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山茶花の嫁  作者: 櫻木サヱ
気配の層

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20/25

温度

夜明け前、空気が一段冷える。

寒さというほどではなく、

皮膚の表面だけが、わずかに目を覚ます。


紗夜は布団の中で、その違いを感じていた。

目を開けなくても分かる。

昨夜と、同じではない。


起き上がると、畳が冷たい。

足裏に触れる感覚が、

少し長く残る。


着物を羽織り、庭へ出る。

空気は澄んでいるが、

冷たさは均一ではない。

場所によって、差がある。


縁側の端は冷え、

柱の近くは、ほんのわずかに温い。

屋敷が、夜のあいだに溜め込んだものが、

まだ抜けきっていない。


紗夜は、温度の残る場所に立つ。

意識して選んだわけではない。

足が、自然にそこへ向かった。


庭を見る。

山茶花の花弁に、朝露が残っている。

光を受けても、すぐには乾かない。


背後で、衣擦れの音。

久遠が来たのだと分かる前に、

空気の温度が変わった。


近づいたわけでも、触れたわけでもない。

ただ、冷え方が、少し違う。


二人のあいだに、距離はある。

位置も、昨日と同じだ。

だが、温度だけが、揃わない。


久遠が息を吐く。

その白さは、すぐに消える。

紗夜の呼吸も、同じように消える。


「冷えるな」


言葉は、それだけ。

意味を含ませる余地のない、事実。


「はい」


返事も、同じ。


久遠は外套を整える。

その動きで、空気がわずかに動く。

冷たい層と、温い層が混ざる。


紗夜は、その変化を、

皮膚で受け取る。


触れない。

近づかない。

それでも、

温度は移る。


二人は並んで庭を見る。

視線は合わない。

だが、同じ高さで、同じ方向。


時間が進むにつれ、

日が差し込み始める。

影が後ろへ退き、

冷えた空気が、少しずつ緩む。


温度の差は、薄れていく。

それでも、完全には消えない。


久遠が一歩動く。

紗夜も、それに合わせて動く。

並び方は変わらない。


屋敷の中へ戻ると、

廊下は外より温い。

だが、その温さも、

朝が進めば均される。


それが分かっているから、

今の差を、確かめる。


食事の場。

座る位置。

器に触れる指先。


すべて、昨日と同じはずなのに、

温度だけが、少し違う。


久遠の手が、器を持ち上げる。

紗夜の手も、同じ動作をする。

触れないまま、

同じ温さに近づく。


昼が過ぎ、夕が来る。

冷えと温もりが、

一日の中で何度も入れ替わる。


それでも、

朝のあの差だけは、

一度も完全に失われなかった。


夜、部屋に戻る。

灯を落とし、布団に入る。


身体の内側に、

外の温度が残っている。


それは、

誰かのものでも、

自分のものでもない。


ただ、

同じ空気にいた痕跡。


紗夜は目を閉じる。

冷えきる前に、

その感覚を手放さなかった。


温度は、

言葉よりも先に、

関係を知ってしまう。


そう思いかけて、

その考えを、途中でやめる。


温度は、意味を持たない。

ただ、そこにあった。

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