第15話 後編
本番の、朝。
朝礼台の、階段は、思ったより、急だった。
一段、のぼるごとに、ひざが、ミシッと、鳴る。
のぼりきったら、世界が、変わった。
三百人の、顔。
校庭の、向こうまで、ずーっと、つづいている。
風が、つめたい。
マイクが、目の前に、ある。
ポケットの中で、ミキの紙が、かさっと、鳴った。
息を、すった。
「おはようございます」
声が、校庭に、ひびいた。
低くて、でかい、おじさんの声だった。
でも、今回は、しっかり、届いた。
「……おはようございます」
ぱらぱら、と、返事が、返ってきた。
いける。
いけるぞ。
そう思った、その瞬間。
37歳の、サラリーマンの、スイッチが、入った。
「本日も、よろしくお願いいたします」
「…………」
「なお、今日の天候と、学習効率の、相関性について、一言、申し上げますと」
あ。
やばい。
止まらない。
口が、勝手に、動いてる。
オレは、いま、一枚だけの原稿を、持っているのに。
頭の中の、八枚が、勝手に、再生されている。
「一般に、気温が、低いと、集中力が、高まるという、研究も、ありますが、一方で、手足の冷えが、学習意欲を」
「…………」
「また、整列の、際の、姿勢については、第一に」
校庭が、しーんとしている。
前のほうの、一年生が、ぺたん、と座った。
つられて、二年生も、ぺたん。
保健の先生が、あわてて、走っている。
「第二に、あいさつの、声の、大きさについて。これは、近年、ご家庭でも」
「…………」
「ちなみに、わたくしの、場合は」
「さ、さくまくん」
教頭先生が、小声で、うしろから、呼んだ。
「そろそろ」
「あ、はい。あと、ひとつだけ」
「いや、もう」
「ひとつだけです。ええと、まず、背景として」
「さくまくん!」
校長先生が、のっしのっし、歩いてきた。
そして、オレの、耳もとで、小さな声で、言った。
「さくまくん。わたしの、話より、長くなりそうだよ」
「あ」
「もう、六分だ」
校庭が、どっと、笑った。
マイクが、校長先生の声を、拾ってしまっていた。
三百人の、笑い声。
先生たちも、笑っている。
ブッチなんか、腹を、かかえて、笑っている。
「ヒロキー! 長いよー!」
「ヒロキ、神だけど、長いー!」
オレは、ぼーっと、立っていた。
顔が、あつい。
耳まで、あつい。
でも、不思議と、いやな気分じゃ、なかった。
前のオレは、笑われるのが、こわくて、固まった。
今回は、笑われてる。
でも、これは、笑われ方が、ちがう。
みんな、あったかい顔で、笑っている。
そのとき。
全校児童の、前から二番目の列。
小さな、2年生の、列の、まんなか。
ミキが、いた。
こっちを、見ている。
そして、口を、ぱくぱく、動かした。
声は、聞こえない。
でも、わかった。
『み・じ・か・く』
オレは、ふっと、笑った。
ポケットの中の、紙を、ぎゅっと、にぎった。
「……すみません」
マイクに、向かって、言った。
「長く、なりました。ごめんなさい」
校庭が、笑いながら、しーん、と、した。
オレは、大きく、息を、すった。
「えっと、いちばん、言いたかったことは」
ゆっくり。
ひとことずつ。
「みんなに、おはようって、言いたかった、だけです」
「…………」
「おはようございます!」
校庭が、一瞬、止まって。
そのあと。
「おはようございまーーーす!!!」
三百人の、声が、返ってきた。
校庭の、向こうの、フェンスまで、ひびくような、でっかい声だった。
オレは、思わず、よろけた。
前のオレは、この返事を、もらえなかった。
胸の奥が、ぎゅっと、なった。
あったかい、やつだ。
「以上です」
そう言って、頭を、下げた。
拍手が、わーっと、わいた。
階段を、おりるとき、ひざが、がくがくした。
でも、足どりは、かるかった。
校長室に、呼ばれた。
怒られるかと、思った。
校長先生は、お茶を、いれてくれた。
「さくまくん」
「はい」
「いやあ、今日は、おもしろかった」
「すみません」
「いやいや。実はね」
校長先生は、お茶を、すすった。
