第16話「おかし、もち、ヘルメット」
朝イチで、ランドセルに、あるものを詰めた。
ハンカチ。
ちり紙。
そして、防災ずきん。
「お兄ちゃん、それ、いつもは、椅子に、かけっぱなしのやつだよ」
ミキが、あきれた顔で言った。
「今日は、使う日だ」
「ふーん。お兄ちゃん、ちょっと、はりきりすぎ」
「はりきってない。備えてるだけ」
「それを、はりきりって言うんだよ」
ぐうの音も出ない。
避難訓練は、三時間目だった。
「地震が起きたあと、校庭の調理室から、火が出た」という想定らしい。
校内放送が、ピンポンパンポーンと鳴った。
『地震です。地震です。机の下に、もぐってください』
教室が、わっと動いた。
みんな、机の下に、もぐる。
オレも、もぐった。
もぐったら、机の天板に、頭が、ごん、とぶつかった。
37歳が、小5の机の下に入るのは、ほぼ、パズルだ。
右ひざが、通路に、はみ出している。
「ヒロキ、足、もっと中に入れないと、あぶないよ」
「うるさい。これでも、折りたたんでる」
「ふーん。むずかしいね、これ」
「むずかしい!」
ユウタが、隣の机の下から、くすくす、笑っている。
でも、オレは、ふざけなかった。
前のオレは、ここで、ブッチと、顔を見合わせて、にやにやしていた。
今回は、頭を、ちゃんと、かばう。
「さくま、えらいな。しっかり、守ってる」
タカハシ先生が、見回りながら、言ってくれた。
ちょっと、うれしかった。
『火災が発生しました。ハンカチで、口をおさえて、おかしもちで、避難してください』
おかしもち。
押さない。
駆けない。
しゃべらない。
戻らない。
近づかない。
オレが、小学生のころは、「おかしも」だった。
いつの間にか、「ち」が、増えたらしい。
いや、増えたというより、オレが、忘れてただけかもしれない。
「ち、って、なんだっけ」
ブッチが、小声で聞いてきた。
「近づかない。火元とか、危ないところに」
「ヒロキ、くわしい」
「いや、それは、あの、夢の中で」
「また夢の中かー」
もう、この言い訳、通じすぎて、こわい。
廊下に出る。
みんな、一列になって、静かに、歩く。
オレは、ハンカチを、口に当てた。
そして、姿勢を、ぐっと低くした。
煙は、上にたまる。
なるべく、下の空気を、吸う。
これも、37歳の知識だ。
「ヒロキ、なんで、かがんでるの?」
「煙は、上に、たまるから」
「けむりって、上にいくの?」
「あったかい空気は、上に行くんだ」
「へー!」
ブッチが、感心しながら、いっしょに、かがんだ。
その後ろの子も、かがんだ。
そのまた後ろの子も、かがんだ。
気がつくと、廊下の、一列が、ぜんぶ、腰を、かがめて、ぞろぞろ、歩いていた。
「…………」
先頭の、ヤマグチさんが、ふりむいた。
「さくまくん。みんな、かがんでます」
「ごめん」
「でも、理にかなっています」
「そう?」
「はい。賛成です」
賛成されてしまった。
校庭に、集合した。
全校児童が、クラスごとに、整列する。
ここまでは、順調だった。
問題は、そのあとだ。
「えー、今日は、消防署の方が、来てくださっています」
校長先生が、マイクで言った。
「みなさん、静かに、聞いてくださいね。短く、お話しします」
ちゃんと、短かった。
校長先生、約束、守ってる。
消防署の人は、がっしりした、おじさんだった。
オレンジ色の、制服を、着ている。
「えー、今日は、みなさんが、ちゃんと避難できたか、見させてもらいました」
「はい!」
「ほとんどの人が、よくできていました。ただ、ひとつだけ、気になったことがあります」
おじさんは、ちらっと、こっちを見た。
「5年2組の、列だけ、ずっと、かがんで、歩いていました」
校庭が、ざわっとした。
「あれは、煙を、吸わないための、姿勢です。正しいんですが、あれを、教えたのは、誰かな?」
みんなの目が、一斉に、オレを、見た。
「…………」
「さくまくん、ですね」
あっさり、ばれた。
「ええと、はい」
「どこで、習ったのかな?」
「本で、読みました」
「ほう」
おじさんは、にこにこしながら、近づいてきた。
「ほかにも、なにか、知ってる?」
「えっと、まず、ハンカチは、できれば、濡らしたほうが、いいです。あと、避難するときは、エレベーターは、使わない。それから、一度、外に出たら、荷物を取りに、戻らない」
「おお」
「あと、非常口の位置は、普段から、確認しておくと、いいです。それと」
「さくまくん、ストップ」
おじさんが、笑いながら、手を、挙げた。
「くわしすぎて、ちょっと、こわいよ」
校庭が、どっと、笑った。
「なんで、君だけ、ヘルメットを、持ってきてるの?」
あ。
バレた。
オレの足もとに、ランドセルの横に、ぶら下げていた、黄色い、ヘルメット。
家の、押し入れから、見つけたやつだ。
父さんの、昔の、工事現場用だ。
「いや、あの、備えあれば、憂いなしって、言うので」
「ことわざまで、完璧だな」
おじさんは、頭を、ぽりぽり、かいた。
「あのなあ、さくまくん。もう、うちの隊員に、なれるぞ」
「いえ、まだ、小学生なので」
「だよなあ」
校庭が、さらに、わいた。
笑い声の中で、オレは、ひとつ、気がついた。
みんなが、笑っているのに、オレだけ、笑えなかった。
胸の奥が、すっと、冷えた。
校門の、向こう。
通りの、むこうがわ。
白い、ワンピースの人が、立っていた。
遠くて、顔は、見えなかった。
長い髪を、ひとつに、まとめて。
白い服が、風で、ゆれている。
みんなの、笑い声が、すーっと、遠くに、なった。
あの人だ。
体育館の、客席の、いちばんうしろにいた人。
そして、27年前の、避難訓練の日にも、立っていた人。
前のオレは、このとき、ふざけて、ブッチと、ふざけていた。
そして、ふと、校門の向こうに、人影を、見つけた。
その人は、オレのほうを、ずっと、見ていた。
でも、先生に、肩を、叩かれて、ふりむいたら、もう、いなかった。
それだけの、記憶。
でも、なぜか、ずっと、頭の、すみに、残っていた。
「…………」
足が、勝手に、動いた。
列を、はなれて、校門のほうへ、歩いていく。
「さくま、どこ行くんだ」
先生の声が、遠くで、聞こえた。
でも、とまれなかった。
校門を、でた。
道の、向こうを、見た。
誰も、いなかった。
そこには、ただ、空っぽの、歩道と、風に、ゆれる、電線が、あるだけだった。
「…………」
おじさんの、体が、そこで、ぴたっと、止まった。




