第10話「ふくやの、最後の十日間」
朝イチで、財布の中身を、ちゃぶ台の上に広げた。
千円札が三枚。
小銭が、284円。
3284円。
37歳の全財産だ。
「お兄ちゃん、なにそれ。おもちゃのお金?」
ミキが、千円札を一枚つまんで、ひっくり返した。
「この人、だれ? ヘンな人」
「ヘンな人って言うな。えらい医学の人だ」
「いがく?」
そう、新札だ。
令和の新しい千円札。
1999年の世界に持ってきたら、どう見ても、ただの、よくできたおもちゃである。
小銭のほうも、十円玉の年号を見たら、「令和」って彫ってあった。
これを駄菓子屋で出したら、おばあちゃん、どんな顔するんだろう。
……やばっ。
考えただけで、冷や汗が出た。
「ヒロキ、そのお金、しまいなさい。ごっこ遊びなら、ミキと夕方にね」
母さんは、いつもどおり、あっさりしていた。
そうか。
つまり、このお金は、使わないほうがいい。
使えない、というより、使っちゃいけない気がする。
根拠はない。ただの勘だ。
オレの手持ちは、毎月1日にもらう、お小遣い。
500円。
これで、勝負するしかない。
「母さん、お小遣い帳、ちょうだい」
「あら、めずらしい」
母さんは、目を丸くして、引き出しから、薄いノートを出してきた。
表紙に、「おこづかいちょう」と、ひらがなで書いてある。
前のオレは、これを、三日でやめた。
最初のページだけ、字が、きれいだ。
二ページ目から、「おかし」「おかし」「おかし」で、埋まっている。
そして、三ページ目から、真っ白。
「見てくれ、母さん」
オレは、新しいページに、定規で、線を引いた。
左に、「借方」。
右に、「貸方」。
「しゃ……なに?」
「複式簿記。お金の出入りを、二つの面から、記録するんだ」
「ふくしき、ぼき」
母さんが、ぽかんとしている。
「たとえば、『駄菓子費』と『文房具費』と『予備費』に、分けて、月初に、予算を割り当てる。それで、月末に、差異を分析する」
「…………」
「あ、えっと、つまり、ちゃんと、つけるってこと」
「ヒロキ」
母さんが、そっと、オレの肩に手を置いた。
目が、うるうるしている。
「あんた、なんて、几帳面な子に、なったの」
「え」
「お父さんにも、見せなきゃ!」
母さんは、ばたばたと、居間に走っていった。
「あなたー! ヒロキが、ふくしきぼきを、してるー!」
「えっ、なに? ヒロキが、なんだって?」
……なんで、感動されてるんだ。
37歳が、小5の予算を、複式簿記で管理してるんだぞ。
もっと、引いてくれ。
放課後。
オレは、ブッチを引っぱって、駅前の、証券会社に、来ていた。
ガラス張りの、ビル。
入り口に、株価の電光掲示板が、ずらーっと、流れている。
「ヒロキ、なにしに来たの?」
「お小遣いを、増やしに来た」
「ふやす?」
「そう。未来に、でっかくなる会社の株を、いま、買うんだ」
オレは、頭の中で、ガッツポーズをした。
だって、そうだろう。
1999年。
あの、検索の会社も。
あの、ネットで本を売る会社も。
まだ、ちっちゃいころだ。
いま、買っておけば、27年後には。
「いらっしゃいませ」
窓口の、おねえさんが、にこっと、笑った。
「ぼく、どうしたの? 迷子かな?」
「いえ。株を、買いたいんです」
「…………」
おねえさんの、笑顔が、ぴきっと、固まった。
「えっと、ぼく、いくつかな?」
「小学5年生です」
「お母さんは?」
「いません」
「じゃあ、お母さんと、いっしょに、来てね」
「いや、でも、資金は、ここに」
オレは、500円玉を、カウンターに、ことん、と置いた。
「…………」
「…………」
おねえさんは、500円玉を、じーっと見て、それから、すごく、やさしい顔で言った。
「ぼく。ひとつの会社の株を買うには、だいたい、数十万円は、必要なの」
「す、数十万」
「それに、口座をつくるには、大人の人の、署名が、いるのよ」
「そ、そんな」
「でも、えらいね。お金の、お勉強なんて」
おねえさんは、500円玉を、そっと、オレの手に、返してくれた。
ブッチが、うしろで、こそっと言った。
「ヒロキ、神でも、できないことあるんだ」
「うるさい」
外に出た。
電光掲示板が、ちかちか、光っている。
悔しい。
でも、ちょっと、ほっとした。
小学生に、株が買えない世の中で、よかった。
……いや、よくはないか。
どっちだ。
「作戦変更だ、ブッチ」
「え?」
「株がだめなら、モノだ。将来、価値が上がりそうなものを、買い占める」
「かいしめる?」
「そう。たとえば、駄菓子。いまのパッケージは、数年したら、なくなる。そしたら、希少価値が、出る」
「きしょう、かち」
「箱ごと、とっておくんだ」
「食べないの?」
「食べない」
「えー! もったいないじゃん!」
ブッチは、本気で、悲しそうな顔をした。
そうだよな。
小5にとって、食べない駄菓子は、罪だ。
「でもまあ、ヒロキが言うなら、ついてく!」
「ありがとう」




