


オレは、声が、出なかった。


そうだ。


前のオレは、日記を、書かなくなった。


母さんの顔を、見るのが、こわかった。


母さんが、痩せていく、のが、こわかった。


だから、ゲームに、逃げて、友達と、遊んで、母さんを、見ないようにした。


「…………ごめん」


「謝らないで」


「でも、オレ」


「ヒロキ。聞いて」


母さんの、手が、オレの、手を、そっと、包んだ。


冷たかった。


いつもの、あったかい手じゃ、なかった。


「あなたが、いま、ここに、来た理由、少しずつ、わかってきたでしょう」


「…………」


「あなたは、後悔を、返しに、来たの。でも、ほんとうに、返したかったのは、ここ」


母さんは、白紙の、ページを、指さした。


「あなたが、母さんを、見られなかった、夏よ」


教室の、窓の、外で、ヒグラシが、急に、鳴きやんだ。


世界が、しーんと、した。


オレは、日記を、ぎゅっと、胸に、抱いた。


「母さん」


「うん」


「オレ、まだ、書けないよ」


「いいのよ」


「でも、書かなきゃ、いけない」


「ええ。書くのは、あなたの、時間で、いいわ」


母さんは、そっと、笑った。


「でも、ヒロキ。もうすぐ、8月13日が、くる」


「…………」


「そのとき、あなたは、選ぶの」


母さんの輪郭が、夕日に、溶けるように、ぼやけた。


「母さんを、ちゃんと、見るか。それとも、また、見ないふりを、するか」


「…………母さん!」


声を出した瞬間、母さんは、いなかった。


教室は、ただ、夕日で、真っ赤だった。


床に、日記だけが、残っていた。


家に、帰って、財布を、ひらいた。


名刺入れの、タコ糸を、ほどく。


いちばん下の、行を、探す。


『学習塾「ありがとう塾」 塾長 兼務』


なんだよこれ。


でも、笑う気に、なれなかった。


名刺の、裏には、手書きで、一行。


『夏休みの、最後の日には、必ず、「日記」を書かせています』


「…………」


涙が、ぽとり、と、名刺に、落ちた。


スマホを、ひらいた。


ギャラリー。


一番上の、新しい写真。


塾の、教室。


子どもたちが、机に、向かって、一生懸命、日記を、書いている。


その、うしろで、オレが、にこにこ、見守っている。


黒板に、でっかく、書いてある。


『ありがとうを、だれかに、伝えよう』


写真の、下の、メモ。


『今日の日記の、お題。「お母さんに、言えなかったこと」。……おれも、書いた。まだ、渡せてない』


「…………」


指が、止まった。


おれも、書いた。


まだ、渡せてない。


財布の、いちばん奥の、ポケット。


便せん。


「あれは、母さんが、オレに、書いた、手紙だと、思ってた」


でも、もしかして。


オレは、ファスナーに、手を、かけた。


そのとき、廊下から、足音。


「ヒロキー、ごはんよー」


母さんの、声だった。


いつもの、あったかい、母さん。


オレは、ファスナーから、手を、はなした。


「…………はーい!」


返事をした、その声は、あいかわらず、おじさんの声だった。


胸の奥が、ぎゅっとなった。


重たいけれど、あたたかい、ぎゅっだった。


あと、どれだけ、残ってるんだろう。


8月13日まで。


そして、そのあとは。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。