◇【Esther's Side】灰色のエージェント
ちょっと後で修正するかも
車を出してすぐに、テオおじちゃんが小さく唸り声を上げた。
「……ああ、クソが。尾行者だ」
彼が不満なのは尾行されていることではなく、相手がそれを隠そうともしなくなったことだ。ナメられているのが許せないんだろう。自分がというよりも、メドベージェフ家がだ。
実際、尾行車輛の運転は雑で落ち着きがなく、路上の流れから完全に浮いている。いままでこちらに気付かれず監視してきたのと同じ組織ではないのか? あまりのお粗末さに、意図的なものではないかと疑いたくなるほどだ。
「おじちゃん?」
「わかってる。手出しはしねえ。……嬢ちゃんに危害を加えねえ限りはな」
そういって、おじちゃんは車を路傍のファーストフード店に乗り入れた。尾行者はこちらの動きに気づくのが遅れて急ブレーキの後に無理やりな進路変更を行い、周囲から激しくクラクションを鳴らされている。
「ありゃあ、尾行なんて呼べたもんじゃねえな。もしかして、油断させるための演技か?」
「さあ……」
のたのたと駐車場に入ってくる相手の車を待たず、店内に入ると奥のテーブルに私を座らせる。カウンターに向かったおじちゃんがオーダーを済ませたところで、相手はようやく店内に入ってきた。
女性事務職のような服装の、若い黒人女性。態度は落ち着いているが、視野は狭そう。いまも私を見て真っ直ぐテーブルに向かってくるが、自分の背後におじちゃんがいることには気付いていない。
「ああ、ミズ・エステル・メドベージェフ。お会いできて光栄です」
初対面の尾行者から、いきなり第一声がそれか。この空気の読めなさが天然か意図的か判断に迷う。
「あなたは」
「サヴァナ・グレイです。カードを届けて、こんなに早くお会いできるとは思ってもいませんでした」
「……それは、尾行してきた人間のいうセリフではないでしょ?」
キョトンとした顔で首を傾げるけれども、不可解なことに彼女のそれは演技のようには見えない。まがりなりにも公的機関のエージェント職に就いたのであれば、印象ほどには愚かでも迂闊でもないのだろう。だが計算尽くだとしたら互いに無益で、関係性構築が目的であれば有害だ。
……なんというか、“生まれつき無神経”ではないかと感じる。
「用件は」
「まずは、合衆国に敵対する意思があるのかの確認を」
私は呆れて、思わず溜息を吐いた。確認を行う意図と必要性は理解できるが、それをわざわざ自分から、それも屈託ない笑顔でいうあたりは開け広げな態度というよりも、どこか狂気めいたものを感じる。
「宣誓が必要? それとも、なんらかの確固たる証拠でも」
「口頭で結構ですよ。まだ単なる疑惑に対する調査段階ですから」
メドベージェフ家が米国経済を揺るがすほどの問題を……あるいは経済テロを、引き起こすという疑惑を持っていることは隠す気もないわけだ。それが国土安全保障省の総意なのか、このイタい女の個人的見解かはともかく。
「そもそも政府関係者とのミーティングは、明後日に設定されたのでは?」
「そうですね。ミスタ・ヘンドリクスから“政府監査役”に連絡があり、ICEからは局長代理が出席することになります」
アイスというのは国土安全保障省の、移民・関税執行局を意味する略称だ。背中に“ICE”と入った制服職員の姿は、私も報道映像で見た覚えがある。
「局長代理というのは、あなたの上司?」
「まあ、そうです。うちはかなりの大所帯ですので直接の面識はないですが」
「そっちの話はどうでもいい。アンタの立ち位置と目的はなんだ?」
両手にトレイを持ったテオおじちゃんを振り返って、エージェント・グレイはようやく彼の存在を認識したような顔になる。驚いた様子はないので、気づかなかったというのはほぼ演技だろう。そのまま我々のテーブルに平然と腰を下ろすあたりは、思った通りの変人ぶりだが。
「威力偵察、ですかね」
肩をすくめて笑う。威力偵察というのは軍隊用語で、いってみれば囮を兼ねた斥候だ。隠れずに武力行使しながら進攻して敵の反応を引き出し、兵力や布陣などの情報を収集する。
損害覚悟で送り込まれるそれは……本来であれば、精鋭の役目ではなかったか?
