第6話 行くべき道
シリウスが生まれてから、一年半が過ぎた。
シリウスはすくすくと育ち、顔も整ってきて、
こいつは将来、モテる顔になるだろうなと思った。
最近は夜泣きが減ったのか、
俺自体が泣き声に慣れたのか、わからんが、
夜中でも目を覚まさなくなった。
近頃は、だっこして高い高いをしてやると嬉しそうに笑う。
なんというか赤ん坊ってのは
無性に庇護欲の湧く顔をしてるなぁ。
調子に乗って高い高いしまくったら、リーネに怒られた。
確かに、俺の今の体格じゃ、赤ん坊は結構重いからな.....
リーネは相変わらず忙しそうで、
洗濯物を抱えて家の中を走り回り、
シリウスの世話をしている。オムツ替えや離乳食?
のようなものを作ったりなど、
ルツと俺には全くできないような事があるので
全然休まる暇がない。
それでも文句の一つも言わない。立派だ。
これが母は強し。っていうことなのではないだろうか。
一方のルツは黙々と畑仕事を続けている。
俺も、畑の手伝いくらいはするようになって
色々と畑のこともわかっては来たが、
ルツに比べると、正直まだまだ足手まといと言った感じだ。
そんなある日、ふと思い立った。
久しぶりに、魔術の鍛錬をしに森へ行こう。と。
最近は、シリウスの世話も前より落ち着いてきて、
リーネは忙しそうだけど、
俺が手伝えることも減ってきて、
暇な時間も結構増えてきたし、
うんそうだな。行ってこよう。
魔術の練習も家の中で、
詠唱を軽くやったりする程度で、
第三等級魔術は、まだ水と火しか使えないからな。
そうと思い立ったら、魔術本を片手に、
リーネに「少し出てくる」と伝えて、玄関を出る。
リーネはシリウスを抱きながら
「暗くなる前に帰ってきてね」と言って微笑んだ。
その笑顔に見送られながら、靴を履いて家を出る。
村の外れまでの道は、冬の間に少し変わっていた。
雪解け水が流れた跡が土を削り、
道の両端には新しい草が顔を出している。
春の匂いが強くなっていて、
遠くの畑ではルツが鍬を動かしているのが見えた。
森の入り口に着くと、懐かしい気持ちがした。
鳥の声が、木々の隙間で跳ね返っている。
フェリシアさん。今日は会えるだろうか。
彼女とはあれ以来、
シリウスが生まれて、ここに来なくなるまで、
森で魔術の練習をしている時に、
たまに会い、魔術について教えて貰いながら、
他愛もない話をしていた。
俺は、前と同じ開けた場所まで歩き、
魔術の練習を始める。
「……よし、やるか。」
着くと早々に鞄を下ろし、両手を軽く合わせ、
掌に意識を集中させる。
右手に、水と火、
規模的にはどちらも第一等級の基礎魔術だけど、
同時に扱うのはまだ難しい。
落ち着き、
呼吸を整え、魔核の奥を意識する。
魔素が流れ、血管のように体の中を巡っていく。
「よし.....合わせろ、合わせろ……
水火魔術第三等級ーーヴェイパー・シンク。」
囁くように呟いた瞬間、掌が淡く光った。
次の瞬間、ぱちんと音を立ててふたつの魔術が合わさった。
よっしゃ!!
