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第19話 後編

そのとき、ふすまの向こうから、ミキの声が、した。


「お兄ちゃん、何やってるの」


「新聞の、記事」


「見せて」


ミキは、ノートを、のぞきこんだ。


「…………ながい」


「だろ」


「でも、ぜんぶ、おもしろい」


「…………」


「お兄ちゃんの、書いた、字、あったかい」


ミキは、ぺらぺら、めくりながら、言った。


「でも、これ、ぜんぶ、新聞に、入るの?」


「入らない」


「じゃあ、どうするの」


「…………」


ミキは、ちょっと、考えて、言った。


「ひとり、ひとこと、にしたら?」


「ひとこと」


「うん。いちばん、いいところ、だけ」


オレは、ノートを、じっと、見た。


ひとこと。


三十一人の、いちばん、いいところ。


それなら、紙面に、入る。


「…………ミキ」


「なに」


「お前、ほんとに、天才だな」


「知ってる」


即答だった。


さすが、しっかり者。


三日後。


学級新聞が、刷り上がった。


タイトルは、ヤマグチさんが、決めた。


『5年2組 みんなの、いいところ 十月号』


B4の、紙面。


まん中に、でっかい、見出し。


『三十一人の、がんばってること』


その下に、全員の名前と、ひとこと。


『ブッチ にんじんを、のこさず食べる』


『サトウさん ウサギの毎日を、ノートに、つけている』


『カワシマ 大きい声と、小さい声を、練習している』


『ユウタ 歌を、もっとうまくなりたいと思っている』


『ヤマグチさん ほめることを、練習している』


『ハヤシさん 本を、毎日、一ページでも、読む』


『イノウエくん 家でも学校でも、掃除をしている』


そして。


いちばん、最後に。


『ヒロキ ちゃんと、ありがとうを、言うこと』


「…………」


オレは、紙を、持ったまま、固まった。


これ、書いたの、誰だ。


ヤマグチさんが、すました顔で、言った。


「さくまくんの、分は、わたしと、ハヤシさんで、書きました」


「え」


「さくまくんは、自分のことは、書かないと、思ったので」


「…………」


「間違って、ますか?」


「いや」


声が、でなかった。


間違って、いない。


ぜんぜん、間違って、いない。


ハヤシさんが、そっと、言った。


「さくまくん、いつも、みんなに、ありがとうって、言ってるよね」


「そ、そうかな」


「うん。ムギのときも、ふくやのときも、メロスのときも」


「…………」


「だから、それ、さくまくんの、がんばってること」


ハヤシさんは、にこっと、笑った。


ブッチが、うしろで、泣きそうな顔をしていた。


「ヒロキ、よかったな……」


「ブッチ、なんで、おまえが、泣いてんの」


「だって、ヒロキ、いいやつだから……」


「泣くな」


でも、オレの目も、ほこりが、入った。


その夜。


財布を、ひらいた。


名刺入れの、ゴムバンドが、ぷつん、と、切れそうになっている。


いちばん下の、行を、探した。


『教育新聞社 編集委員 兼務』


「…………編集委員」


案の定、というか、予想どおり、というか。


名刺の、裏には、手書きで、一行。


『見出しが、長いと、デスクに、よく、怒られます』


「怒られてるのかよ」


ふきだした。


でも、その、すぐ下に、小さく、もうひとつ。


『連載「いま、がんばってること」 担当』


「…………連載」


あの、小5の、取材が、いまも、続いてるんだ。


スマホを、ひらいた。


ギャラリー。


一番上の、新しい写真。


どこかの、小学校の、校庭。


ノートを持った、オレが、ひとりの、女の子に、インタビューしている。


女の子は、緊張して、ぎゅっと、ほっぺを、赤くしていた。


その、うしろの、フェンスの、そばで、白髪まじりの、男の人が、にこにこと、見守っている。


校長先生だ。


年を取った、校長先生だ。


写真の下に、メモ。


『今日の取材先、母校。校長先生(元)が、来てた。「さくまくんの、話は、まだ、長いね」って、笑われた』


「…………」


もう、とっくに、校長先生は、校長先生じゃ、ないんだ。


でも、オレの、記事に、まだ、足を運んで、くれている。


もう一枚、スワイプ。


新聞の、紙面の、写真だった。


見出しが、でかい。


『ヒロキ記者の、連載、百回 三十一人の、いいところ』


その下に、小さな、写真。


あの、十月号の、学級新聞の、コピー。


色が、すっかり、黄ばんでいる。


写真の下には、一行、メモ。


『きっかけは、小5の、学級新聞。「もっと、書けるよ」って、言われたから』


「…………」


ここで、胸が、ぎゅっと、なった。


あったかい、やつだ。


財布の、ポケットを、のぞくと、古い、紙の切り抜きが、一枚、入っていた。


薄い、黄ばんだ、紙。


そこには、二行だけ、書いてあった。


『きょうの給食は、カレーでした。おいしかったです。』


「…………あ」


その、横に、先生の、赤ペン。


『もっと、書けるよ。』


そして、その、すぐ下に、新しい、赤ペンが、足してあった。


『書けたね。  高橋』


「…………」


涙が、ぼろぼろ、こぼれた。


タカハシ先生。


27年前の、先生の、赤ペンの、あとに。


先生は、未来の、オレに、返事を、書いてくれたんだ。


オレは、紙を、両手で、持って、泣いた。


「ほこりじゃ、ない」


誰もいない、部屋で、言った。


「これは、ほんとに、泣いてる」


しばらくして、涙が、落ちついた。


机の上には、まだ、新聞の、ネタ帳が、開いたままだった。


ふと、ノートの、最後の、ページに、目が、とまった。


そこだけ、白紙だった。


オレは、鉛筆を、持った。


そして、無意識に、書き始めていた。


『うちの母さん』


その、四文字だけ、書いて、手が、止まった。


何を、書けば、いいんだろう。


エプロンのこと。


卵焼きのこと。


ミシンの音のこと。


雑巾の、赤い糸のこと。


「そのときは、きっと、もう、母さんは、そばに、いないかもしれません」


便せんの、あの、一行が、頭に、浮かんだ。


鉛筆が、ぽとり、と、机に、落ちた。


「…………まだ、書けない」


つぶやいた。


でも、いつか、書かなきゃ、いけない。


その、予感が、胸の奥で、ずっと、鳴っていた。


窓の外で、虫の声が、少し、弱くなっていた。


もうすぐ、冬が、くる。


そのとき、居間のほうから、母さんの、声が、聞こえた。


「ヒロキー、あしたの、歯医者さん、忘れないでよー」


…………歯医者。


その二文字を聞いた瞬間、オレは、ぞくっと、した。


そうだった。


前のオレは、歯医者が、世界で、いちばん、こわかったんだ。


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