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第13話 後編

そのあと。


「おおー!」


「ヒロキが、メロス!」


「似合うー!」


拍手が、ぱちぱち、起きた。


笑われなかった。


だれも、笑わなかった。


胸の奥が、じんと、あつくなった。


27年かけて、やっと、手が、上がった。


「では、メロス役は、さくまくんと、カワシマくんの、ふたりで、オーディションを、します」


「えー!? ヒロキ、きょうてきだー!」


カワシマが、ばんざいをした。


「ところで」


ヤマグチさんが、ノートを、めくった。


「セリヌンティウス役は、どうしますか? メロスの、親友の、役です」


その瞬間。


オレの、となりで、すっと、手が、上がった。


「……はい」


ユウタだった。


声は、ちっちゃかった。


でも、手は、ぴんと、のびていた。


「ぼく、やりたいです。セリヌンティウス」


「ユウタ」


「ヒロキが、メロスなら、ぼく、やる」


ユウタは、オレを、見て、えくぼを、ぽこっと、浮かべた。


教室が、ざわっとした。


「ユウタが、立候補した!」


「めずらしい!」


オレは、うれしくて、うれしくて、うれしくて。


また、ほこりが、入りそうだった。


オーディションは、体育館で、やった。


台本の、有名な、場面。


メロスが、牢屋の、親友に、会いにきて。


「私を殴れ」と、言う、あの、シーン。


オレと、カワシマが、順番に、やる。


まず、カワシマ。


「ゆるしてくれー!!! おれは、おれはー!!」


声が、でかかった。


体育館の、天井が、ビリビリ、した。


ただ、でかすぎて、ほとんど、ケンカだった。


「カワシマくん、ありがとう。次、さくまくん」


「はい」


オレは、中央に、立った。


深呼吸。


ユウタが、セリヌンティウスの、相手役として、向かいに、座っている。


小さな声で、ユウタが、言った。


「ヒロキ、がんばって」


「うん」


オレは、台本を、ぱたん、と、閉じた。


セリフは、前の晩に、全部、覚えた。


だって、27年前に、羨ましすぎて、頭に、焼きついてたんだ。


オレは、ユウタの前に、ひざまずいた。


「セリヌンティウス」


声が、でた。


低くて、かすれて、おじさんの声。


でも、体育館に、すっと、とおった。


「私を、殴れ」


ユウタの、目が、ゆれた。


「力一杯に、頰を、殴れ。……私は、途中で、一度、悪い夢を、見た」


あれ。


セリフが、勝手に、口から、でてくる。


「君がもし、私を、殴ってくれなかったら、私は、君と、抱擁する資格が、ない。……殴れ」


言いながら、気がついた。


これ。


謝る話、だ。


ユウタに、ごめんなさいを、言ったときと、ぜんぶ、おんなじだ。


約束を、破りそうになって。


信じてもらえなくなりそうで。


でも、ちゃんと、帰ってきた。


声が、ふるえた。


今度は、演技じゃ、なかった。


体育館が、しーん、と、なった。


ユウタが、立ち上がった。


そして、台本どおりに、オレの、頰を、ぺち、と、軽く、叩いた。


ほんとに、軽く。


「…………」


「…………」


それから、ユウタは、ふるえる声で、言った。


「私も、一度だけ、君を、疑った。生まれて、はじめて、君を、疑った」


「うん」


「君が、私を、殴ってくれなければ、私たちは、抱擁できない」


ユウタが、オレの、頰を、また、ぺち、と、叩いた。


そして、ふたりは、体育館の、真ん中で、ぎゅっと、抱き合った。


ユウタの肩が、ちっちゃくて、あったかい。


いつの間にか、声が、でていた。


ユウタの声は、小さくなかった。


体育館の、すみずみまで、届く、すんだ声だった。


「…………」


先生が、口を、ぽかーんと、あけていた。


「……さくま。ユウタ」


