第十二話 迎撃窓
機械が壊れたという事実を、戦争は一秒も待ってくれなかった。
**LOAD MODEL : INVALID**
その表示の横で、別の数字が減っている。
**EMPIRE COURIER INTERCEPT WINDOW : 08:13:51**
メラ・アークトが最初に動いた。
「試験終了」
アリも競争する気はなかった。
「閉じる」
十の返りが残っている。
認識することより、答えようとしないことのほうが難しい。
一人ずつ。
マレクから閉じる。
彼の同意が一番狭かったから。
次にオリン。
イランは、最後に明るい反応を返しかけた。
「助けないで」
止まる。
トーマ。
六人まで減ったところで、メラの顔が二重に見えた。
ケイド。
レン。
目を閉じると余計に悪い。
「アリ。卓を見ろ」
空気を通ったオリンの声を探し、卓を探し、自分の手を探す。
ダインは、アリが引き剥がす前に自分の返りを落とした。
ブラムも続く。
最後にジョリン。
温かさが消える。
ソレン。
静けさが急に来た。
胃が縮む。
ダインが受け皿を間に合わせた。
ほとんど何も出ない。
身体だけが徹底的に抗議する。
「優雅」
「感想は報告書まで取っておけ」
オリンが布を出す。
アリは二度目で取れた。
メラは《INVALID》ではなく、その前後の実測線へ印をつけている。
「どれくらい?」
ソレン。
「作戦時間より短い。資格証明には十分。実戦運用の証明には全然足りない」
誰も反論しなかった。
*
医療区画で水が二杯残ったあと、マレクが来た。
公開予定表に残ったPRIVATE申請を見る。
「忘れてない」
アリが言う。
「読める」
「今日は再構築しない。短い評価なら数値次第。深層はいつになるか分からない」
マレクは、ダインが置いた布と、まだ少し震えるアリの手を見る。
「昨夜、俺がやっと頼んだから、無理して『はい』と言おうとした」
「一部は」
「断る余裕が一番ないときだけ、俺に応じられるのは嫌だ」
言葉が届くまで、声より時間がかかった。
「じゃあ、申請は開いたままにする」
「その壁には置くな」
アリは公開予定からPRIVATE申請を外し、本人と医療に必要な部分だけへ限定した。
マレクは名前が消えるまで見ていた。
「時間ができたら言え」
入っていい、ではない。
必ず入る、でもない。
アリは頷いた。
*
短い歩行許可が出た。
観察床は左。
整備区画は右。
アリは右へ行った。
ダインがサービスパネルの前で、ラッチを布の上へ分解している。
影がかかると顔を上げた。
「何か壊れた?」
「何も」
待つ。
緊急事態より、この答えのほうが説明を要求するらしい。
「ラッチ直すって言ってたから」
「言った」
「直ったか見に来た」
ダインは分解された部品を見る。
「まだ」
「よかった。直ってたら歩いた意味がない」
少しの間。
ダインは工具箱を足でどけ、二つ目の整備椅子を空けた。
座れとは言わない。
座れる状態だけ作る。
アリは座った。
治療ではない。
PRIVATEでもない。
ダインは二本のほぼ同じばねを見せた。
「張力が違う」
「どっち?」
アリには分からない。
ダインが見せる。
どうでもいいラッチについて四分話した。
四分そのものは、どうでもよくなかった。
立つとき、ダインが言う。
「観察床は反対」
「知ってる」
彼の手が半秒だけ止まる。
それから作業へ戻った。
*
観察床へ戻る途中、ジョリンが装備ケースを二つ持って向こうから来た。
アリを見る。
まず医療カフへ視線が行く。
途中で気づいて、顔を見る。
「観察?」
「らしい」
「何にも資格取らないように」
「難しい要求」
ジョリンは笑って通り過ぎる。
アリは二歩進んだ。
止まる。
「ジョリン」
彼も止まる。
PRIVATEは開いていない。
治療予定もない。
「終わったあと、二人とも何も予定なかったら、まずいもの食べながら座る?」
今度は、温かさが先に答えを運んでこなかった。
表情が先だった。
「うん」
アリは頷き、自分の身体が解説を始める前に歩き出した。
*
戦争は、その全部を待ってくれない。
残り七時間を切ったところで、ハルシオンは作戦準備室へ移った。
十の鼓動もいる。
さっきまで、それは試験対象だった。
次は、人を殺すための十人になる。
正確には、生け捕りにするための十人。
ブラムにとって、その違いは重要らしい。
「伝令は生存確保」
作戦準備室へ向かう廊下で、ソレンがもう一度言った。
「分かってる」
「ブラムに言った」
「聞こえてる」
ブラムは後ろから答えた。
「だから言ってる」
「二回目だ」
「おまえには二回必要だ」
トーマが小声でイランへ言う。
「三回だと思う」
イラン。
「四回目で怒るから、三回が最適」
ブラムが振り向く。
二人は黙った。
アリの内側で、笑いに近い反応が三つ流れる。
自分のものがどれか、もう分かる。
*
作戦準備室の壁へ、帝国伝令艦の断面図が出た。
船名は《エピストル》。
細い。
速い。
