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山茶花の嫁  作者: 櫻木サヱ
気配の層

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17/25

音

朝、屋敷が目を覚ます前に、紗夜は起きていた。

夜と朝の境目は、音が少ない。

完全な静けさではなく、まだ選ばれていない音が、どこかに溜まっている。


布団を畳むときの擦れ。

衣擦れ。

足裏が床に触れるときの、わずかな軋み。


それらは以前からあったはずなのに、

今朝は一つずつが、離れて聞こえた。

重なり合わず、干渉もしない。


廊下を進む。

障子の向こうで、何かが動く気配がする。

人かどうかは分からない。

音は、まだ形を持っていない。


庭に出ると、鳥の声が落ちてくる。

一声だけ。

続かない。

それを合図にしたように、風が動いた。


山茶花の枝が揺れる。

花弁が触れ合い、乾いた音を立てる。

それは落ちる音ではなかった。


紗夜は縁側に腰を下ろす。

板は冷たい。

だが、長く触れていると、その冷え方にも段階があることが分かる。


背後で、足音が止まる。

振り返らなくても、それが久遠だと分かった。

歩幅と、止まり方が同じだったから。


二人の間に、言葉はない。

代わりに、呼吸の音がある。

近すぎず、遠すぎず、互いに邪魔をしない位置。


庭の奥で、何かが倒れる音がした。

木の枝かもしれない。

道具かもしれない。

確かめに行く理由は、なかった。


久遠が、ほんのわずかに体重を移動させる。

そのとき、衣の擦れる音がした。

紗夜は、それを聞き逃さなかった。


音は、意味を持たない。

だが、消えもしない。


しばらくして、屋敷の中から別の音が増え始める。

戸の開閉。

器が触れ合う音。

誰かの足取り。


それらが混ざり合うにつれ、

今ここにあった静けさは、後ろへ退いていく。


久遠が先に立ち上がる。

紗夜も、それに続く。

どちらが合図を出したわけでもない。


縁側を離れるとき、

先ほどの鳥の声は、もう聞こえなかった。


その朝にあった音は、

記録されることも、呼び戻されることもなく、

ただ、身体のどこかに残った。

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