第7話:濡れた一万円札
第6話では、政治家の黒い裏金として高級料亭の密談に立ち会い、権力と金が織りなす構造的な闇を目の当たりにした駆。
今回は第7話! 雨の夜の街を舞台に、ひったくり事件と、そこに渦巻く人間の泥臭い執念を描きます。綺麗事だけでは語れない、お金を巡る生々しいドラマの行方は――?
それでは、第7話「濡れた一万円札」の本編をどうぞ!
政治家の重厚なコートのポケットから、いつの間にか手放された駆は、小さな個人経営のクリーニング店を営む老夫婦のレジスターの引き出しへと流れ着いていた。
だが、その平穏は長くは続かない。
激しい雨が叩きつける、深夜の商店街。
シャッターを下ろそうとしていた店の前で、事件は起きた。
黒いフードを目深にかぶった男が、傘も差さずに突然飛び込んできたのだ。男の手には鋭いナイフが握られており、その目は焦燥と狂気でギラギラと充血していた。
「金を出せ! 余計な真似をしたら刺すぞ!」
高齢の店主であるおじいさんは、恐怖に顔を引きつらせながらも、震える手でレジの引き出しを開けた。
男は乱暴に手を突っ込み、中にあった札束や小銭を鷲掴みにする。その中には、駆の姿もあった。
ガサリと無造作に引き抜かれ、男のジャンパーのポケットへと押し込まれる。
「へへ……これだけあれば……!」
男は満足げに歪んだ笑みを浮かべ、土砂降りの雨の中へと駆け出していく。
だが、不幸(あるいは自業自得)というものはすぐに追いつくものだ。犯行に気づいた近所の住人の通報を受けたのか、遠くからパトカーのサイレンの音が鳴り響いてきた。
「くそっ、もう警察かよ!」
焦った男は、人目を避けるように路地裏の暗がりへと滑り込んだ。
しかし、足元は激しい雨で濡れたアスファルト。滑りやすいマンホールの蓋を踏んだ瞬間、男の身体派大きくバランスを崩した。
――ドンッ!
鈍い音とともに、男は水たまりへ派手に転倒した。
その拍子に、ジャンパーのポケットのファスナーが開き、中身が勢いよく宙に飛び散る。
強盗で奪い取った札束が、濁った雨水と泥の中に無残にばらまかれた。そのうちの一枚、一番上にあった一万円札――駆の身体は、深さ数センチの泥水の中へ、文字通り「顔から」叩きつけられた。
「あ、ぐ……っ!」
声にならない叫びをあげる間もなく、駆の表面は冷たい泥と雨水にまみれていく。
福沢諭吉の厳格な肖像画は、瞬く間に茶色い泥のシミで汚れ、見る影もなくなりかけていた。
男は這いつくばりながら必死に札を拾い集めようとしたが、サイレンの音がすぐ近くまで迫っているのを聞き、恐怖に駆られて散らばった札を数枚残したまま、そのまま闇夜へと逃げ去っていった。
――静まり返った、雨の路地裏。
空から容赦なく叩きつける雨粒が、泥水に浸かった駆の身体を激しく打つ。
動けない。自力で這い上がることも、泥を拭い去ることもできない。
ただの紙切れである以上、誰かに拾われなければ、このまま下水に流されるか、泥の中で朽ち果てるのを待つしかない。
生きていた頃の記憶が、ふと脳裏をかすめる。
雨の中、新聞配達の自転車を走らせていた朝。冷えた指先で、濡れた紙面を配り歩いていた日々。あのときも、世界はこんな風に冷たくて、容赦がなかった。
努力しても報われず、泥まみれになって働いても、誰にも気づかれないまま社会の底ですり減っていく。
あのときの自分と、この泥水に浸かった一万円札の姿が、痛いほど重なり合った。
「……俺は、こんなところで終わるのか?」
闇金の暴力、政治家の裏金、そして強盗の泥まみれの逃走劇。
人間の欲と業の底を這いずり回り、最後はこんな路地裏の汚泥の中でゴミのように捨てられる。それが、死んだ凡人のたどり着く結末なのだろうか。
胸の奥で、熱いものがこみ上げるような気がした(もちろん心臓などないのだが)。
いや、まだだ。
こんな泥の中で、ただの汚い紙切れとして消え去るわけにはいかない。
あいつに――無糖峰に一泡吹かせるまでは。自分がどんな地獄を見て、どんな泥を舐めてここまで来たのかを、あの涼しい顔の幼iceの目の前に叩きつけるまでは、ここで終わってたまるか。
雨音にかき消されながら、駆の魂は泥の中で、凍てつくような強い光を放ち続けていた。
第7話「濡れた一万円札」をお読みいただき、ありがとうございました!
強盗事件に巻き込まれ、泥水にまみれて絶望の底を味わう駆。華やかな裏社会から一転して、路地裏の泥臭いサバイバル(?)を描いてみましたが、いかがでしたでしょうか。
次回、第8話「夕暮れ海の老夫婦」では、一転して心温まるエピソードへ。泥まみれの駆は、この後一体どんな人々の元へ辿り着くのか……?
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それでは、第8話でお会いしましょう!




