第14話 後編
放課後。
校庭の、すみの、ベンチ。
ブッチ、ユウタ、オレの、三人。
オレは、ランドセルから、ノートを、一冊、取り出した。
お小遣い帳じゃ、ない。
新品の、ノートだ。
表紙に、でっかく、書いた。
『ブッチ・ハヤシさん 接近作戦(秘)』
「ヒロキ、なにそれ」
「作戦書だ」
「さくせんしょ」
ブッチが、目を、かがやかせた。
「おれ、そういうの、好き!」
「だろ」
オレは、鉛筆を、持った。
「まず、現状分析をする。ハヤシさんの、好きなものは?」
「えっと、本! あと、ウサギ!」
「ウサギ?」
「ムギの、小屋の、前に、よくいる!」
ほう。
それは、使える。
「ほかには?」
「あと、給食の、プリンが、好き」
「ユウタは?」
「ハヤシさん、字が、きれいだよ。習字、いつも、さいしょに、貼られてる」
「なるほど」
オレは、ノートに、さらさらと、書いていった。
「次。ブッチの、強みは?」
「え、おれ?」
「そう」
「えーと……足が、速い?」
「たしかに、リレーで、いちばん、がんばってた」
「あと、食べるのが、好き」
「それは、強みなのか」
「あと、元気!」
「それは、強みだ」
ブッチは、ほっぺを、赤くして、うれしそうだった。
オレは、ふと、手を止めた。
……あれ。
オレ、いま、何してる?
37歳の、おっさんが、小5の、恋愛の、作戦を、立ててる。
しかも、「現状分析」とか言って。
ノートの、一ページ目に、「ゴール設定」って、書きかけてる。
これ、完全に、会社の、企画会議だ。
「……ヒロキ、手、止まってるよ」
「あ、うん。ごめん」
オレは、ノートを、ぱたんと、閉じた。
「やっぱ、やめよう」
「えー!?」
「作戦は、いらない」
ブッチが、がくっと、肩を、落とした。
「ひどい! ヒロキ、神じゃなかったの!?」
「神じゃない。ただの、おじさんだ」
「おじさん?」
「あ、ええと、なんでも、ない」
オレは、ごほん、と、咳ばらいをした。
「あのな、ブッチ。作戦も、大事かもしれない。でも、いちばん大事なのは、ブッチが、自分の言葉で、言うことだ」
「自分の、言葉」
「そう。だれかに、書いてもらった、セリフじゃなくて」
ブッチは、うつむいた。
「でも、おれ、なに言えばいいか、わかんない」
「なんでもいい。『好きです』でも、『いっしょに、ムギ、見に行こう』でも」
「そんなの、はずかしい!」
「はずかしいよ。ぜったい、はずかしい」
オレは、笑った。
「でもな。言わなかったほうが、ずーっと、あとまで、胸に、残るんだ」
ブッチが、顔を、あげた。
「ヒロキ、なんか、言い方が、経験者みたい」
「……そうか?」
「うん」
経験者です。
言わなかったほうの、経験者です。
ユウタが、じっと、オレの顔を、見ていた。
その目が、ちょっとだけ、やさしかった。
そして、もうひとつ。
オレには、ブッチに、言わなきゃ、いけないことが、あった。
「……ブッチ」
「ん?」
「ちょっと、ふたりで、話せる?」
ユウタが、すっと、立ち上がった。
「ぼく、ムギの、ようす、見てくるね」
「ありがと」
ユウタは、手を、ひらひらふって、校庭の向こうへ、走っていった。
空気が、読める子だ。
さすが、水野優太。
ベンチに、ブッチと、ふたりに、なった。
夕方の、風が、すこし、つめたかった。
「あのさ、ブッチ」
「うん」
「オレも、ハヤシさんのこと、ちょっと、いいなって、思ってたんだ」
ブッチの、体が、ぴくっと、はねた。
「え」
「前に。……ずっと、前に」
嘘は、ついてない。
「ほんとは、ブッチが、ハヤシさんのこと、好きだって、聞いたとき、すごく、複雑だった」
「…………」
「でも、あのとき、オレは、『がんばれよ』って、笑って、言った」
「……うん」
ブッチは、うなずいた。
「おれ、それ、うれしかったよ」
