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彼は、冴えないスイーパー  作者: やまじゆう
Vol.01鉄組壊滅作戦編
5/13

第5話



 二十三時。

 

 涼音は、この夜もまた『キャサリン』へと姿を変え、ネオン輝く繁華街を気ままに歩いていた。

 

 漆黒のゴシック・アンド・ロリータに身を包み、金髪のツインテールを揺らしながら夜の街を徘徊するその姿は、昨日と変わらず周囲の視線を集めている。

 

 一方、その後方では、総介が適度な距離を保ちながら静かに尾行を続けていた。

 

 昨夜は返り討ちに遭い、挙げ句の果てには警察へ突き出されかけるという散々な目に遭った。それでも総介に諦めるという選択肢はなかった。


 丁度、その時だった。



 「こんばんは、キャサリンちゃ……!?」



 すれ違い様に声を掛けようとした若い男達が、不意に涼音の後ろに立つ総介の姿を見つけ、言葉を失った。


 総介は、いつものように人の良さそうな笑みを浮かべている。しかし、若者達は、その笑顔の奥にある昨夜の圧倒的な強さを思い出した。



 「げっ……!ま、また、あの兄ちゃんだ!」



 「今日はやめとこう!」



 男達は顔を見合わせるや否や、一斉に踵を返し、蜘蛛の子を散らすように夜の雑踏へ逃げ込んでいった。


 涼音が、仏頂面で振り返る。


 そこには、にこやかに立つ総介の姿があった。

 


 「いい加減にしてよね……! 懲りないストーカーね。そんなに、また『コレ』を食らいたいの?」



 涼音はトートバッグに手を突っ込み、ジャリッという機械音と共にスタンガンの放電ノイズを鳴らした。青白い火花が暗闇に明滅し、その瞳には、父親の差し金である総介への強い敵意と、張り詰めた警戒心が宿っている。



 「いやあ、ストーカーなんて人聞きが悪い。ただのボディガードですよ」



 「とにかく、私の視界に入らないで!ついて来ないでって言ってるの!」



 「そうは言っても、仕事なものでして……」



 総介が苦笑混じりに一歩踏み出した瞬間だった。



 ガッ!!



 骨が軋むような乾いた音が響く。涼音の靴が、総介の脛を容赦なく打ち抜いた。痛みは神経を逆なでし、総介の表情が強張る。


挿絵(By みてみん)



 「あいた……っ!?」



 涼音は、憎々しげな眼差しを総介に突き刺すと、逃げ去る背中で漆黒のフリルを激しく揺らした。



 「あいたたた……。まったく、とんだじゃじゃ馬ですねぇ」



 残された路地裏で、総介は痛みに耐えかねて腰を下ろして、脛をさすりながら苦笑いを浮かべた。


 スタンガンを向けられ、全力で膝を蹴り上げられる……。普通のボディガードならとっくに辞表を出している状況だが、それでも総介は、一度たりとも涼音を責めることはなかった。


 彼は、その乱暴な振る舞いの奥にある『孤独』を知っていたからだ。


◇◇◇



 「ハァ……ハァ……っ!」



 激しい息を吐きながら、涼音は路地裏の突き当たりで足を止めた。総介の追跡を強引に振り切った直後、視界が開けた先はネオンが明滅する大通りの交差点だった。


 乱れた呼吸を整えようと顔を上げた、その時……。

 


 「あっ!」



 交差点の向こうを、一台の黒いスポーツカーがゆっくりと走り抜けていく。運転席に座る男の横顔を見た瞬間、涼音の瞳が大きく見開かれた。

 

 三年前、母親をたぶらかし、家族を崩壊へと導いた忌まわしい男……、『鈴木マナブ』の姿だった。



 「アイツだ……!」



 涼音の血管を怒りとも憎しみともつかない熱い血が逆流する。彼女は呼吸を整える間もなく、車を追って走り出した。幸い、スポーツカーは数十メートル先にあるコインパーキングへ入って行き、金髪を逆立てたチンピラ風の男が車から降り立つのが見えた。


 男は、迷いのない足取りで夜の街を闊歩し、やがて鏡張りの華やかなエントランスを持つホストクラブ『クラブ曖昧』の扉を押し開けた。涼音も躊躇うことなくその後を追い、扉の向こうへと消えていった。



