第12話 後編
放課後。
オレと、サトウさんと、ユウタと、ブッチは、先生の車の後ろに乗って、「さくら動物病院」に向かった。
段ボール箱の中で、ムギは、ぐったりしていた。
「ムギ、がんばれ」
ブッチが、小声で、ずっと言っている。
「ムギ、がんばれ、ムギ、がんばれ」
「ブッチ、うるさい」
「だって、心配なんだもん!」
「わかってる。オレも」
声が、ちょっと、ふるえた。
病院は、こじんまりとした、白い建物だった。
待合室に、犬と猫と、飼い主さんが、数人。
壁に、手書きの、「ワクチンは、お早めに」の紙。
「はい、お待たせしました」
診察室から、出てきたのは、白衣のおじいちゃん先生だった。
メガネの奥の目が、やさしそうで、手が、ごつごつしている。
胸の名札に、「院長 桜井」。
「ウサギさんだね。ちょっと、見せてごらん」
先生は、ムギを、そっと、診察台に、のせた。
聴診器を、あてて。
おなかを、やさしく、押して。
「うーん。胃腸が、止まりかけてるね」
「うっ」
「でも、間に合ったよ。ここまで、来られて、よかった」
先生は、にっこり、笑った。
「どんなごはん、あげてたのかな?」
「給食の残りの、野菜と、にんじんと、キャベツです」
サトウさんが、答えた。
「牧草は、あげてなかったの?」
「はい……」
「なるほど。ウサギは、牧草が、主食なんだ。野菜ばかりだと、水分が多くて、おなかが、ゆるくなったり、逆に、動かなくなったりするんだよ」
先生は、ムギのおなかを、さすりながら、言った。
サトウさんの目が、うるうるしてきた。
「わたしのせい……?」
「ちがうよ」
オレは、思わず、言った。
「だれも、知らなかったんだ。知らなかったことは、悪いことじゃない。これから、知ればいい」
先生が、ふっと、オレを、見た。
「いい子だね。きみ、名前は」
「さくまです」
「さくまくん。きみ、ウサギのこと、くわしいね」
「ちょっとだけ、です」
「そうか」
先生は、ムギに、小さな注射を、した。
それから、薬を、いくつか、出してくれた。
「今日は、安静に。ごはんは、牧草を、中心にね。それと、水を、ちゃんと、飲ませて」
「はい!」
「あとは、毎日、見てあげること。それが、いちばんの薬だよ」
その言葉が、胸に、ずしんと、きた。
毎日、見てあげること。
前のオレは、それが、できなかった。
牧草は、駅前の、ペットショップで、買った。
小さな袋で、400円。
オレの、今月のお小遣いの、予備費、100円では、ぜんぜん足りない。
「あー……」
「ヒロキ、どうする?」
「…………」
財布を、ひらいた。
3284円。
令和の、お札と、小銭。
使えない。
使っちゃ、いけない気がする。
でも、いま、ムギが、待ってる。
迷って、いたら、うしろから、声がした。
「ヒロキ」
ユウタだった。
手に、百円玉を、三枚、のせていた。
「ぼくの、お小遣い。足りなかったら、これ」
「え、でも」
「ぼくも、ムギ、助けたいから」
ブッチも、ポケットから、百円玉と、五十円玉を、出してきた。
「おれも!」
「わたしも!」
サトウさんまで。
「…………」
オレは、手の中の、じゃらじゃらを、見た。
予備費、100円。
ユウタの、300円。
ブッチの、150円。
サトウさんの、200円。
合計、750円。
「……ありがとう。ぜったい、返す」
「返さなくて、いいよ」
「いや、返す。お小遣い帳に、書いとく」
「あはは。ヒロキ、お小遣い帳、つけてるんだ!」
笑いながら、牧草を、買った。
袋を、ぎゅっと、胸に抱えた。
ふわっと、草の、いいにおいがした。
それから、毎日。
朝は、早く、学校に来て、小屋の掃除。
昼休みに、水を、取りかえる。
放課後は、牧草と、ペレットを、あげて、うんちを、チェック。
「今日も、ころころ!」
「やった!」
ムギの、うんちを見て、よろこぶ、小5と、37歳。
絵面が、ひどい。
でも、ほんとに、うれしかった。
三日目。
ムギが、牧草を、ぽりぽり、かじりはじめた。
五日目。
ムギが、小屋の中を、ぴょん、と、跳ねた。
七日目。
ムギが、オレの手のひらから、直接、牧草を、食べた。
「……食べた」
「食べたー!!」
「ムギー!!」
ブッチが、でっかい声で、叫んだ。
サトウさんが、泣いていた。
ユウタが、ぱちぱち、拍手していた。
オレは、ムギの、ちいさな、鼻先を、見つめた。
ひくひく、動いている。
あったかい。
生きてる。
生きてるんだ。
胸の奥が、じーんと、あつくなった。
その日の、帰りの会。
ヤマグチさんが、前に出て、言った。
「では、『今日の、いいところ』の時間です」
「はーい!」
「今日は、ムギが、元気になりました。みんなの、おかげです」
ヤマグチさんは、ノートを、ぱらっと、めくった。