「でも、あれは、ほんとの気持ちじゃ、なかったんだ」
「…………」
「ずるかった。いい人の、ふりを、したんだ。ブッチに、ほんとのこと、言えなくて」
ブッチは、じっと、オレを、見た。
丸い目が、ゆらゆら、している。
しばらく、沈黙が、あった。
それから。
「ヒロキ」
「うん」
「ばかじゃないの」
「…………え」
「ばかだよ、ヒロキ」
ブッチが、ぷっと、ふきだした。
「そんなの、言ってくれたら、よかったのに!」
「いや、でも」
「おれ、ヒロキと、ハヤシさんのこと、取り合いしたって、友だちだよ」
「ブッチ」
「だって、ヒロキ、ひじき、食べたし、ゲームも、神だし、ミキちゃんの、ねずみも、すごかったし」
「なんの話だ」
「ヒロキは、おれの、いちばんの、友だちだから!」
ブッチは、でっかい声で、言い切った。
胸の奥が、ぎゅっとなった。
あたたかい、ぎゅっだ。
もう、数えるのも、やめた。
「だから、ヒロキも、ハヤシさんのこと、好きなら、好きでいいよ! おれも、がんばるから!」
「いや、いまは、ほんとに、そういう気持ちは、ないんだ」
「え、そうなの?」
「うん。いまのオレは、ブッチの、応援団だ」
「応援団!」
ブッチが、顔を、ぱっと、明るくした。
「じゃあ、ヒロキ、応援団長ね!」
「団長か。いいね」
「団員は、ユウタ!」
「いま、ムギを、見てるけどな」
「あははは!」
ブッチが、でっかい声で、笑った。
その笑い声が、校庭に、ひびいた。
27年間、胸のどこかに、ひっかかっていた、小さな、とげが、ぽろっと、とれた気がした。
次の日から、「ブッチ応援団」の、活動が、はじまった。
活動その1。
「ハヤシさんと、同じ、ウサギ当番に、入る」
飼育係の、サトウさんに、頼んで、ブッチを、ウサギ当番に、入れてもらった。
ブッチは、ムギの世話を、はじめた。
さいしょは、牧草を、ばらまいて、サトウさんに、怒られた。
「ブッチくん! そんなに、いっぱい、あげたら、だめ!」
「ご、ごめん!」
「ウサギさんは、少しずつ、なの!」
ハヤシさんも、そばで、くすくす、笑っていた。
口に、手を当てて。
ブッチは、それを、見て、固まっていた。
「ヒロキ、見た? いま、見た?」
「見た見た」
「やばい」
「語彙」
「やばい!」
活動その2。
「給食の、プリンを、ゆずる」
これは、ブッチが、自分で、思いついた。
ハヤシさんが、プリンを、うっかり、落としてしまった、その日。
「あの、これ、よかったら」
ブッチは、自分の、プリンを、そっと、差し出した。
ハヤシさんは、びっくり、した。
「え、でも、ブッチくんの、でしょ?」
「い、いいの! おれ、今日、おなか、いっぱいだから!」
「…………」
「…………」
「ブッチくん、いつも、おかわり、してるよね?」
「今日は、ちがう!」
ハヤシさんは、ふふっと、笑って、口に、手を当てた。
「ありがとう。じゃあ、半分こ、しよう」
スプーンで、プリンを、半分に、わけて。
ブッチの、皿に、乗せてくれた。
ブッチは、プリンを、見つめたまま、動かなくなった。
「…………ヒロキ」
「うん」
「おれ、いま、しんでもいい」
「しぬな」
教室の、うしろから、オレとユウタは、小声で、ツッコんだ。
ほんとに、青春だった。
そして、ある日の、放課後。
ブッチが、顔を、まっかにして、オレのところに、来た。
「ヒロキ、おれ、言う」
「え」
「ハヤシさんに、言う」
「今から?」
「今から!」
ブッチの、手は、ふるえていた。
でも、目は、まっすぐだった。
「ヒロキ、ついてきて」
「え、いや、ついていくのは」
「お願い! 見ててほしいんだ!」
オレは、ユウタを、見た。
ユウタは、にこっと、うなずいた。
「行こう」
三人で、校庭の、飼育小屋の、前まで、行った。
ハヤシさんが、ひとりで、ムギに、牧草を、あげていた。