「損な役回りですよ。探りを入れるように命令され、正体を見極められれば褒められる。失敗したら一部の者が喜び、撃たれて死ねばみんなが喜ぶ」
なにをやらかしたのかは知らないけど、グレイは周囲に恨みを買っているか、少なくとも疎まれてはいるようだ。
「お望みとあれば死体で返してやってもいいが、俺たちにメリットがねえな」
テオおじちゃんはコンボセットの載ったトレイのひとつをエージェント・グレイに押し付ける。カモフラージュのために買ったものだが、ポンコツ偵察員は食事抜きだったらしく満面の笑みで受け取った。
「あなたの曾祖父さまは多くの者から“聖者”と崇められ、また同時に“崩壊者”と忌み嫌われ怖れられていました」
おそらく一義的には、“経済崩壊を引き起こした者”というような意味なのだろう。私の知るコラプサーといえば重力崩壊した星のことで、ブラックホールの古い呼び名でもある。すべてを呑み込み、光すら抜け出せない災厄。経済に関わるものにとっては、それが曾祖父の別名でもあったわけだ。
「わたしはメドベージェフ卿のビジネスについて資料と伝聞情報でしか知りませんが、事業を興した発端も、その後の行動も。ベースは無私の善意だったらしいことは読み取れました」
ですが、とグレイは続ける。
「私利私欲のない行動ほど恐ろしいものはないんですよ」
たとえ末端であろうと、管理統制する側に立ってみれば痛いほどに思い知るのだと、グレイは平坦な声で告げる。それは彼女なりに正直な心情なのだろう。
「悪意や敵意で向かってくる相手なら、ある程度の予防や対処も可能です。場合によっては妥協点も終着点も見出せる」
「それが善意では不可能だと?」
私に質問に、彼女は曖昧な表情で首を振った。政治には門外漢の私にも想像はつく。不可能というよりも、想定不能な要素が多すぎるのだ。明白な敵と違って、向かう先が自分たちではないとなれば予測にも対処にも限界がある。
「大変失礼ながら、サー・サイモン・メドベージェフが亡くなったときには、正直ホッとしたのも事実です。合衆国は比較的、被害の少なかった国に含まれますが、有形無形の公表できない部分も含めると国家的損失は計り知れません」
曾祖父の現役当時も、二度目の活動が観測されたときも。それぞれ違った組織や公的機関から積極的な排除が提案されたそうだ。
その後、東側勢力の干渉により曾祖父は祖国を捨て、アメリカ合衆国に亡命することになった。そして結果的にだが、この国にとっての問題は消えた。
……はずだった。
「彼の国は愚かにも金を生むガチョウを手に掛け……そして、彼らは自らの未来を潰した」
「アメリカ政府は焼き上がったガチョウを懐に入れて、めでたしめでたしになるはずだったんだろ。いまになって災厄の末裔が墓から蘇ってくるとは思わなかったんで、慌てて脅しに来たってところか」
憤怒の表情にしか見えない笑顔を浮かべて圧を掛けるテオおじちゃんだが、グレイは動じもせず真顔で首を振る。
「もしメドベージェフ家が再び金市場に干渉するつもりであれば、動くのは移民・関税執行局ではなくなります」
「俺たちをこの国に送ってきたみたいな、兵隊を出す気か?」
「中央保安部ですか。あのとき米国家安全保障局が関わったのは例外的対応ですね。ふつう民間人をお送りするのに軍は使いません」
グレイは“エスコート”をふたつの意味で使った。曾祖父家族の亡命と、私たち子孫の始末と。
「上層部がどう判断するかは不明ですが、ミズ・エステル・メドベージェフ」
苦笑で細められたグレイの眼がほんの一瞬だけ、酷薄な光を宿す。
「……現場に立つ者としては、お会いするのがこれで最後になることを願っています」
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