今回は一発目で成功だ。
複合魔術は、最近あんまりやってなかったけど、
やってみたら結構できるもんだ。
自転車とかの感覚に近いかもしれん。
1回覚えたらなかなか忘れない。
「素晴らしいです。一回で成功させるとは。」
驚いて振り向くと、そこにフェリシアさんがいた。
柔らかな風に、白いワンピースと、淡い栗色の髪が揺れる。
前よりも彼女、少し背が伸びたような気がする。
てかほんとに綺麗だな。この人、
歳いくつなんだろ。
「お久しぶりです。フェリシアさん。」
「久しぶりですね、ノアくん。随分と成長しましたね。」
「そんな、まだ全然ですよ。」
「いいえ。謙遜しなくていいんですよ。
あなたの魔核は以前よりも魔素と深く息づいていますよ。」
そう言って、フェリシアさんは俺の右手を取った。
「ほら、感じますか? 流れの継ぎ目が。」
「えっ?.......あ……はい。これですね。」
「ええ。魔素は押してもうまくは流れません。
流れに合わせて、乗せるんです。
この感覚をさらに研ぎ澄ますことが出来れば、
あなたは更に上の魔術もできるかもしれません。
あなたの魔核は非常に強力です。」
彼女の声は穏やかで、森のざわめきと一緒に響いた。
彼女は一歩離れて、俺を見た。
「第三等級の感覚、徐々に掴めてきていますね。」
「いや、まだ安定しなくて……」
「そんなに急がなくても大丈夫です。焦りは禁物ですからね。」
そう言って、フェリシアさんは小さく笑った。
.....そういえば、
フェリシアさんを森の中以外で見た事ないな、
以前村に住んでるって言ってたけど。聞いてみるか。
「フェリシアさんって、
普段どこに住んでいるんですか。」
「この森の奥ですよ。更に木が生い茂り、
光があまり届かない場所に住んでいます。」
「えっ、以前村に住んでるって言ってませんでしたか。
というかこの森の奥?何故ですか。」
「学園でしていた研究のために、
この場所で調査しなければいけないことがあり、
こちらに来ていました。
ですが、学園の方は色々あり、既に退学しましたが。」
学園。
聞き慣れない単語に思わず眉を上げた。
「学園って……魔法学校、みたいなものですか?」
「そうですね。正式には“アルメリア魔術学園”
魔素を学び、魔核及び魔術についてを研究し、
鍛える者たちが集う場所です。」
フェリシアさんは、遠くを見つめながら言った。
「私はそこで学びました。
魔術歴史、魔素の理論、身体強化術……。
色んなことを学びました。けれど、途中でやめて、
故郷に戻ってきたんです。」
「何故ですか?」
「自分が何のために学んでいたのか、
分からなくなったからです。」
「学ぶというのは、自分の理を見つける旅。なんです。」
その言葉は、
他の音に掻き消えそうなほど小さく静かだった。
おそらく、過去に何かあったのだろう。
「魔術を学ぶことって、そんなに難しいものですか?」
「学ぶこと自体は簡単です。でも、なぜ学ぶのかを見失ってしまうと、何も残らないのです。」
フェリシアは小さく息を吐き、空を見上げた。
「でも、あなたは違う。
魔素のそのものに疑問を抱いている。」
「疑問、そうですね……」
「ええ。この世界を知りたい、魔素を理解したい、
その気持ちは、非常に重要です。」
「ノアくん。」
「はい。」
「もし、あなたが本当に知りたいと思うなら、
この村を出て、学びに行くといい。」
その瞬間、時間が止まった気がした。
「学びに、行く……?」
「ええ。外の世界には、魔素を研究し、
魔術を体系的に教える場所があります。
アルメリア学園もそのひとつです。」
「あそこは非常に良い所です。機材や資料、人材、場所。
全ての物が揃っています。あなたのように才能があり且つ、
魔術について学びたい。知りたい。と思う、
あなたのような者こそ行くべきところです。
私が途中でやめたのは学園が悪かったからではありません。ただ、私はそこではない場所に、
自分の本質を見つけたのです。
でも、あなたはまだ、自分の本質を見つけていません。
それを探しに行くのもよいかもしれませんね。」
「僕が、学園に行く.....」
声に出した瞬間、胸の奥で何かが鳴った。
フェリシアさんは僅かに微笑んだ。
「確かに、学園へ行かずとも、魔術を学ぶことは、
可能です。ですが、魔術とはなんなのか、
魔素の正体とは、魔術師の歴史。
そのようなことを独学で学ぶのはやはり限界があります。」
そんな言葉を残して、彼女は森の奥へと消えていく。
淡い栗色の髪が一瞬だけ揺れ、やがて見えなくなった。
学園に行く。
学園という言葉が反芻していた。
村へ帰る頃には、空が茜に染まっていた。
家の前でルツが畑道具を片付けていて、
俺に気づくと目を合わせて、小さく頷いた。
家に入ると、リーネが夕食の支度をしていた。
スープの匂いと焼き立てのパンの香りが部屋を包む。
「おかえりなさい、ノア。
遅かったわね。どこに行ってたの?」
「ちょっと、森に採集を。」
「また野草? 本当に好きねぇ。」
「まぁ……ちょっと考えることもあって。」
リーネは不思議そうに首を傾げたが、
それ以上は何も聞かなかった。
ルツが戻ってきて、三人で、夕食を食べるが、
どこか味がしない。
その間も俺はずっと、
学園について考えていた。
その夜、シリウスが静かにベビーベッド(っぽい何か)
で寝息を立てる横で、
俺はリビングの机に向かって古い魔術書を開いた。
ページの端には、こう書かれていた。
“学ぶとは、自分の理を見つける旅である。”
フェリシアさんの言葉と重なる。
やっぱり、これは偶然じゃない気がした。
やはりこんな田舎では、学べることに限りがあると思う。
だが、学校か.....嫌な記憶だ.....