 その一部始終を、少し離れた場所から総介が見守っていた。



 「う~ん、ホストクラブ……、ですか……」



 総介は店の看板を見上げ、困ったように頭を掻く。


 さすがにホストクラブへ一人で乗り込むのは気が引ける。何より、財布の中身が心許ない。



 「さて……どうしたものですかねぇ」



 店の前を行ったり来たりしながら頭を悩ませていると、不意に背後から聞き慣れた優しい声が掛かった。



 「あら、総介さん? こんな所で何をしているんですか?」



 振り返ると、偶然通り掛かった美里亜が、不思議そうな顔で立っていた。


 総介の表情がパッと明るくなる。まさに、渡りに舟だった。


 総介は事情を手短に説明し、頭を下げた。すると美里亜は、少しも嫌な顔をすることなく微笑んだ。



 「もちろん、良いですよ!」



 むしろ、その瞳は期待に満ちて輝いている。



 「私、一度ホストクラブという所に行ってみたかったんです!」



 「そ、そうなんですか……?」



 予想外の反応に総介は、思わず目を丸くした。



 「はい!」



 美里亜は、満面の笑みで頷くと、総介の腕を両手でギュッと掴み、そのまま軽やかな足取りで店の入口へ向かう。



 「さあ、行きましょう!」



 「ちょっ、美里亜さん! 引っ張らないでくださいって!」



 総介は苦笑しながら引きずられるように歩き、二人はネオンが煌めく『クラブ曖昧』の扉をくぐった。


◇◇◇



 「いらっしゃいませ!『クラブ曖昧』へようこそ!」



 エントランスに足を踏み入れた瞬間、洗練されたスーツを纏った案内役のホストが、(うやうや)しい仕草で二人を出迎えた。


 重厚な革張りの壁には、店内のランクを象徴するかのように、綺羅びやかな装飾を施された顔写真が並んでいる。



 『NO.1・シノブ』『NO.2・ショウ』『NO.3・レン』……。



 どの顔写真も人気アイドルと見紛うほどの美少年ばかりで、思わず目を奪われる。美里亜は、その顔写真のパネルの一枚を指差し、無邪気に目を輝かせる。



 「ねぇ、総介さん。この子、目がクリッとしていて可愛いと思いませんか?」



 「……ええ、まあ。美里亜さんが楽しいなら、何よりです」



 総介は生返事をしつつ、ホストの説明を右から左へと流した。



 「……以上が当店のシステムとなります。それでは、ごゆっくりお楽しみください」



 ホストが頭を下げると、重厚な扉がゆっくりと開かれる。



 「「「いらっしゃいませーっ!!」」」



 店内に並んだホスト達が、一斉に声を揃え、空間を震わせるような盛大な歓声が上がった。



 「わぁ……! すごいですよ、総介さん!」



 美里亜は子供のように目を輝かせ、店内を見回している。


 しかし、総介はそれどころではなかった。店内を素早く見渡し、奥のソファ席に腰掛ける涼音の姿を見つけると、案内役のホストをさりげなく躱し、彼女の真後ろの席を陣取った。涼音達のやり取りが聞こえてくる。



 「いらっしゃいませ、本日担当させていただきますシノブです。今日はどちらからお越しですか?」



 一番人気というシノブが、慣れた手付きで涼音の隣に滑り込んだ。しかし、涼音は冷徹な視線をシノブに突き刺す。



 「違うわよ。私が指名したのはマナブよ。鈴木マナブ! 居るんでしょ!?」



 「……申し訳ございません。彼は現在、外せない用がありますので」



 困り果てたシノブに対し、涼音はトートバッグから財布を取り出し、無造作にクレジットカードをテーブルへと滑らせた。ゴールドに輝くそれは、富裕層の証である『アメリカン・◯クスプレス・ゴールドカード』だった。



 「……これでも無理?」 



 シノブの目が、驚愕に大きく見開かれる。



 「し、少々お待ちください……! すぐに手配させていただきます!」



 シノブは顔色を変え、慌てて店の奥へ駆け込んでいった



 (十六歳のお嬢様が、こんなカードを持ち歩いているとは……。お金持ちの世界は、分かりません……)