「わたしの話が、長いのは、自分でも、知っていてね」
「…………」
「でも、やめられないんだ。子どもたちに、話したいことが、いっぱい、あってね」
校長先生は、ちょっと、さびしそうに、笑った。
「でも、あの子どもたちが、きみの話の、長さを、笑ってくれて。ああ、わたしの話も、あんなふうに、笑って、聞いてもらえてたのかなって、思えた」
「……はい」
「ありがとう。短くするよ。来月から」
「え、いや、そんな」
「約束する」
校長先生は、指を、一本、立てた。
「ただし、さくまくんも、短くするんだよ」
「はい」
ふたりで、顔を、見あわせて、笑った。
その夜。
財布を、ひらいた。
名刺入れが、ぱんぱんで、フタが、閉まりにくくなっている。
ぐっと、おして、いちばん上から。
『株式会社 みやび芸能 マネージャー 佐久間宏樹』
……以下、ずっと、兼務が、つづいて。
いちばん、下に。
『テレビ東都 朝の情報番組「おはよう!モーニング」 MC 兼務』
「…………MC」
声が、ひっくり返った。
「いや、もう、ほんとに、兼務、どんだけ」
数えるのを、とっくに、やめている。
でも、「朝の情報番組の、司会者」は、案のとおり、すぎる。
名刺の、裏には、手書きで、一行。
『持ち時間は、守れていません』
「守れてないのかよ」
思わず、声に出して、ツッコんだ。
スマホを、ひらく。
ギャラリー。
一番上の、新しい写真。
テレビ局の、スタジオ。
でかい、ガラスの、テーブル。
その前に、スーツ姿の、オレが、座っている。
手には、カンペ。
スタッフの、持っている、スケッチブックに、でっかく、赤い字で、書いてある。
『巻きで!』
『もう、時間です!』
写真の、オレは、すごく、あわてている。
でも、笑っている。
となりに、ゲストの、ユウタ。
着物姿で、すずしい顔で、座っている。
その、うしろに、プロデューサーらしい、人。
ヤマグチさんだった。
いや、ちがう。
ヤマグチさんは、弁護士のはずだ。
よく見たら、スタジオの、すみに、小さく、立っている。
腕組みして、メガネを、くいっと、あげて。
「法務確認のため、立ち会っています」って、顔だ。
写真の下に、小さな、メモ。
『生放送、また、三分オーバー。山口先生が、ストップウォッチを、にぎりしめていた』
「ヤマグチさん、スタジオまで来てるのか」
ひとりで、ふきだした。
財布の、ポケットを、のぞくと、折りたたんだ、紙が、一枚、増えていた。
ひらくと、鉛筆の、ぐにゃぐにゃした、ひらがなが、あらわれた。
『みじかく!』
「…………これ、返してもらったのに」
ミキに、あとで、お礼として、あげたはずだ。
でも、ここにある。
つまり、未来の、オレは、これを、ずっと、財布に、入れているんだ。
オレは、その紙を、ぎゅっと、にぎって、笑った。
目の奥が、つーんと、した。
そのとき、財布の、いちばん奥の、ポケットが、目に、入った。
あの、便せんが、はいっている、ポケット。
ファスナーを、ひらこうとして、やめた。
もう少し。
もう少し、あとで。
「……もうちょっと、だけ、待っててくれ」
誰に言うでもなく、つぶやいた。
便せんは、ポケットの中で、静かに、ねむっていた。
布団に、入る、直前。
廊下から、父さんと、母さんの、話し声が、した。
「あした、避難訓練らしいわよ」
「へえ。ヒロキ、また、なにか、やらかさないか、心配だな」
「だいじょうぶよ」
母さんは、くすくす、笑っていた。
「ヒロキは、ヒロキだもの」
その言い方は、いつもの、母さんだった。
オレは、ほっとして、目を、つぶった。
そのとき、ふっと、思い出した。
避難訓練。
そうだ。
前のオレは、避難訓練で、いつも、ふざけていた。
ハンカチを、口に、あてるのも、めんどうで。
「おかしも」の、約束も、守らなくて。
でも、あの日だけは。
「…………あ」
目が、ぱちっと、開いた。
あの日。
避難訓練の、あの日。
校門の、向こうに、誰かが、立っていた。
白い、ワンピースを、着た、女の人が。




