◇【Esther's Side】ジョン・スミス
ちょい修正
「お会いできて光栄です、ミズ・メドベージェフ」
ヘンドリクスさんからの紹介で設定されたミーティングは、意外なほど穏やかに始まった。ミーティングの場であるホテルのラウンジに現れたアメリカ政府関係者――正確には国土安全保障省、移民・関税執行局の局長代理――は、アメリカ人としては細身の壮年男性だった。白髪がかった金髪を短く整え、シンプルだが高価そうなビジネススーツに身を包んでいる。差し出した商用名刺に書かれた名前は、“ジョン・ヘンリー・スミス”となっていた。
「ジョン・スミスと受け取られますが、それが本名です。……残念ながら」
笑っていいのか不明なことをいって微笑む。てっきり目が笑っていないタイプかと思ったが、瞳にも穏やかな表情を浮かべていた。
ヘンリー、英国系か。移民の国であるアメリカでも、移民管理機関の上に立つ人物がどういう出自なのかは考慮されるものなのだろうか。
その隣には、黒いビジネススーツを着た中年の白人女性。美人ではあるが、不自然なほどに気配と印象が薄い。ジョン・スミスがソファーの対面で、彼女は少し離れた場所に座っている。護衛の位置ではない。
「もしかして……あなたが“政府監査役”?」
私が尋ねると、彼女は肯定するように微笑みを浮かべた。
「私の組織的役目がそう呼ばれることは知っていますが、職掌を考えると適正な呼称とは思えませんね」
ヘンドリクスさんによれば、“政府への請願や問題提起を聴取して緊急性や実現可能性を判断し、関係各所との調整を行うフロントスタッフ”、だったはず。
「確認し聴取して関係各所に繋げる。権限も秘匿情報へのアクセスも限定的なコーデイネーターに過ぎません。個人的見解ですが、“交通整理係員”とでも呼んでもらった方が実情に合っていると思いますね」
「難儀な役目だな」
私の後ろに立っていたテオおじちゃんが、苦笑まじりにいう。
「アンタが立ってんのは、前も見てねえ奴らが猛スピードで行き交う交差点だ。撥ねられねえように気をつけることだ」
そういいつつも、おじちゃんは私の後ろに立ったままだ。珍しく黒のビジネススーツで、両手を前で組んでいる。いったいどこに隠しているのか、ボディチェックを無事に逃れた殴打用革筒を使って敵を一秒以内に殴り倒せる姿勢がこれなのだそうだ。
「さて、では本題に入りましょうか」
私はテオおじちゃんにも座るよう手で促すが、首を振って拒絶された。ジョン・スミスの後ろ、少し離れて立っている護衛をアゴで指す。あいつらが臨戦態勢でいるうちは、こちらも警戒を解かないといっているのだ。
それに対してジョン・スミスは特に反応せず、私に話を促した。
「メドベージェフ家の……“聖者の遺産”と呼ばれるものの存在はご存知ですね?」
私の問いに返答はないが、否定しないことは公僕としての肯定だと判断する。
「今後そこから生み出されるものに関して、全量を合衆国政府に引き渡す用意があります」
「条件は」
「メドベージェフ一族の安全保障と、私たちへの不干渉」
ジョン・スミスは少し迷うような顔をした。彼の権限では返答ができないのかとも思ったが、だとしても黙る必要はない。これは意図したものだろう。交渉や反駁よりも沈黙の方が多くのものを引き出すことがある。追い込まれた弱者や、場慣れしていない若造が相手であれば、特に。
だとしたら、ずいぶんと舐められたものだ。
「ミズ・メドベージェフ。それで、あなたがたが得られるメリットは?」
「面白い冗談ですね。身の安全だけでは足りないとでも? 私たちが共産主義者に襲われたのを傍観しておきながら?」
そして、曽祖父が殺されることを知りつつ見殺しにしておきながら。口にはしなかったが意図は伝わったのだろう。ジョン・スミスはわずかに目を逸らした。
「合衆国政府として異存ありません。一定レートでの買取保証も可能です。使途に関しての条件はありますか?」