戦闘艦ではない。
戦闘艦でない船ほど、捕まえるとき面倒になるらしい。
「自爆機構」
ケイドが一つ目を指す。
「航法核」
二つ目。
「伝令本人」
三つ目。
「この三つを同時に確保する」
トーマ。
「簡単」
ダイン。
「おまえは何もしなくていい」
「傷ついた」
「まだだ」
ソレンが配置を出す。
第一班。
ソレン、ブラム、マレク、ケイド。
伝令確保。
第二班。
ダイン、レン、イラン。
航法核。
第三班。
ジョリン、トーマ、オリン。
封鎖、後送、予備。
アリは搭乗艇中央のガイド席。
十人すべてと閉ループ。
必要なときだけ深度を上げる。
「PRIVATEは?」
マレクが訊いた。
部屋が少し静かになる。
オリンが先に口を開く。
「作戦中は開かない」
マレクの視線がアリへ来る。
「おまえに聞いた」
アリは考えた。
最初なら、断られること自体が彼との関係だった。
今は違う。
申請は残っている。
拒絶ではない。
延期。
それも、アリのための延期だった。
「帰ったら」
マレクの口元が硬くなる。
「明日と同じ言葉だ」
「じゃあ、帰ったら私を嘘つきって呼んで」
彼は何も言わない。
でも申請を取り消さなかった。
ソレンが作戦図を閉じる。
「ガイド権限を確認する」
空気が変わる。
アリは彼を見る。
ソレンは全員へ言った。
「戦闘中、アリは事前承認された範囲で痛覚、恐怖、交感神経、攻撃性、報酬系へ介入できる。信頼、愛着、欲求は触らない」
ブラム。
「前と同じ」
「違う」
アリが言った。
十人が見る。
「前は制度の文章だった。今は、私があなたたちを知ってる」
それだけで、意味が変わる。
ソレンが頷く。
「個別の停止条件を言え」
最初にダイン。
「手指感覚を鈍らせるな。細かい作業ができなくなる」
レン。
「聴覚を切らないで。雑音だけ落とせるなら落として」
イラン。
「恐怖は残して。顔に出さないのは俺がやる」
トーマ。
「吐き気」
オリン。
「具体的に」
「無重力で吐くのは嫌だ」
「医学的停止条件ではない」
「俺の尊厳には関係ある」
ジョリンが笑う。
自分の番になると、少し考えた。
「痛みは消し切らないで。怪我した場所が分からなくなる」
ケイド。
「視野を狭めるな」
マレク。
「怒りを減らすな」
アリは見る。
「理由」
「要るから」
「何に?」
「帰るために」
それ以上は聞かない。
ブラム。
「俺も怒りは触るな」
ソレンが横から言う。
「却下」
ブラムが睨む。
「俺の条件だ」
「おまえの怒りは、目覚めた朝に隔壁をへこませた」
「隔壁は敵じゃなかった」
「だから問題なんだ」
アリは笑いそうになる。
ブラムが見る。
「何だ」
「二人とも正しいのが最悪」
最後にソレン。
「判断速度を落とすな」
「恐怖は?」
「必要なら落とせ」
「痛み」
「必要なら落とせ」
「攻撃性」
一拍。
「任せる」
その二語が思ったより重かった。
アリは何も言わず頷いた。
*
《ロング・メモリー》から迎撃艇が離れた瞬間、十の鼓動が変わった。
家庭のリズムが消える。
同じ人間なのに、戦闘用の拍へ移る。
アリは中央席へ固定されている。
両腕に導電カフ。
喉にセンサー。
視界の端へ十本の細い線。
ソレンは白。
ブラムは赤。
マレクは灰。
オリンは青。
レンは緑。
他もそれぞれ違う。
色は軍が決めた。
意味はアリが覚えた。
通信へヴェスパー管制。
「ヘリックス回廊進入。帝国伝令艦、予定航路維持」
レン。
「向こう、まだこっちを貨物艇だと思ってる」
イラン。
「失礼だな。こんなに魅力的なのに」
ダイン。
「黙れ。熱源が増える」
「声で?」
「俺の」
アリの口元が動く。
その瞬間。
十本の線が一斉に震えた。
警告。
**GUIDE-LINK INTERFERENCE**
レンの声が鋭くなる。
「帝国側から何か来た」
ケイド。
「通信じゃない」
オリン。
「アリ?」
答えようとした。
十の鼓動が、遠くなる。
聞こえなくなるのではない。
同じ厚い壁の向こうへ移される。
一つ。
二つ。
三つ。
アリは反射的に出力を上げた。
警告音。
**GUIDE OUTPUT : C-RANGE / SATURATION**
駄目。
強く押しても届かない。
ブラムが何か怒鳴る。
言葉が途切れる。
ソレンの白線が乱れる。
レンの緑がノイズへ溶ける。
アリは目を閉じた。
押すな。
聞け。
壁の向こう。
十人。
いる。
一人ずつ探す。
ソレンの判断の硬さ。
ジョリンの温度。
ブラムの怒り。
ダインの手。
レンの耳。
ケイドの観察。
トーマの平衡感覚。
イランの呼吸。
オリンの計測。
マレク。
――ない。
目を開ける。
表示は九本。
**ACTIVE DYADS : 9**
アリの喉が冷える。
「マレク?」
返事がない。
迎撃艇の外で、帝国伝令艦が進路を変えた。
迎撃窓。
七分十二秒。
十の鼓動が、九になった。
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