第9話「議題は、さくまくんについて」
運動会が終わった、次の週の月曜日。
朝の会のあと、黒板のはしっこに、こんな文字が書かれていた。
『学級会 議題:さくまくんについて』
……オレ?
名指し?
しかも、「について」って、なんかもう、嫌な予感しかしない。
「ヒロキ、なにしたの?」
ブッチが、こそっと聞いてきた。
「なにも、してない。たぶん」
「たぶん、って言った」
「うるさい」
その横で、ユウタが、心配そうに、オレの袖を、ちょっとだけ、つまんでいた。
思い出した。
運動会のあと、前のオレは、ヤマグチさんと、大げんかしたんだ。
あの日、ヤマグチさんは、オレの「ビリ」について、なにか言った。
たぶん、「次はもっと練習してください」くらいの、ふつうのことだ。
でも、小5のオレは、それが、ものすごく、いやだった。
ビリで、恥ずかしくて、そこに、正論を言われた。
だから、言い返した。
「委員長ぶるな」とか。
「先生のイヌ」とか。
屁理屈を、ずらずら、ならべて。
それで、ヤマグチさんは、泣いた。
あの、泣き顔は、ずっと、頭のすみに、残っていた。
でも、今のオレは、37歳だ。
もう、同じことは、しない。
しない、はずだ。
はず、なんだけど。
胃が、ちょっと、きゅっとした。
五時間目。
学級会が、はじまった。
黒板の前には、ヤマグチさんが、立っている。
メガネを、くいっと上げて。
おさげを、ぴしっと、そろえて。
手には、ノートが、一冊。
表紙に、「学級会 進行メモ」って書いてある。
まじめか。
「では、これから、学級会をはじめます。議題は、『さくまくんについて』です」
教室が、ざわっとした。
ヤマグチさんは、ノートを、ぱらっとめくった。
「最近の、さくまくんには、気になる点が、三つあります」
三つ。
指を、三本、立てた。
「ひとつ。音楽の時間に、先生にお願いされていないのに、前に出て歌ったこと」
「ふたつ。算数で、まだ習っていないところまで、答えたこと」
「みっつ。リレーのアンカーを、クラスの話し合いではなく、その場の勢いで決めたこと」
おお。
言い方が、もう、ほぼ、会社の、コンプライアンス部だ。
「これらは、クラスの、ルールに、関わると、思います。みなさんの、意見を、聞きたいです」
しーん。
みんなが、オレを、見た。
オレは、ごくっと、つばを飲みこんだ。
そのとき、頭の、奥の、ほうで、なにかが、カチッと、鳴った。
37歳の、サラリーマンのスイッチだ。
毎週、会議に出て。
資料の、つっこみどころに、ビクビクして。
それでも、何度か、なんとか、切り抜けてきた。
あの、スイッチ。
オレは、手を、挙げていた。
「議長」
「え」
「議長、動議があります」
「ど、動議?」
ヤマグチさんが、目を、ぱちぱちさせた。
「まず、議題の設定について、確認させてください。『さくまくんについて』という議題は、個人を対象にしていて、論点が、あいまいです。具体的に、何を、決めるための議題ですか?」
「え、えっと」
「もし、ルールを、つくる、という目的なら、『授業中に、先生の指名なしで、発言していいか』という議題に、したほうが、いいと思います」
「あ、それは、そうかも、しれませんが」
「あと、リレーのアンカーについて。あれは、先生が、クラスに、意見を、聞いたうえで、決めました。『その場の勢い』とは、言えないと思います。根拠を、教えてください」
「こ、根拠、は」
ヤマグチさんの、顔が、ちょっと、赤くなった。
やばい。
止まらない。
自分でも、止められない。
会議のスイッチが、入ったオレは、完全に、ただの、屁理屈おじさんだ。
「それから、議事録は、とっていますか? 賛成と反対の人数が、あとで、わかるように」
「ぎ、議事録、は、あの、これから」
「じゃあ、いま、書記の人に、お願いしたほうが」
「ちょ、ちょっと、待ってください!」
ヤマグチさんが、ノートを、ぎゅっと、にぎった。
声が、ふるえていた。
「わ、わたしは、ただ、クラスのためを、思って」
「それは、わかります。でも、手続きが」
「ヒロキ、ヤバい、論破してる!」
「かっけー!」
教室のうしろのほうから、小さな歓声が、あがった。
ちがう。
これは、かっこよくない。
そのとき。
「委員長、言い負けてやんの! ブース!」
カワシマが、でかい声で、はやしたてた。
カワシマは、クラスで、いちばん、口が悪い男子だ。
昔のオレなら、ここで、一緒に笑っていた。
でも、いまのオレは、思わず、口が、動いた。
「いまの発言は、人格を、傷つける、侮辱にあたります」
「え」
「公然と、人を、ばかにする発言は、場合によっては、侮辱罪、あるいは、民事で、損害賠償を」
「ソンガイ、バイショー?」
「ミンジ?」
教室が、しーんと、なった。
「…………」
「…………」
カワシマの、口が、ぽかーんと、あいている。
「え、ヒロキ、なに言ってんの?」
「こわ……」
「小学生に、法律……」
ドン引き、という、音が、聞こえた気がした。
あ。
しまった。
やりすぎた。
でも、それより、もっと、まずいことが、起きていた。
ヤマグチさんが、うつむいて、肩を、ふるわせていた。
ぽた。
ぽた、ぽた。
ノートの上に、涙が、おちた。
「…………」
教室中が、静まりかえった。
「わ、わたし、みんなに、きらわれてるの、知ってる」
ヤマグチさんが、ふるえる声で、言った。
「でも、だれかが、言わないと、って思って。それで、ずっと」
そこで、声が、つまった。
ヤマグチさんは、ノートを、ぎゅっと、胸に、抱えると、ばっと、教室を、走って出ていった。
「…………」
だれも、なにも、言えなかった。
オレは、黒板の前の、教卓に、手をついていた。
胸の奥が、ぎゅっと、なった。
さっきまでの、会議の、スイッチが、すーっと、消えていく。
あ。
これだ。
この、顔だ。
前のオレが、見た、泣き顔と、同じだった。
オレは、また、同じことを、したんだ。
形は、ちがう。
言葉も、もっと、大人っぽい。
でも、中身は、おんなじだ。
正しさで、人を、おしつぶした。
「…………ヒロキ」
ユウタが、小さな声で、言った。
「いってあげて」
オレは、うなずいた。
ヤマグチさんは、渡り廊下の、すみっこに、いた。
しゃがんで、ひざを、かかえて。
メガネを、はずして、ぐしゃぐしゃに、泣いていた。
「……ヤマグチさん」
「こないで」
「うん。ここで、いい」
オレは、少し、はなれたところで、立ち止まった。
おじさんの体が、なんだか、ものすごく、でかく感じた。
「ごめんなさい」
ミキに教わった、いちばん、短いやつ。
それだけを、言った。
ヤマグチさんは、顔を、上げなかった。
「……ずるい」
「うん」
「さくまくん、いつから、あんなに、むずかしいこと、言えるの」
「えーと、夢の中で」
「ふざけないで」
「ごめん」
少し、沈黙があった。
風が、渡り廊下を、ぬけていった。