それは考えていた。というよりも、最初から決めていたのだ。心情的にも立場的にも、おそらく他の選択肢はない。
「より多くが幸せになれる選択を」
「……なるほど。“聖者”が遺した、“福音書”の一説ですね」
ほんの少しだけ、ジョン・スミスの評価を見直す。それは曽祖父が元いた国で出版された古い本で、生前に受けたインタビューをまとめたものだ。現地では“福音書”と呼ばれ、崇められていた。大ヒットしたとはいえ流通は国内のみ、現地語で記されたそれに目を通していたとは。交渉相手のリサーチをするのは当然かもしれないが、まだ曽祖父の死からは間もない。正直そこまで調べてくるとは思っていなかった。
「なにを考えておられるかは、わかります」
私の表情を読み取って、ジョン・スミスは苦笑を浮かべた。心外そうというよりも、こちらの反応を面白がっているようだった。
「ですが、“福音書”を手に入れたのは若い頃ですよ。私は、“聖者”のファンだったんです」
「え?」
「彼の国の情報統制で正確な情報は伝わってきませんでしたが、旅行者や移民からの噂は聞いていました。彼は二十一世紀を迎えることさえできないと思われていた小さな貧国を、この世の楽園に変えた。紛れもなく聖者そのものであり、科学でも政治学でも解明できない“あり得ない存在”でもあった」
「そして、最後は“崩壊者”として闇に葬られた」
チクリと刺すと、ジョン・スミスがわずかに怯む。悔恨めいた表情は、あまり演技のようには見えなかった。
「否定はしませんが、あの結果は“聖者”本人が望んだようにも思えますね。サー・サイモン・メドベージェフが保護プログラムの打ち切りを依頼されたのは、事故の十一ヶ月前です。そして、原因をもたらしたのは米国政府ではありません」
背後のテオおじちゃんから、少しだけ殺意のような固い気配が伝わってきた。それに反応して、ジョン・スミスの護衛もわずかに緊張して身体を傾ける。武器を抜きやすいように姿勢を変えたのだろう。これは良くないな。
「おじちゃん」
私が手を挙げると、殺気はゆっくりと収まる。対面した相手の緊張も、それに対応して静かに緩んでいった。
「お怒りになるのは理解できますが、経緯を説明させてただけますか」
ジョン・スミスもわずかに息を吐いて肩を力を抜き、私たちに謝罪した。こちらは無言のまま話を促す。
「合衆国政府に対しても、かつての宗主国から非公式の情報提供はありました。あれは個人の暴走による、不幸な事故であったと」
ジョン・スミスの説明によれば、祖父を襲撃したのは、かつてメドベージェフ家がいた国の官憲だった人物。どうやら亡命する際の脱出劇で曽祖父と争い、片目と職を――さらには、その後の政治的混乱のなかで自分の属していた組織も国も社会体制も――喪ったことで復讐を決意していたようなのだ。
「……あの、カカシか」
身に覚えでもあったのか、テオおじちゃんが怒りを噛み殺したような声で呟く。俺の手で殺しておくべきだったとの声が聞こえたが、その人物は二名の協力者とともに襲撃中に射殺されていたという。
「傍観していたといわれれば否定はしません。我が国も、彼の国も、その宗主国も。ですが望んだ結果ではないですし、公的機関の関与もありません」
であれば、その話は終わりだ。首謀者と協力者も死に、曽祖父も命を落とした。いまさら戻るものはなく、取り返せるものもない。
今後アメリカ政府との関係構築について、大まかな方向性は得られた。この場は、それでいったん満足すべきだろう。
「経緯は理解しました。細かい条件については後ほど」
私は立ち上がり、握手のため差し出された手を無視して踵を返す。立ち去りかけた私たちの背に、ジョン・スミスが穏やかに声を掛けてきた。
「物理的な安全は保証いたしますが、身辺にはご注意ください。共産主義国が得意とするのは、意識させない浸透と洗脳ですから」