「サトウさんは、毎日、小屋を、きれいに、してくれました。ユウタくんと、ブッチくんは、お小遣いを、出してくれました」
「えへへ」
「そして、さくまくん」
ヤマグチさんが、オレのほうを、見た。
「さくまくんは」
「え、オレ?」
「毎日、ムギを、見てあげていました。それが、いちばん、すごいと、思います」
教室が、ぱちぱち、拍手に、つつまれた。
オレは、うつむいた。
また、涙が、出そうだ。
「ヒロキ、また、ほこり?」
ブッチが、にやにや、している。
「ちがう。これは、あれだ」
「あれ?」
「なんか、あれ」
「説明に、なってないよ」
みんなが、笑った。
オレも、笑った。
その夜。
財布を、ひらいた。
名刺入れの、いちばん上。
『株式会社 みやび芸能 マネージャー 佐久間宏樹』
『担当アーティスト 水野 優太』
『みやび芸能ランニング部 部長』
『契約・法務担当 兼務』
『昭和・平成 駄菓子資料館「ふくや」 館長 兼務』
『PTA会長 佐久間宏樹』
そして、その、いちばん下に。
『さくら動物病院 動物愛護教育担当 兼務』
「…………」
オレは、名刺を、五秒、見つめた。
「…………どんだけ、兼務するんだよ」
もう、ツッコむ元気も、あんまり、ない。
でも、笑ってしまった。
さくら動物病院。
あの、おじいちゃん先生の、病院だ。
そこで、「動物愛護教育担当」って、なんだ。
名刺の、裏を、見た。
手書きで、小さく、書いてある。
『小学校を、まわっています。ウサギと、いっしょに』
ウサギ。
ウサギと、いっしょに、小学校を、まわる、オレ。
スマホを、ひらく。
ギャラリー。
一番上の、新しい写真。
どこかの、小学校の、校庭。
ブルーシートの上に、子どもたちが、ぎっしり、座っている。
その前で、白衣の、オレが、でかいケージを、持っていた。
ケージの中には、白くて、耳の先だけ、茶色い、ウサギ。
子どもたちは、目を、きらきらさせて、その子を、見つめている。
ケージの、札に、小さな、文字。
『ムギ 二代目』
「…………二代目」
声が、でた。
オレは、笑った。
笑いながら、目の奥が、つーんと、した。
ムギの、二代目。
だったら、初代は、いまも、元気なのか。
それとも、ちゃんと、天寿を、まっとうしたのか。
写真の、すみっこに、小さな、フレームが、あった。
古い、写真立てだ。
その中の、写真は、色あせた、ウサギの、写真。
白くて、耳の先が、茶色い。
『ムギ 初代 十一歳』
「……十一歳」
ウサギとしては、すごい、長生きだ。
「……ごめんな、ムギ」
つぶやいた。
「あのとき、ごめんな」
写真の中の、ムギは、なにも、答えなかった。
でも、なんとなく、のんびり、した顔をして、見えた。
ふくやの、あたり券の、となりに、また、ちっちゃなものが、財布に、増えていた。
ウサギの、毛。
ふわふわの、白い毛が、ちいさな、ビニール袋に、入っていた。
ラベルに、小さく。
『ムギの、お守り』
財布が、また、ちょっと、重くなった。
布団の中で、天井を、見ていたら、ふすまの向こうで、母さんの、足音が、止まった。
「ヒロキ、まだ、起きてる?」
「うん」
「ムギ、元気になって、よかったわね」
「……うん」
「あなた、えらかったわ」
ふすまが、すっと、あいた。
母さんが、廊下の、明かりを、背にして、立っていた。
エプロンを、はずしている。
髪も、ほどいている。
いつもより、ちょっと、おとなしい感じ。
「ヒロキ」
「ん?」
「あんまり、がんばりすぎなくて、いいのよ」
「え?」
「ゆっくり、やりなさい。時間は、まだ、あるから」
時間は、まだ、ある。
その言い方が、また、ひっかかった。
「母さん」
「なに?」
「あの、昨日の夜」
「……」
「いや、なんでもない」
聞けなかった。
母さんは、少しだけ、笑った。
「おやすみ、ヒロキ」
「おやすみ」
ふすまが、しまった。
足音が、遠ざかっていく。
オレは、天井を、見つめた。
時間は、まだ、ある。
じゃあ、いつかは、なくなる、ってことか。
胸の奥が、ぎゅっと、なった。
さっきまでの、あたたかい、ぎゅっじゃない。
ちょっとだけ、さびしい、ぎゅっだった。
枕もとの、机の上に、ふくやの看板が、立てかけてある。
その横に、七つの駄菓子の箱。
そのとなりに、ムギの、お守りが、ちょこんと、置かれた。
オレの部屋は、少しずつ、にぎやかに、なっていく。
そのたびに、母さんの声が、少しずつ、やさしくなっていく気がした。
気のせい、かもしれない。
でも、気のせいじゃ、ないかもしれない。
そのとき、廊下の向こうから、ミキの、元気な声が、聞こえた。
「おかあさーん! わたしの学芸会の、役、決まったよー!」
学芸会。
その、三文字を聞いた瞬間、オレの体が、ぴくっと、反応した。
学芸会。
演劇。
そうだ。
オレ、あのとき、主役に、立候補、できなかったんだった。




