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第8話 後編

観客席から、声が聞こえる。


ブッチの声。


ユウタの声。


ミキの声。


父さんの声。


母さんの声。


「ヒロキー!! 行けーー!!」


そして。


ひときわ、でかい声が、うしろのほうから、聞こえた。


「さくまくん!! 最後まで、あきらめないで!!」


……え?


ヤマグチさん?


学級委員長のヤマグチさんが、白い旗を、ぶんぶん、振っていた。


いつもは、きりっと注意ばかりしてくる人が、顔を真っ赤にして、叫んでいる。


「あなたは、やればできる人です!!」


その言い方、会社の部長みたいだな。


でも、その声は、なぜか、足に、きいた。


オレは、ひざを、ぐっとおして、もう一歩、踏み出した。


もう一歩。


もう一歩。


赤組のアンカーは、もう、ゴールテープを、切っていた。


わあああっ、と、歓声が、あがる。


オレは、それから、十秒くらい遅れて、ゴールした。


ゴールのラインを、ふみこえた瞬間、ひざが、がくっと、折れた。


その場に、へたりこんだ。


しーん。


あの、しーん、が、きた。


でも、その、しーんは、長くなかった。


「ヒロキーーーー!!!」


ブッチが、まっさきに、走ってきた。


「すげー!! 最後まで、走りきった!!」


「ヒロキ、かっこよかった!!」


ユウタも、走ってきて、へたりこんだオレの前に、しゃがんだ。


「ゴールで、待ってるって、言ったでしょ」


ユウタは、にっこり、笑った。


えくぼが、ぽこっと、浮かんだ。


「……ビリ、だったけど」


「うん」


「ごめん、勝てなくて」


「ごめん、じゃないって」


ユウタは、オレの肩を、ぽんぽんと、叩いた。


「ヒロキは、走った。それが、いちばん、すごい」


胸の奥が、ぎゅっと、なった。


あたたかい、ぎゅっだ。


前に、泣いた、ビリの記憶は、悔しくて、情けなくて、消えたくて、泣いた。


今回は、ちがう。


オレは、泣いてない。


でも、目の奥は、しっかり、つーんとしていた。


「ヒロキ、泣いてる?」


「泣いてない。汗だ」


「うそだー」


「うそじゃない!」


みんなが、笑った。


白組の席のほうから、拍手が、起きた。


ぱち、ぱち、ぱち、と、最初は、ばらばらだった。


でも、だんだん、そろって、でかくなっていった。


オレは、地面に、座ったまま、その音を、聞いていた。


負けたのに。


ぜんぜん、悔しくなかった。


いや、悔しいは、悔しい。


でも、それよりも、うれしい気持ちのほうが、でかかった。


人間って、変なもんだ。


結局、運動会は、赤組が優勝した。


閉会式のあと、父さんが、ビデオカメラを、ぶんぶん、振りながら、走ってきた。


「ヒロキ! よく、がんばったな!」


「父さん、声、でかい」


「だって、父さん、感動したんだよ!」


父さんは、目を、うるうるさせていた。


「前の運動会のときは、ヒロキ、ビリで、泣いて、帰ってきただろ」


「……うん」


「今日は、ビリなのに、すごく、いい顔をしてた」


父さんが、オレの頭を、ごしごし、なでた。


37歳の頭を、なでるな。


でも、手が、でかくて、あったかかった。


「ほら、帰ったら、お赤飯だぞ!」


「え、勝ってないのに」


「がんばった日は、お赤飯だって、母さんが」


「…………」


母さんが、にこにこしながら、こっちに、手を振っていた。


ビリだったのに。


優勝してないのに。


いいのかな、って、思った。


でも、母さんの笑顔を見たら、まあ、いいか、って、思えた。


その夜。


赤飯を、おかわりして、風呂に入って、部屋に戻った。


ランドセルの底から、財布を出す。


名刺入れを、そっと、ひらく。


『株式会社 みやび芸能 マネージャー 佐久間宏樹』


『担当アーティスト 水野 優太』


そして、その下に、また、新しい行が、増えていた。


『みやび芸能ランニング部 部長』


「…………部長!?」


声が、ひっくり返った。


ランニング部。


芸能事務所に。


そんな部、ある?


しかも、部長。


いや、まて。


そんなに、走るのが、好きな人間に、なってるのか、未来のオレは。


あわてて、スマホを、開いた。


バッテリーは、ずっと、100%。


ギャラリーを、ひらく。


一番上の、新しい写真。


ゴールの、アーチ。


『市民マラソン大会 フィニッシュ』


その下を、ゆっくり、走って入ってくる、ちょっと、疲れた顔の、オレ。


ゼッケンには、『314』。


ぜんぜん、速くない。


むしろ、後ろのほうだ。


でも、笑っている。


ゴールの、すぐそばには、タオルを持った、ユウタが立っていた。


大人になった、ユウタだ。


背が、のびていて、涼しげな顔で、でも、えくぼは、そのまま。


その横で、ブッチが、でっかい旗を、振っている。


『ヒロキ おかえり!』


そう、書いてあった。


「……ビリでも、いいんだな」


声に出して、つぶやいた。


そうか。


オレは、ビリのまま、でも、走るのを、やめない人間に、なったのか。


悪くない。


ぜんぜん、悪くない。


写真の下には、小さな文字が、あった。


『3時間58分。前回より、10分、のびた!』


「おそっ!」


思わず、ツッコんだ。


でも、笑ってしまった。


前回より、10分、のびてるのか。


のびてるのか、それ。


「速くなってるわけじゃないんだな」


そのあと、気がついた。


財布の中の、いちばん、すみっこ。


3284円の、お札のうしろに、ちっちゃな、金色のメダルが、入っていた。


リボンつきの、完走メダルの、ミニチュアだ。


「……オレ、これ、持ち歩いてんの?」


ちっちゃくて、ちょっと、傷だらけで。


でも、すごく、大事にされてる感じがした。


オレは、メダルを、手のひらにのせて、じっと、見つめた。


ビリでも、いい。


走った人が、いちばん、えらい。


そんな、ことは、37年間、一回も、思ったことがなかった。


布団に入って、天井を見ていたら、窓の、外から、虫の声が、聞こえた。


ひとつ、終わった。


でも、まだ、いくつか、残ってる。


オレは、後悔の、かたまりみたいな人間だ。


それでも、ひとつずつ、返していける気がした。


そのとき。


机の上の、連絡帳が、目に入った。


今日のページの、すみに、赤いペンで、メモが、書き込まれていた。


『さくまくんへ 来週の学級会で、おはなしがあります。 学級委員 山口』


「…………」


オレは、がばっと、起き上がった。


学級委員長ヤマグチさん。


オレの、苦手な、あの人。


そして、そうだ。


たしか、前のオレは、運動会のあと、あの人と、大げんかしたんだ。


あのときの、あの人の、泣き顔が、ちらっと、頭をよぎった。


「…………おいおいおいおい」


つぶやいた声は、おじさんの声だった。


その夜は、ひざが、痛くて、なかなか、寝つけなかった。

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