第12話「ムギと、牧草と、ほこり」
朝ごはんのとき、オレは母さんの顔を、ちらちら見ていた。
「ヒロキ、なにその顔。卵焼き、なんかついてる?」
「ううん。ついてない」
「じゃあ、ぼーっとしないで、食べなさい」
母さんは、いつもどおりだった。
味噌汁をよそって、ミキの口のまわりを拭いて、父さんの新聞を、さりげなく取り上げている。
昨日の夜の、あれは、夢だったんじゃないか。
「ちゃんと、見送ってあげましょう」
……いや、夢じゃない。
耳に、はっきり残ってる。
でも、聞かなかったことにした。
聞いたら、何かが終わる気がした。
根拠はない。
ただの勘だ。
オレは、卵焼きを、口に押しこんだ。
甘い。
焦げてる。
いつもの味だった。
学校に着くと、校庭のすみの飼育小屋の前に、人だかりができていた。
「どうしたの?」
「ヒロキ! ムギが、ごはん、食べないんだって!」
ブッチが、いまにも泣きそうな顔で、振り向いた。
ムギ。
白くて、耳の先だけ茶色い、うちの学校の、ウサギだ。
その名前を聞いた瞬間、胃のあたりが、すっと、冷たくなった。
思い出した。
ムギ。
前のオレが、死なせてしまった、ウサギだ。
前のオレは、飼育係だった。
くじ引きで、あたった。
最初の二週間くらいは、ちゃんとやった。
でも、だんだん、めんどうになった。
朝は、眠い。
放課後は、ゲームがしたい。
「あとで、いいや」
そう思って、一日、さぼって。
「きのうも、さぼったし、もういいや」
そう思って、また、さぼった。
そして、ある朝。
小屋の中で、ムギは、冷たくなっていた。
白い毛が、ちょっと、汚れていた。
先生は、オレを、怒らなかった。
ただ、「かわいそうなことをしたね」と、言った。
それが、いちばん、つらかった。
怒られたほうが、まだ、ましだった。
「ムギ、きのうから、ぜんぜん、にんじん食べないの」
飼育係の女子が、言った。
サトウさん。
ほっぺが、まるくて、いつもウサギ用の、ちっちゃいスコップを、ポケットに入れている子だ。
「うんちも、ちっちゃくて、少ないの」
「え、うんちが?」
「うん。いつもは、まるくて、ころころなのに」
オレは、小屋の中を、のぞきこんだ。
ムギは、すみっこで、まるくなっていた。
耳が、ぺたんと、寝ている。
目は、あいているけど、ぼんやりしている。
足もとには、にんじんと、キャベツの、切れはしが、手つかずで、落ちていた。
あ。
これ、やばいやつだ。
ウサギが、ごはんを食べないのは、ほんとに、危ない。
いつか、テレビで、見た。
ウサギは、胃腸が止まると、あっという間に、弱ってしまう。
「サトウさん。ムギ、毎日、なに食べてる?」
「えっと、給食の、残りの、野菜と、にんじんと、キャベツ」
「牧草は?」
「ぼくそう?」
サトウさんは、きょとんとした。
「あの、草みたいな、乾燥した、やつ。細長い」
「ううん。ないよ」
……やっぱり。
ウサギに、水っぽい生野菜ばっかり、あげてた。
前のオレが、さぼって、野菜だけ、ほうりこんでいたときも、たぶん、それだ。
そして、ムギは、おなかを、こわした。
胸の奥が、ぎゅっと、なった。
あのときの、あの、冷たくなった体。
「先生を、呼んでくる!」
オレは、走った。
結論から言うと、先生は、ちゃんと、動いてくれた。
タカハシ先生は、小屋を、のぞきこんで、「あー」と、困った顔をした。
「ちょっと、ようすを、見ようか」
「先生。ようすを、見てたら、間に合わないかもしれません」
「え?」
「ウサギは、ごはんを、食べない状態が、半日以上つづくと、危ないんです。動物病院に、連れていったほうが、いいと、思います」
先生が、目を、まるくした。
「さくま、くわしいな」
「……あの、本で、読みました」
「本で」
「夢の中で」
「夢の中で、また、勉強か」
先生は、ふっと、笑った。
でも、すぐに、まじめな顔になった。
「わかった。校長先生に、相談してみる。でも、学校のウサギが、動物病院に行くなんて、前例がなくてな」
「前例、なければ、つくりましょう」
また、会議のスイッチが、入りかけた。
でも、先生は、気にせず、うなずいた。
「それは、さくまが、いちばん、言いたいことなんだな」
「はい」
「わかった。放課後、先生と、いっしょに、近くの病院に、行こう」
先生は、オレの肩を、ぽんと叩いた。
その手が、思ったより、あったかかった。




