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第17話 後編

放課後、廊下で、イノウエくんが、ひとりで、ほうきを、片づけていた。


オレは、そっと、近づいた。


「イノウエくん」


「…………さくま、くん」


「ちょっと、いい?」


イノウエくんは、ほうきを、持ったまま、固まった。


メガネの奥の、目が、ちょっと、おびえている。


あ。


そうか。


この子、オレに、話しかけられるの、こわいんだ。


前のオレが、サボって、いなくなって。


それでも、なにも、言わなかった子。


オレは、深呼吸をした。


「ごめんなさい」


「え」


「ずっと、掃除、サボってて。イノウエくんが、先生に、怒られてるときも、なにも、言わなかった。ほんとに、ごめん」


しーん。


廊下の、むこうから、遠くの、笑い声が、聞こえた。


イノウエくんは、しばらく、なにも、言わなかった。


それから、ぼそっと、言った。


「……べつに、いいよ」


「でも」


「ぼく、掃除、きらいじゃないし」


「え?」


「掃除してると、ひとりで、考えごと、できるから」


イノウエくんは、ほうきを、ぎゅっと、にぎった。


「だから、さくまくんが、いなくても、よかった」


「…………」


「でも、きょうは」


イノウエくんが、顔を、あげた。


「きょうは、みんなで、やるの、ちょっと、楽しかった」


メガネの奥で、目が、ほんの少しだけ、笑っていた。


オレは、ほっとして、へにゃっと、笑った。


「そっか」


「うん」


「じゃあ、また、やろうな」


「…………うん」


イノウエくんが、はじめて、オレに、うなずいてくれた。


それだけで、胸の奥が、ぎゅっと、なった。


あったかい、やつだ。


その夜。


財布を、ひらいた。


名刺入れの、ゴムバンドを、はずす。


ぽん、と、名刺が、ひとつ、飛び出した。


あわてて、拾う。


いちばん下の、行を、探した。


『株式会社ピカピカ・サービス 代表取締役社長 兼務』


「…………社長」


声が、でた。


社長。


兼務の中で、ついに、社長が、出てきた。


いや、まて。


これ、さすがに、兼務じゃ、すまないだろ。


名刺の、裏を、見る。


手書きで、一行。


『社名は、給食室の、おばちゃんの、口ぐせから』


「…………あ」


ナカムラさん。


「今日も、ピカピカね!」


胸が、ぎゅっと、なった。


ピカピカ、か。


そうか。


オレは、あの言葉を、会社の名前にしたんだ。


スマホを、ひらく。


ギャラリー。


一番上の、新しい写真。


白い、トラックの、前。


そろいの、制服を、着た、社員が、十人くらい、並んでいる。


胸のロゴは、「ピカピカ」の、四文字と、ぴかっと光る、星のマーク。


まん中に、社長の、オレ。


そのとなりに、車いすの、おばあさんが、座っていた。


白い、帽子の、おばあさん。


目じりに、しわが、よっている。


ナカムラさんだ。


おばあさんになった、ナカムラさんだ。


膝の上に、花束。


オレが、かがんで、いっしょに、笑っている。


写真の、下の、メモ。


『創業十周年。ナカムラさんが、「今日も、ピカピカね」って、言ってくれた。おれ、ここでも、ほこり、入った』


「……ほこり、って」


笑いながら、涙が、出た。


ナカムラさん。


あのとき、オレが、ひじきを、食べて。


「今日も、ピカピカね」って、言ってくれた、あの、ひとこと。


それが、10年後、会社になって、27年後に、花束になった。


オレは、スマホを、胸に、抱えた。


もう一枚、スワイプする。


古い、教室の写真だった。


ぴかぴかに、みがかれた、床。


その上に、メガネの、ひょろっとした、男の人が、しゃがみこんで、床を、ふいている。


大人になった、イノウエくんだ。


作業服の、胸に、「ピカピカ・サービス 副社長」の、名札。


社長と、副社長が、ふたりで、床を、ふいている写真だった。


『副社長・井上。「社長、雑巾の絞り方、まだ、甘いです」って、言われた』


「甘いのか、オレ」


ひとりで、ツッコんだ。


でも、写真の、イノウエくんは、すごく、楽しそうだった。


「ぼく、掃除、きらいじゃないし」


そう言っていた、小5の、顔が、重なった。


財布の、中の、ポケットに、ちいさな、布の端切れが、入っていた。


白くて、角が、ちょっと、すり切れている。


端に、赤い糸で、ひらがな。


『さくま ひろき』


「…………」


母さんの、雑巾だ。


その、ほんの一部。


未来の、オレは、母さんの、雑巾の、切れ端を、財布に、入れているんだ。


そっと、指で、さわった。


ざらっと、した、手ざわりだった。


母さん。


オレ、ちゃんと、使ったよ。


布団に、入ろうとして、気がついた。


ランドセルが、玄関のほうから、動いている。


ミキが、勝手に、背負って、遊んでいた。


「ミキ、返せ」


「お兄ちゃん、これ、おもたいー」


「中、教科書、ぜんぶ、入ってるからな」


「ほんとだー」


ミキが、ランドセルを、おろしたとき、ふと、ポケットから、一枚の、紙が、ひらり、と、落ちた。


連絡帳の、一ページ。


担任の先生の字で、短く、書いてある。


『さくまくんへ 6年生の、ゴウダくんが、校門で、さくまくんを、探していたそうです。心当たりが、あれば、先生に、教えてください』


「…………」


ゴウダ。


その名前を、見た瞬間、胃のあたりが、きゅっと、縮んだ。


ゴウダ。


六年生の、ゴウダ、ケンジ。


でかくて、声が、でかくて、いつも、取り巻きを、連れている。


前のオレが、さんざん、いじめられた、あの、上級生だ。


言い返せなかった。


ただ、うつむいて、財布の中の、お小遣いを、差し出した。


そのたびに、胸の奥が、ずーんと、重くなった。


「お兄ちゃん、だいじょうぶ?」


ミキが、心配そうに、のぞきこんだ。


「…………うん」


「ほんと?」


「ほんと」


オレは、連絡帳を、ぎゅっと、にぎった。


まだ、手が、ちょっと、ふるえていた。


でも、前とは、ちがう。


オレは、もう、ひとりじゃ、ないんだ。


そう、思いたかった。



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