夕日が、ハヤシさんの、ひとつ結びを、オレンジに、そめている。
ブッチは、ゆっくり、ゆっくり、近づいていった。
オレと、ユウタは、少し、離れた、木の陰から、見守った。
「……あの、ハヤシさん」
「あ、ブッチくん」
「えと、その」
「うん?」
「おれ、あの」
ブッチの、声が、ふるえている。
「…………」
沈黙。
ブッチは、ぎゅっと、目を、つぶった。
「ハヤシさんのこと、好きです!」
校庭中に、ひびく、声だった。
小屋の、中の、ムギが、びくっと、した。
「…………」
ハヤシさんは、固まっていた。
しばらくして、ゆっくり、顔を、赤くしていった。
口に、手を当てて。
「…………えっと」
「あ、あの、返事は、いらなくて」
「え」
「ただ、言いたかっただけで。その、ハヤシさんが、笑うと、おれ、うれしいから、それだけ!」
ブッチは、早口で、言い切ると、ぺこっと、頭を下げた。
「それだけです! ありがとうございました!」
ダッシュで、走り去ろうとした。
「ブッチくん」
ハヤシさんが、呼びとめた。
ブッチは、ぴたっと、止まった。
「あの、ね」
ハヤシさんは、もじもじ、しながら、言った。
「わたし、いま、好きな人とか、よく、わからないんだ」
「…………うん」
「でも、ブッチくんが、プリンを、くれたとき、すごく、うれしかった」
ブッチの、背中が、ぴくっと、した。
「だから、その」
ハヤシさんは、にこっと、笑った。
「友だちから、でも、いい?」
ブッチは、ゆっくり、振り向いた。
顔は、ぐしゃぐしゃで、泣き笑いで。
でも、それは、オレが、いままで見た、ブッチの顔の中で、いちばん、うれしそうな顔だった。
「……うん!!!」
でっかい声だった。
木の陰で、ユウタが、ぱちぱち、小さく、拍手した。
オレは、口を、おさえて、笑った。
でも、目の奥は、あつかった。
ブッチ。
おめでとう。
その日の、帰り道。
夕焼けの中を、三人で、歩いた。
ブッチは、ずっと、ふわふわして、歩いていた。
「おれ、ちゃんと、言えた」
「うん」
「ヒロキ、ありがとう」
「オレは、なにもしてない」
「してるよ!」
ブッチは、オレの、ほうを、向いた。
「ヒロキが、あのとき、ほんとのこと、言ってくれたから。おれ、なんか、気が楽になった」
「…………」
「ずっと、ヒロキに、遠慮してたのかも、しれない。でも、もう、いいんだ」
ブッチは、にかっと、笑った。
「ヒロキは、おれの、親友だから!」
ユウタが、うしろで、くすくす、笑っていた。
「ぼくは?」
「ユウタも、親友!」
「ぼく、二番目か」
「いや、ふたりとも、一番!」
「そんなの、ずるい」
三人で、笑った。
並んだ、三つの影が、夕日の道に、長く、のびていた。
その夜。
財布を、ひらいた。
名刺入れの、いちばん上から。
『株式会社 みやび芸能 マネージャー 佐久間宏樹』
『担当アーティスト 水野 優太』
『みやび芸能ランニング部 部長』
『契約・法務担当 兼務』
『昭和・平成 駄菓子資料館「ふくや」 館長 兼務』
『PTA会長 佐久間宏樹』
『さくら動物病院 動物愛護教育担当 兼務』
『こども劇団「ひだまり」 代表 兼務』
そして、その、いちばん下に。
『ご結婚・ご交際 恋愛相談室 室長 兼務』
「……………………」
オレは、名刺を、じーっと、見つめた。
「……ちょっと、まて」
声が、ひっくり返った。
恋愛相談室。
室長。
しかも。
名刺の、裏に、手書きで、小さく、書いてある。
『対象:主に、小学生』
「小学生専門!?」
思わず、叫んだ。
あわてて、口を、おさえた。
「いや、なんで!? だって、案どおりに、そうなるのかよ!?」
自分で、何を言ってるのか、わからない。
でも、ツッコまずには、いられなかった。
不審者じゃないか。
完全に、不審者じゃないか。