「は、はい」


「君たち、子役の、経験でも、あるのか」


「ありません」


「じゃあ、どこで、こんな」


「会社の、ほうこくで」


「会社?」


「あ、いや、夢の中で」


先生は、しばらく、オレを、見ていた。


それから、ふっと、笑った。


「まあ、いい。メロスは、さくまだ。セリヌンティウスは、ユウタ」


「やったー!」


ブッチが、体育館の、すみで、飛びはねた。


カワシマは、ふてくされるかと思ったら、肩を、ぽんと、叩いてきた。


「ヒロキ、お前、すげーな。おれ、山賊やるわ。山賊も、かっこいいし」


「カワシマ」


「な、なんだよ」


「山賊、一番、かっこいいよ」


「だろ!?」


カワシマは、満面の笑みで、去っていった。


ちょろい。


でも、いいやつだ。


それから、二週間。


稽古の、毎日。


台本を、持って。


放課後の、体育館で。


「メロスは、激怒した」


「それ、もっと、ぜんぶの力で!」


「え、むずかしい」


「メロス、怒るの、へたくそー!」


「こら、ブッチ!」


怒るのが、むずかしいのは、ほんとだった。


だって、37歳の、怒り方は、ぜんぶ、胃の中に、たまる系だ。


「ぜんぶ、胃に、たまって」


「いにたまる、ってなに?」


「大人は、そうなるの」


「へー」


でも、ある日、気がついた。


メロスの、怒りは、胃に、ためたら、だめなんだ。


走り出す、力に、変えなきゃ、いけない。


オレは、会社で、怒れなかった、いろんなことを、思い出した。


上司の、一言とか。


ノルマの、数字とか。


飲み会の、居心地の、悪さとか。


「メロスは、激怒した。必ず、かの、邪智暴虐の王を、除かなければならぬと、決意した」


体育館の、空気が、ぴりっ、とした。


「ヒロキ、いま、すごかった……」


「こわかった」


「ほんとに、おこってた」


あ。


やっぱり、おこってた、かもしれない。


「……すまん」


「ううん。かっこよかった!」


走るシーンは、もっと、大変だった。


メロスは、走る。


走って、走って、走る。


舞台の上で、その場で、足踏みをして、うしろの背景が、まわっていく仕掛けだ。


川を、渡って。


山賊に、襲われて。


でも、オレは、37歳だ。


「ぜえ、ぜえ、ぜえ」


足踏みを、三十秒した、だけで。


「ヒロキ、息、荒すぎない?」


「演技だ。演技」


「演技にしては、リアルすぎる」


先生が、後ろで、感心している。


「さくま、そのリアルさ、本番でも、頼むぞ」


「あ、はい」


いや、演技じゃ、ないんだけど。


学芸会の、一週間前の、夜。


オレは、ふすまの、すきまから、居間の、明かりが、もれているのに、気がついた。


のぞいたら、母さんが、ミシンの前に、すわっていた。


布を、縫っている。


メロスの、衣装だ。


茶色の、ぼろぼろの、マントっぽいやつ。


その、となりに、ミキの、ねずみの、衣装。


「……母さん」


「あら、ヒロキ。まだ、起きてたの」


「うん」


「ちょっと、待ってね。もう少しで、できるから」


母さんは、針を、動かしながら、言った。


「ヒロキの衣装、ちょっと、ゆとりを、持たせて、作ったのよ」


「え、どうして?」


「だって、舞台で、いっぱい、動くでしょう?」


「…………」


動く。


そうだ。


前のオレは、主役に、立候補すら、できなかった。


母さんは、それを、知ってる。


「それに、ね」


母さんの手が、すこし、止まった。


「最後まで、着てくれるかしら、って、思って」


「え?」


「ううん、なんでもない」


母さんは、にっこり、笑って、また、ミシンを、踏みはじめた。


カタカタカタ。


その音を、聞きながら、オレは、ふすまを、そっと、閉めた。


最後まで、って、なんだ。


学芸会が、終わるまで?


それとも。


もっと、先の話?