 総介は苦笑しながら肩をすくめた。


 その時、総介は、背後の騒がしさに違和感を覚え、振り向いた。



 「総介さ〜ん、楽しんでますか〜?見て下さい、すごいでしょう〜!?」



 そこには、信じられない光景があった。


 美里亜の周囲をランキング上位のホスト達が、蜜に群がる蜂のように取り囲んでいた。


 テーブルの上には、もはや芸術品とも言える背丈ほどの巨大なフルーツ盛り合わせが鎮座し、高級ワインが惜しげもなくグラスに注がれている。更に、スタッフ達がシャンパングラスを天井に届くほど積み上げ、今にもシャンパンタワーが始まろうとしていた。



 「み、美里亜さん……!? 一体、何ですか、これは……!?」



 総介の顔からはみるみる血の気が引いていった。だが、美里亜は涼しげな顔で笑った。



 「総介さん、お金の事なら心配いりませんよ〜」



 そう言いながら、彼女が財布から取り出したのは、漆黒の輝きを放つ『アメリカン・エ◯スプレス・センチュリオン・カード』通称ブラックカードである。。世界でも限られた富裕層しか持てない『センチュリオン・カード』の存在に、周囲のホスト達からも思わず感嘆の声が上がる。



 「「おおおおおっ……!!」」



 「総介さんも遠慮しないで、いっぱい飲んでくださいね!」



 総介は、自分の常識では測れない人種の存在に唖然とした。美里亜の『散財』は、予想を遥かに超えるスケールであった……。


◇◇◇



 「店長。五番テーブルのお客様が、店長をご指名です」



 「ああ?」



 店内がひと通り見渡せる上階の事務所では、鈴木マナブがシノブの報告を聞き、モニター越しに店内の様子を窺った。


 『クラブ曖昧』の支配人であり、裏では広域指定暴力団『鉄組』の構成員として、この店を四年前から仕切っているマナブにとって、客の素性は最大の関心事だ。


 彼は店内の死角に設置された高解像度カメラの映像を切り替え、五番テーブルに座る金髪のゴスロリ娘に照準を合わせた。



 「あのガキ……、どこかで見た顔だな」



 モニターを見つめながら、マナブは眉をひそめた。


◇◇◇


 二十歳と偽って入店した涼音は、落ち着かない様子で店内を見渡していた。もちろん、十六歳の彼女にとって、ホストクラブなど初めての世界である。


 隣の席では、中年女性が若いホストに頬を染めて笑っている。別の席では、勧められるまま高級ウイスキーを次々と飲み干す女性。更に真後ろの席では、十数人ものホストを従えた若い女性が、シャンパンタワーを囲んで派手な歓声を上げていた。


 その異様な光景を眺めながら、涼音は冷めた口調で呟く。



 「みんな、揃いも揃ってバカみたい……」



 冷笑を浮かべ、グラスを握りしめる。やがて、マナブが涼音の席へと現れた。



 「お待たせいたしました。店長のマナブです。まずは、何かお飲み物でもいかがですか?」



 営業用の笑顔を浮かべたマナブがメニューを開こうとした、その時……。



 ガシッ!



 涼音が勢いよく彼の腕を掴み、身を乗り出した。



 「お母……あの女に会わせてよ!」



 マナブの眉がひくつく。



 「……は? いったい、何を……?」



 「とぼけないで! お父さんと私を捨てて、アンタの甘い言葉に釣られて行ったバカな女……大徳寺早苗に会わせてって言ったのよ!」



 その名前を聞いた瞬間、マナブの表情が凍り付く。そして改めて少女の顔を見つめると、記憶の中の面影と重なった。

 

 目の前のゴスロリ娘が、かつて自分達が食い物にしようと狙いを定めた弁天屋物産の令嬢であると確信した瞬間だった。


 早苗の名が持ち出された以上、このまま追い返すという選択肢はない。マナブの脳裏には、涼音を人質として利用する策が瞬時に浮かび上がってきた。


 これは、鉄組が長年狙い続けてきた弁天屋物産の支配権を握る為の、またとない好機となるはずだ。



 「お願い……。一度だけでいいから、お母さんに会わせて……」



 その声には怒りだけでなく、長年押し殺してきた寂しさと切実な願いが含まれていた。


 マナブは周囲を素早く見回し、小さく息を吐く。



 「……分かりました」



 低い声でそう答えると、近くに控えていたシノブへ目配せした。



 「シノブ、このお嬢様をVIPルームへ丁重にご案内しろ。……極上の『おもてなし』を準備してな」



 「……かしこまりました」



 シノブは薄ら笑いを浮かべ、涼音の腰に手を回して促した。その光景を総介は、真後ろのボックス席から鋭い眼差しでジッと見つめていた。

 