名刺の、いちばん下に、さらに、小さな、手書きの、メモ。
『※ただし、保護者同伴』
「そこは、ちゃんとしてるのか」
ちょっと、安心した。
スマホを、ひらく。
ギャラリー。
一番上の、新しい写真。
どこかの、公民館の、小さな、会議室。
長い机の、まん中に、「恋愛相談室」と、手書きの、札。
その前に、小学生の、女の子と男の子が、並んで、座っている。
そのうしろに、お母さんらしい人が、ふたり、腕組みして、見守っている。
札の、うしろの席で、オレが、真剣な顔で、ノートを、広げていた。
ノートの表紙は、見覚えがあった。
『ブッチ・ハヤシさん 接近作戦(秘)』
「あのノート、まだ、あるのか!」
ひとりで、ツッコんだ。
写真の下に、小さな、メモ。
『今日の相談者、六年生男子。「好きな子に、プリンを、あげたい」。だいたい、みんな、プリンなんだよな』
「プリン、定番になってる……」
笑いすぎて、腹が、いたかった。
もう一枚、スワイプする。
結婚式の、写真だった。
白い、タキシードを、着た、ブッチ。
ちょっと、お腹が、出てる。
その、となりに、ウェディングドレスの、女の人。
ひとつ結びを、ほどいて、きれいに、アップにしている。
口に、手を、当てて、笑っている。
ハヤシさんだ。
「……………………まじでっ」
声が、でた。
でかい声が、でた。
ブッチと、ハヤシさんが、結婚してる。
「ブッチ…………!」
目の奥が、じわーっと、熱くなった。
写真の、すみっこ。
「友人代表スピーチ」と、書かれた、マイクの前に、スーツ姿の、オレが、立っていた。
その横に、ユウタ。
ふたりとも、ぐしゃぐしゃの、顔で、泣いている。
写真の下に、短い、メモ。
『小5の、プリンから、二十七年。ブッチ、ほんとに、おめでとう』
「…………」
オレは、スマホを、胸に、抱えた。
よかった。
ほんとに、よかった。
前のオレは、あのとき、逃げた。
でも、今回は、ちゃんと、向き合えた。
その結果が、この、ウェディングの、写真だ。
布団に、入った。
天井を、見ながら、思った。
ここまで、いろんな、後悔を、返してきた。
ユウタ。
ふくやの、おばあちゃん。
母さん。
ムギ。
メロス。
ブッチ。
ひとつ、返すたびに、胸の中が、軽くなっていった。
でも、まだ、わからないことが、ある。
なんで、オレは、ここに、来たのか。
母さんは、なにを、知っているのか。
あの、白い、ワンピースの、女の人は、誰か。
そして。
「…………財布の、ポケットの、いちばん、奥」
オレは、がばっと、起き上がった。
財布の、いちばん、奥の、ポケット。
そこだけは、まだ、一回も、のぞいていなかった。
なんとなく、開けたら、いけない気がして。
でも、今夜は、指が、勝手に、動いた。
ポケットの、ファスナーを、そっと、ひらく。
中に、折りたたまれた、小さな、紙が、一枚、入っていた。
ゆっくり、ひらく。
古い、便せんだった。
端が、茶色く、変色している。
そこに、鉛筆で、丸っこい字が、書いてあった。
『ヒロキへ。
いつか、この手紙を、読むときが、くると思います。
そのときは、きっと、もう、母さんは、そばに、いないかもしれません。』
「…………」
息が、止まった。
そこから先は、にじんで、読めなかった。
いや、ちがう。
読むのが、こわくて、目を、そらしてしまった。
便せんを、もう一度、そっと、折りたたんだ。
手が、ふるえていた。
窓の外で、虫が、りーん、と、鳴いた。
オレは、便せんを、財布に、しまいなおした。
そして、布団に、もぐりこんで、ぎゅっと、目を、つぶった。
今夜は、まだ、読めない。
でも、いつか。
いつか、かならず。
胸の奥が、ぎゅっと、なった。
さっきまでの、あたたかいのじゃない。
重たくて、でも、どこか、やさしい、ぎゅっだった。