聞きたかった。


でも、また、聞けなかった。


本番の日。


体育館は、保護者で、ぎっしりだった。


幕の、うしろで、オレは、衣装に、着替えた。


母さんが縫った、茶色のマントは、びっくりするほど、ぴったりだった。


大きめ、って、言ってたのに。


37歳の、体に、ぴったり。


なんで。


「ヒロキ、かっこいい!」


ミキが、ねずみの耳を、つけて、駆け寄ってきた。


「兄ちゃん、メロスだ!」


「おう。ミキも、ねずみ、似合ってるぞ」


「ねえ、わたし、緊張してきた」


ミキは、ぎゅっと、オレの、マントを、つかんだ。


「うまく、言えなかったら、どうしよう」


「だいじょうぶだ」


オレは、しゃがんで、ミキの、目を、見た。


「ミキ。『うんとこしょ、どっこいしょ』は、ひとりで、言うんだよな」


「うん」


「うまく言えなくても、いいんだ。だいじなのは、元気に、言うこと」


「元気に?」


「そう。元気に、言ったら、お客さんも、にっこりする」


ミキは、ぱちぱち、まばたきをした。


それから、にこっと、笑った。


「わかった!」


そう言って、ミキは、出番の、袖に、走っていった。


2年生の、『おおきなかぶ』は、先だった。


袖から、こっそり、見ていた。


おじいさんが、おばあさんが、まごが、犬が、猫が、ぞろぞろ、かぶを、引っぱる。


「うんとこしょ!」


「どっこいしょ!」


でも、かぶは、ぬけない。


そこで、ミキが、ちょこちょこと、出てきた。


「ねずみが、来ました!」


ミキの声は、体育館中に、ひびいた。


元気、すぎた。


「うんとこしょっ!! どっこいしょっ!!!」


でかい。


でかすぎる。


保護者席が、わっと、笑った。


かぶが、ぽん、と、ぬけた。


ミキは、舞台で、胸を張って、ぴょんぴょん、跳ねた。


「ぬけたー!!!」


「ミキ、台本ちがう!」


どこかで、先生が、小さく、つっこんでいた。


でも、拍手が、すごかった。


袖で、オレは、腹を、かかえて、笑った。


目の奥が、つーん、とした。


ミキ、お前、最高だ。


そして、5年2組の、番がきた。


幕が、あがる。


ライトが、まぶしい。


体育館の、ステージの、あの、熱さ。


27年ぶりだ。


前のオレは、この、ライトの下で、木だった。


いま、オレは、メロスだ。


観客席が、暗闇の中で、ざわざわしている。


ビデオカメラの、ランプが、あちこちで、赤く、点いている。


その中に、父さんの、大きなカメラが、見えた。


母さんの、顔も、見えた。


ミキは、母さんの、膝の上で、手を、ふっている。


ふと、客席の、いちばんうしろの、かべぎわに。


見たことの、ない、人影が、立っていた。


白い、ワンピースを、着た、女の人。


長い髪を、うしろで、ひとつに、まとめて。


じっと、こっちを、見ている。


光の、せいか、顔は、よく、見えない。


……誰だ?