◇◇◇


 店内の奥、ひっそりと隠された通路の突き当たりに、そのVIPルームはあった。重厚な扉を開け放った先には、煌びやかな内装の中に、殺風景な空間が広がっていた。中央に無機質に置かれたダブルベッドが、その部屋の異様な目的を物語っている。



 「な……何よ、この部屋は? お母さんに会わせてくれるんじゃなかったの!?」



 涼音が不審げに振り返った瞬間、案内役だったシノブの姿は消え、バタンという鈍い音と共に重い扉が閉ざされた。外側からガチャリと施錠される音が、部屋に響き渡る。



 「ちょっと! 開けなさいよ!」



 涼音は、パニックに陥り、ドアを叩き続けた。その時、部屋の奥にある内ドアが音もなく開いた。


 そこから現れたのは、二人の屈強な大男だった。Tシャツの生地を張り裂けんばかりに盛り上がる筋肉は、彼らが並の相手ではないことを一目で悟らせる。放たれる威圧感だけで、その場の空気が一変した。


 涼音の背筋に、今まで経験したことのない本能的な恐怖が走る。


挿絵(By みてみん)



 「やめて……来ないで!」


 

 涼音が、いくら叫んでも、防音壁に囲まれた部屋では外には届かない……。


 鉄組の資金源の一つに、世界中のマニアが高値で売買する『違法アダルト動画サイトの運営』がある。この部屋は、人権を無視した非道なコンテンツを量産する為の『撮影スタジオ』であった。


 事務所の壁面を埋め尽くす監視モニターには、VIPルームの惨状が多角的なアングルで映し出されていた。


 モニターの中では、大男に羽交い締めにされた涼音が、引き裂かれるように衣服を剥ぎ取られていた。



 「いやぁぁぁぁーー!!」



 マナブは口角を歪め、ニヤニヤと卑劣な笑みを浮かべていた。その時だった……。


 突如、VIPルームの扉が勢いよく開いた。見知らぬ男が踏み込んでくる。それは、総介だった。


 筋肉男の一人が殴りかかるが、総介は軽く身を捌き、拳をみぞおちへ深く打ち込む。男は苦悶の声を上げ、そのまま崩れ落ちた。


 もう一人は、何処からともなくナイフを抜き、総介へ切りかかる。総介は迫る刃を払い飛ばし、懐へ潜り込むと、下顎へ掌底を突き上げた。男は白目を剥き、床へ倒れ込んだ。


 一瞬の静寂。この店自慢の用心棒達が、この貧相な男の前に、わずか数十秒で沈黙したのだ。



 「な、なんだ……コイツは……!?」



 モニター越しに見る総介の瞳が、ふとカメラのレンズを射抜いた。総介は、自分を見ているマナブを確信したように、不敵にニヤリと笑ってみせた。


 懐の拳銃を握り締めるマナブの腕は、恐怖で震えている。



 バンッ!!  



 今度は、事務所の扉が外から蹴り破られた。



 「鈴木マナブ! 未成年略取及び児童ポルノ禁止法違反の現行犯で確保する!」



 冷徹な声と共に現れたのは、捜査官達を引き連れた茉里華だった。


 広域犯罪対策本部長としての彼女は、以前から鉄組の資金源を断つ為の地道な摘発を続けてきた。『クラブ曖昧』の脱税や違法行為の証拠も、全て彼女の掌中にあった。



 「チッ、サツか……!」



 マナブが震える手で拳銃を引き抜こうとした瞬間、茉里華は一歩も引くことなく彼の腕を捻り上げた。



 「まだまだ余罪がありそうだな!」



 茉里華は鋭い眼差しで部下に命じ、抵抗するマナブの身柄を強制的に椅子から引き剥がした。続けて、彼の懐から転がり出た拳銃を拾い上げ、銃口の向きを改める。



 「……銃刀法違反も追加だ。全て吐いてもらうぞ!」



 冷徹な女傑の一言に、マナブも観念した。


◇◇◇


 店内は、警察の介入によって、すでに営業を停止していた。店のあちこちでは鑑識官が証拠保全に追われ、捜査官は客や従業員一人ひとりから事情聴取を進めている。


 先ほどまで漂っていた退廃的な空気は消え去り、代わりに緊張感に満ちた静寂が店内を支配していた。

 

