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第9話 後編


「わたし、ほんとは、言いたかったの」


ヤマグチさんが、ぽつりと、言った。


「音楽のとき、いい歌だったって。リレーのときも、すごく、がんばってたねって」


「……うん」


「でも、どうしても、注意の、言い方しか、できなくて」


ヤマグチさんは、鼻を、すすった。


「おかあさんが、いつも、『ちゃんとしなさい』って言うから、わたしも、ちゃんと、しなきゃ、って」


「…………」


「そしたら、みんな、わたしのこと、うるさいって」


胸の奥が、ずきんと、した。


ああ。


この子も、そうだったんだ。


オレは、ゆっくり、近づいて、ヤマグチさんの、となりに、しゃがんだ。


ひざが、ミシッと、鳴った。


「あのさ」


「……なに」


「オレ、ほんとは、ヤマグチさんの注意、けっこう、ありがたかったんだ」


「うそ」


「うそじゃない」


これは、ほんとだった。


「オレ、これから先、ずっと、先のほうで、誰にも、注意、されなくなるんだよ」


「……え?」


「間違ってても、誰も、教えてくれなくなる。それ、けっこう、さびしい」


ヤマグチさんは、きょとんと、した。


あ、やばい。


たぶん、意味が、わからない。


「あ、えーと、つまり、その」


「…………」


「ヤマグチさんは、えらいと、思う」


あー。


やっぱり、ぜんぜん、うまく、言えない。


でも、ヤマグチさんは、ふっと、小さく、笑った。


「さくまくん、いま、会社の人みたいだった」


「それ、ミキにも、言われた」


「ミキ?」


「妹」


「ふふ。妹さん、いい人だね」


ヤマグチさんは、メガネを、かけなおして、赤い目で、オレを、見た。


「……わたしも、ごめんなさい」


「え」


「さくまくんが、がんばってたのに、悪いところばかり、探して」


「それは、ぜんぜん」


「ううん。ちゃんと、ほめる、ところも、ちゃんと、言えるように、なりたい」


ヤマグチさんは、立ち上がった。


「議長として、ひとつ、提案があります」


「え」


「帰りの会で、『今日の、いいところ』を、ひとり、一個ずつ、言うのは、どうでしょう」


「…………」


「注意するだけじゃ、だめだと、思ったので」


オレは、笑ってしまった。


「賛成です」


「ほんと?」


「議長に、賛成」


「採決は、みんなで、とります」


「それも、そうだ」


ふたりで、顔を、見あわせて、笑った。


ヤマグチさんの、目は、まだ、赤かった。


でも、さっきより、ずっと、明るい、顔だった。


教室に、もどると、みんなが、まだ、そこにいた。


カワシマが、もじもじしながら、前に出てきた。


「あのさ、委員長。さっき、ブスって言って、ごめん」


「…………」


「あと、ヒロキ。さっきの、ソンガイ、バイショー、って、ほんとに、あるの?」


「あるよ」


「うわ、こわ」


「でも、ごめん、って言えば、だいたい、許してもらえる」


「それ、ずるくね?」


「ずるくない。いちばん、むずかしいんだ」


教室が、ふっと、笑いに、つつまれた。


ヤマグチさんが、黒板に、チョークで、書いた。


『帰りの会 今日のいいところ(提案)』


「賛成の人」


ぱらぱらと、手が、挙がった。


ぱらぱら、が、どんどん、ふえて。


ほとんど、全員の、手が、挙がった。


ヤマグチさんは、目を、ぱちぱちさせて、それから、ほんの少し、笑った。


はじめて、見た、笑い顔だった。


その夜。


部屋の机の、引き出しから、財布を、出した。


名刺入れを、ひらく。


『株式会社 みやび芸能 マネージャー 佐久間宏樹』


『担当アーティスト 水野 優太』


『みやび芸能ランニング部 部長』


そして、その、すぐ下に。


『契約・法務担当 兼務』


……増えてる。


どんどん、兼務、ふえてない?


「いや、ブラックじゃない?」


思わず、声に出た。


でも、そのとき、名刺入れの、いちばん、奥に、見たことのない、一枚が、はさまっていた。


オレのじゃ、ない。


他の人の、名刺だ。


白くて、きちんとした、シンプルなデザイン。


『やまぐち法律事務所 弁護士 山口 あかね』


「…………」


言葉が、出なかった。


山口。


あかね、って、ヤマグチさんの、下の名前だ。


そういえば、さっき、黒板に、書いてあった。


ヤマグチさんは、弁護士に、なるのか。


しかも、オレの、名刺入れに、入ってる。


ってことは、未来で、仕事で、つきあいがあるんだ。


スマホを、ひらいた。


ギャラリーの、一番上。


会議室の、写真。


長いテーブルの、向こうに、メガネをかけた、ひとつ結びの女の人が、すわっている。


髪は、おさげじゃ、なくなっていたけど、あのきりっとした目は、そのままだ。


その、となりには、ユウタ。


そして、その向かいに、書類の、山に、囲まれて、ぺこぺこ、頭を、下げているオレ。


写真の下に、小さな、メモ。


『契約更新、ありがとうございます。山口先生、今日も、きびしいです(笑)』


撮影日は、昨日。


「……きびしいんだ」


つい、ふきだした。


でも、写真の中の、山口さんは、書類の端を、トントン、そろえながら、少しだけ、口の端を、持ち上げていた。


きびしくて、やさしい人だ。


写真のオレは、前みたいに、背中を、丸めていなかった。


相手が、年下でも、えらい人でも、まっすぐ、頭を、下げている。


ちょっと、情けない顔。


でも、いい顔だ。


「権威に、反発、しなくなってる」


そんな、感じ。


反発しなくて、でも、卑屈じゃなくて。


ちゃんと、「ありがとうございます」って、言ってる顔だった。


布団に入って、天井を、見つめた。


ヤマグチさんの、「帰りの会」の提案は、結局、全員一致で、採用された。


あした、さっそく、はじまる。


最初の「今日のいいところ」を、だれに、言おうか。


そんなことを、考えていたら、階下から、母さんの声が、聞こえた。


「ヒロキー、もう寝たー?」


「まだー!」


「あのね、ふくやの、おばあちゃん、今月いっぱいで、お店、閉めるんだって」


……ふくや。


その名前を、聞いた瞬間、体が、ぴたっと、止まった。


駄菓子屋の、ふくや。


学校の、近くの、ちっちゃな店。


おばあちゃんが、いつも、レジの奥に、座っていた。


そうだ。


オレ、ふくやで、お小遣いを、ぜんぶ、使った。


くだらないものを、買って。


そして、あのおばあちゃんに、最後に、ちゃんと、「ありがとう」を、言えなかった。


「…………」


天井を、見たまま、オレは、つぶやいた。


「……今月、いっぱい、か」


窓の外では、虫が、りーん、と、鳴いていた。


手のなかの、スマホの、ギャラリーが、画面の、すみで、ちょっとだけ、光った。


――第9話 おわり


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