第五話 ブラム、赤域
ブラムの「やれ」がまだ空気に残っているうちに、ダインが照明を落とした。
脈は上がり続けている。
ハルシオンが形を変えた。
レンが壁面表示を消し、警告音を二度目が鳴る前に切る。
トーマが床へ足を固定する。会ってから初めて完全に静止した。
ジョリンは廊下を空ける。
マレクが武器庫を開く。
ケイドが目を閉じた。
「最初は聴覚。次に触覚。嗅覚も上がってる」
オリンはすでにブラムの手首へ読取器を当てている。
「心拍一六三。痛覚遮断、不安定。ブラム、ソレンを見ろ」
ブラムは従わない。
瞳孔が細い。
換気装置が鳴るたび、顎の筋肉が跳ねる。
服が肩を擦るだけで、針金でも巻かれたように反応した。
ソレンが視界へ入る。
「ブラム」
一語だけが、他の音と違う場所へ届いた。
視線がソレンへ止まる。
「三」
ダインが換気口を開く。
「二」
レンが床の低い振動を切る。
「一」
ケイドが言う。
「左壁。冷却リレー。機械音。脅威なし」
ブラムの目は、それでもリレーへ飛ぶ。
手順が続く。
アリは、家族が世界を刺激一つずつ解体していくのを見ていた。
光。
音。
風圧。
振動。
距離。
動き。
誰も立ち位置を確認しない。
トーマはダインが必要とする前に換気口を空ける。
マレクは、ソレンの線を横切らずにブラムを止められる位置へ立つ。
オリンは数値が意味のある幅で変わったときだけ喋る。
これは何度もやった動きだ。
イリアと。
ソレンが数え終わる。
ブラムの手が震える。
「もう一度」
「命令で抜くな」
「なら命令が要る前に抜け」
二人の間には、敵意より鋭い親しさがあった。
何十回も繰り返した喧嘩。
ソレンは、ブラムがどこまで命令に耐えられるか知っている。
ブラムは、ソレンが生かすためならどこまでやるか知っている。
許可は、一つの問題しか解決していなかった。
アリはまだ、何をすればいいか知らない。
この手順は、イリアが何年もかけて「安全」を意味するようにしたものだ。
アリには神経へのアクセスがある。
意味を作った歴史がない。
ソレンが顔を向ける。
「アリ」
「何」
「続きを言え」
「知らない」
初めて、ソレンの制御から怒りが漏れた。
「身体は知っている」
ブラムが笑う。
壊れた音。
「最高の作戦だな」
アリは自分の中を探した。
訓練。
記憶。
手順。
何もない。
十の神経だけが意識の縁を押している。
ソレンがゆっくり繰り返す。
「三。二。一」
リズム。
身体が、次に入る拍を知っていた。
アリは口を開く。
「ブラム。私を見て」
同じ間。
同じ落とし方。
ブラムの頭が跳ね上がった。
半秒だけ、熱が落ちる。
その次に顔が変わった。
「その言い方をするな」
アリは固まる。
言葉より先に、絆へ反応が来た。
悲しみ。
怒り。
屈辱。
同じ加速の中へ絡む。
アリはイリアを真似た。
声ではない。
間。
手順の形。
ハルシオンの身体へ染み込んだ、死んだ女のリズム。
ブラムが前腕を壁へ叩きつけた。
パネルがへこむ。
「ブラム」
ソレン。
「やめろ」
「停止しろ」
「二度と、あいつに今のを言わせるな」
アリが一歩出る。
ソレンの腕が前へ出て止めた。
ブラムはそれを見る。
「アリに触るな」
沈黙。
言った本人まで驚いた。
矛盾が絆を裂く。
アリを望んでいない。
それでも身体は、もう彼女を《ガイド》として分類している。
脅威。
保護対象。
同じ場所。
オリンが低く吐く。
「愛着のクロスロード」
ブラムにも聞こえた。
羞恥が怒りより速く流れ込む。
「訳して」
アリ。
「一部はおまえを侵入者として扱っている。別の一部は調整源で、保護すべきボンド対象として扱っている。両方が赤域を煽ってる」
「薬で落とせない?」
「鎮静はできる。解決とは違う」
ブラムの指が開閉する。
爪が包帯を破り、赤が滲む。
トーマがわずかに動く。
ブラムの目が飛ぶ。
「動くな」
トーマは石になる。
ケイド。
「後ろの圧力弁。機械音」
カチ。
ブラムはそれでも振り向く。
マレクが武器庫から短い制圧銃を出した。
アリは見た。
ソレンが言う。
「第二手順」
銃の表示が青から琥珀へ変わる。
トーマの顎が固まる。
ジョリンは武器から目を逸らし、ブラムだけを見る。
ダインは換気制御から手を離さない。
誰も「やめろ」と言わない。
それが一番怖かった。
この家族は、必要になったらブラムを傷つけることを、もう昔に決めている。
何度も話し合って。
手順へ落として。
「しまえ」
ブラム。
マレクの声は、ほとんど優しい。
「無理だ」
ブラムの肩が動いた。
比喩ではない。
皮膚の下で筋肉が組み替わり、上半身の輪郭が変わる。
指があり得ない角度まで開く。
骨そのものが、自分の形へ抵抗しているように見えた。
アリは記憶の残骸で、強化兵の説明を見たことがある。
速い。
強い。
優れている。
これは、その請求書だった。
戦場で有利になる感覚のすべてが、平時には攻撃面になる。
暴力のための反射は、自分の内側まで壊す。
そして、失われたガイドは、この兵器の一部だった。
イリアは彼らを慰めていたのではない。
彼らを生存可能な状態へ保っていた。
ブラムが一歩、マレクの琥珀色の銃へ進む。
アリの左手首が焼けた。
銀色の接続痕が一つずつ熱を持つ。
絆の中が分かれる。
今までブラムは熱と圧力と怒りだった。
今は経路が見える。
痛み。
アドレナリン。
攻撃性。
報酬。
信頼。
アリは息を止めた。
身体は、その場所を知っている。
自分は知らない。
ソレンが表情の変化を見た。
「アリ。勘でやるな」
ブラムがもう一歩。
アリは、それでも手を伸ばした。
物理的には動かしていない。
ただ神経へ。
ブラムの目がアリへ刺さる。
「外すなよ」