 VIPルームには、涼音だけが残されていた。


 ベッドの上に腰を下ろした彼女は、剥ぎ捨てられた衣服を胸元へ強く抱き寄せ、誰にも顔を見せまいと背を向けている。その小さな肩は、恐怖と屈辱を必死に押し殺そうとするように、小刻みに震えていた。


 総介はゆっくりと歩み寄り、そっと手を差し伸べようとした。しかし、その腕を美里亜が静かに押さえた。

 

 美里亜は小さく首を横に振り、優しく微笑む。

 


 (私に任せてください……)



 その瞳は、そう語りかけていた。


 総介は何も言わず、一歩後ろへ下がる。


 美里亜はベッド脇に落ちていたシーツを丁寧に二つ折りにすると、涼音の肩へそっと掛けた。そして何も急かすことなく、その細い身体を優しく抱き寄せ、小さな声で語りかけ始める。

 

 美里亜の穏やかな表情は、責めることも、問い詰めることもせず、ただ「もう大丈夫……」と伝え続けている。

 

 その温もりが、凍り付いていた涼音の心を少しずつ溶かしていった。

 

 やがて涼音の大きな瞳から、一粒、また一粒と涙が零れ落ちる。それまで必死に堪えていた感情が堰を切ったように溢れ出し、彼女は美里亜の胸へしがみついた。



 「……うっ……うぅ……!」



 嗚咽は次第に大きくなり、静かな部屋に悲痛な泣き声が響き渡る。


 美里亜は何も言わず、幼い子どもをあやすように、ただ優しく背中を撫で続けていた。


 その光景を、総介は黙って見つめることしかできなかった。


 助けることはできた。命も守れた。それでも、彼女の心に刻まれた恐怖までは消し去ることはできない。

 

 その事実が、総介の胸を重く締め付けた。



 「ご苦労だったな、総介」



 部屋へ入ってきた茉莉華が、冷えた缶コーヒーを軽く放り投げる。総介は反射的に受け取り、小さく頭を下げた。



 「いえ……仕事ですから」



 そう答えながらも、その笑みはどこか力なく、自嘲にも似たものだった。未遂とはいえ、涼音をあれほど危険な目に遭わせてしまった。


 あと一歩遅れていたら……。その考えが頭をよぎるたび、胸の奥に鈍い痛みが走る。

 

 茉莉華は、そんな総介の表情を見つめると、少しだけ声の調子を和らげた。



 「総介、お前に伝えておくことがある」

 


 その一言で、部屋の空気が再び張り詰める。



 「今朝、CIAにいる友人から連絡が入った」



 米国内では現在、複数のマフィア組織による大規模な抗争が激化しているという。

 

 その混乱に乗じるように、各地ではフリーランスの狙撃手たちが暗躍しており、その中でも群を抜いて危険視されている凄腕の二人組が、日本へ向けて出国したとの情報が入った。

 

 茉莉華は直ちに入国管理局と公安調査庁へ照会をかけた。

 

 その結果、特徴の一致する二名が、数日前に入国しており、更に鉄組幹部との接触が確認されたという。



 「おそらく、鉄組が海外から雇った傭兵だ」



 その一言に、総介の表情が引き締まる。単なる暴力団相手ではない。戦場を生き抜いてきたようなプロフェッショナルが、いずれ敵として現れる。

 


 「まだ、この件に関わるつもりなら、十分に気を付けろ」



 茉莉華は静かにそう言い残すと、現場指揮へ戻るため部屋を後にした。


 ……静寂が戻る。


 ふと総介が視線を向けると、涼音はいつの間にか、泣き疲れて眠っていた。美里亜の膝を枕にし、小さく身体を丸めながら、穏やかな寝息を立てている。


 涙の跡はまだ頬に残っていたが、その寝顔には先ほどまでの怯えはなく、ようやく訪れた安堵だけが静かに浮かんでいた。


 美里亜はそんな涼音の髪を優しく撫で続ける。


 総介は二人を見つめながら、缶コーヒーを静かに握り締めた。

 

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