でも、考えているひまは、なかった。


「メロスは、激怒した」


ナレーションが、はじまった。


オレは、走り出した。


その場で、足踏み。


背景が、まわる。


川を、渡る。


山賊の、カワシマが、ぬっ、と出てくる。


「ここを、通りたければ、おれを、たおしてゆけ!」


「通せ! 私には、命を、かけた、約束が、あるのだ!」


カワシマの、迫力が、すごい。


オレも、本気で、棍棒を、ふりおとす。


観客席が、どっと、わいた。


走って、走って、息が、あがる。


肺が、焼ける。


ひざが、痛い。


37歳の、本気の、ぜえぜえ。


観客席が、しーんと、している。


「……リアルすぎない?」


「あの子、ほんとに、疲れてる……」


そのとおりです。


ほんとに、疲れてます。


そして、ついに、牢屋の、シーン。


ユウタが、鎖に、つながれて、座っている。


夕日の、照明が、ふたりを、照らす。


「セリヌンティウス」


オレは、ひざまずいた。


「私を、殴れ」


体育館の、空気が、止まった。


ユウタが、オレの、頰を、そっと、叩く。


それから、ユウタは、かすかに、ふるえる声で、言った。


「メロス。私を、殴れ」


その声は、体育館の、すみずみに、ひろがった。


すんでいて、まっすぐで、泣きたくなるほど、きれいな声。


オレは、ユウタの、頰を、そっと、叩いた。


そして、ふたりは、抱き合った。


「…………っ」


保護者席から、すすり泣きが、きこえた。


ブッチの、お母さんが、ハンカチを、目に、あてている。


ヤマグチさんの、お母さんが、肩を、ふるわせている。


父さんは、ビデオカメラを、かまえたまま、ぼろぼろ、泣いていた。


画面、ぶれてるだろ、それ。


ぎゅっと、抱き合ったまま、オレは、ユウタの、耳もとで、小さく、言った。


「ユウタ。ありがとう」


「うん」


ユウタが、小さく、笑った。


「ヒロキ。ありがとう」


幕が、おりた。


一瞬の、静けさ。


そのあと。


体育館が、爆発したみたいな、拍手が、わき起こった。


「ブラボー!」


「すばらしい!」


どこかの、お父さんが、立ち上がっている。


オレは、舞台の、ライトの下に、立ち尽くしていた。


27年前の、ぼーっと立ってた、木の、オレに。


言いたかった。


おい。


お前、メロス、やれるよ。


幕が、あがって、カーテンコールが、終わって。


袖に、はけたとき。


母さんが、舞台の裏まで、来てくれていた。


「ヒロキ」


「母さん」


「かっこよかったわよ」


母さんは、オレの、頭を、ぽんぽん、叩いた。


その目が、少し、赤かった。


「ねえ、ヒロキ」


「ん?」


「いまの、あなたの、メロス。母さん、一生、忘れない」


「大げさだよ」


「ううん」


母さんは、首を、ふった。


それから、小さい声で、言った。


「ちゃんと、見られて、よかった」


ちゃんと、見られて。


その、言い方が。


胸のあたりに、ひっかかった。


「……母さん」


「なあに」


「あの、客席の、うしろに」


白い、ワンピースの、人影。


さっきの、人。


「立ってた、人、いたよね?」


母さんは、きょとんと、した。


「どの人?」


「白い、ワンピースの、女の人」


「さあ。気づかなかったわ」


母さんは、首を、かしげた。


でも、その目が、一瞬だけ、ゆれたのを、オレは、見逃さなかった。


「ほら、着替えなさい。みんなで、お赤飯、食べるわよ」


「え、また?」


「がんばった日は、お赤飯でしょ」


母さんは、笑って、行ってしまった。


さっきの、人影は、誰だったんだろう。


その夜。


財布を、ひらいた。


名刺入れの、いちばん上から、順番に、見る。


『株式会社 みやび芸能 マネージャー 佐久間宏樹』


『担当アーティスト 水野 優太』


『みやび芸能ランニング部 部長』


『契約・法務担当 兼務』


『昭和・平成 駄菓子資料館「ふくや」 館長 兼務』


『PTA会長 佐久間宏樹』


『さくら動物病院 動物愛護教育担当 兼務』


そして、その、いちばん下に。


『こども劇団「ひだまり」 代表 兼務』


「…………」


オレは、名刺を、五秒、見つめた。


「……兼務、何個目だよ」


数えるのを、やめた。


でも、おかしくて、笑ってしまった。


こども劇団。


代表。


ちょっと、考えてみた。


オレが、小5の、子どもたちに、演技を、教えている。


ステージの、袖で。


「もっと、胸から、声を、出して」


とか言って。


名刺の、裏には、手書きで、一行。


『主に、小学校の、学芸会に、出張しています』


……学芸会、専門の、劇団、か。


スマホを、ひらく。


ギャラリー。


一番上の、新しい写真。


どこかの、小学校の、体育館。


舞台の、袖で、黒い服の、オレが、子どもたちに、囲まれている。


子どもたちは、みんな、手に、台本を、持っていて。


オレの手には、付箋だらけの、台本。


その、すみっこ。


客席に、女の人が、すわっていた。


大人の、ミキだ。


となりに、小さな子どもが、ふたり。


ミキは、オレが、知ってる、ミキより、ずいぶん、落ち着いた顔を、している。


でも、前歯の、すきまが、あった頃と、おんなじ、笑い方だった。


写真の、下に、メモ。


『姪っ子、初主演。ミキ「兄ちゃん、泣きすぎ」。いや、泣いてない。ほこりだ』


「…………ほこり、って」


そこだけ、ずっと、変わってない。


オレは、スマホを、持ったまま、声を、出して、笑った。


財布の、ポケットを、のぞくと、新しい物が、一枚、入っていた。


緑の、フェルトの、葉っぱ。


ちっちゃくて、ちょっと、色あせて。


裏に、マジックで、書いてある。


『木その2 より、メロスへ』


「…………」


指先が、ふるえた。


ふくやの、あたり券。


ムギの、お守り。


メダル。


その、となりに、葉っぱが、ちょこんと、はさまった。


財布が、また、すこし、重くなった。


翌朝。


ランドセルを、背負って、家を、出ると、門のところに、ブッチが、立っていた。


めずらしく、静かだった。


「ブッチ、おはよ」


「おー」


「どうした? 元気ない?」


「いや、あの」


ブッチは、もじもじ、して、うつむいた。


それから、ぼそっと、言った。


「ヒロキ。おれ、好きな子、できたかも」


「へー、ブッチ、いいじゃん」


「でも、その子さ」


ブッチは、ちらっと、あたりを、見回して、小声で、続けた。


「ハヤシさん、なんだよね。メロスの、妹役、やってた」


その名前を、聞いた瞬間。


オレの、頭の中に、ぱっと、光景が、ひらいた。


放課後の、教室。


夕日。


ハヤシさんの、ひとつ結びの、後ろ姿。


小5のオレが、それを、じっと、見ている。


そして、その、となりに、いたのは。


「…………ブッチ」


あれ。


前のオレも、ハヤシさんが、好きだった。


ブッチも、好きだった。


ふたりとも、お互いに、言えなくて。


気まずくて。


そして、何も、できないまま、終わった。


「ヒロキ、どうしよう」


ブッチが、泣きそうな顔で、言った。


「おれ、どうしたらいい?」


オレは、ブッチの、丸い顔を、見つめた。


朝の、風が、ふたりの間を、ぬけていった。


「……おいおいおい」


つぶやいた声は、やっぱり、おじさんの声だった。


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