前世で、大学を辞める直前だったような奴だった俺が、
新しい人生、新しい世界で、
また学校というものに行こうとしている......
聞けば、
アルメリア魔術学園の学費は、
とてつもなく高いとらしい、
この家に、そんな学費を払える余裕は、ないだろう。
そもそも、学校は遠い、ディリー地方の中央にあるらしい。
ここエルナト地方の、隣の地方だ。
だから、一人暮らしとかになる、よな.....
前世の俺は、地方から、都会に出てきて、
一人暮らしで、結局、生活リズムもおかしくなって、
大学にも行かなくなり、事故で死んだ。
それとまた同じことをしようとしているんじゃないだろうか......
もう嫌だ、あんな生活。
それなら少し不便だが、毎日が楽しい、この家、この村で、
暮らしていったほうがいいんじゃないだろうか......
そんなことをグルグルと考え、気分が落ち込んでいると。
寝巻き姿のルツが起きてきて、俺に言った。
「どうしたんだい。すごく暗い顔をしているよ。
何か悩みでもあるのかい。」
「よく分かりますね.....やっぱり父さんはすごいや....」
「誰だってその顔を見ればわかるよ。
言いたくないなら大丈夫だけど、
良ければ僕に話してみてくれないかな。」
「はい.....実は、1、2年ほど前から森に行っていたのは、
実は野草採集や、調査のためなんかじゃなくて、
魔術の練習のために行っていたんです。」
「うん。知っているよ。」
「えっ、何故ですか。」
「だって、ノア、君はいつも帰ってくる時、
野草を全く持って帰ってきていない。
それに、野草の調査って言って、持っていくのは、
魔術本じゃないか。」
確かに.....馬鹿すぎるな。
「何故わざわざあの危険な森に行って魔術の練習をするのか
よく分からなかったけどね。」
じゃあもういいか。話しちゃっても。
「なるほど、では話します。実は、あの昏睡状態から、
目覚めてから僕は魔術が上手く扱えなくなっていました。
それを二人に知られては、余計な心配をかけるかと思い、
1人で森に行き、魔術を練習していました。」
流石に別世界から転生したきたとは言えず、
そのあたりは誤魔化す。
「そうだったのか.....
そうか、今まで気を使わせてしまってごめんね。
それでその話がどのように、
今暗い顔をしていることに繋がるんだい。」
「それである日魔術について行き詰まっていた時、
ある人に出会いそこから魔術について教えて貰ったのですが、君は才があるから、学園に通い、それをもっと伸ばしなさい。と助言を受けました。」
「それで、学園に通いたいなと思うのですが、
この家にはそのような余裕がありませんので......
それに学園にしっかりと功績を残せるのか、
しっかりと投げ出さずに通えるのか。
ということなどを色々と考えていました。」
「確かにそうだね。正直、行きたいと言われても
学費を払ってあげられるほどの余裕はうちにはあまりない。
加えて、アルメリア学園の生徒は、
才能を持ったものの集まりだ。
そのような輪の中で、ノアは努力を怠らず、
ついていけるかい?一応聞くが。
ノアの魔術等級と練度は今どのくらいなのかな?」
「一応第三等級、複合魔術の基礎を完了したところです。」
「そうか.....第三等級まで既に行使できるんだね.....
ならば、話はわかった。もし、本当に行きたくて、
決意が固まっているのなら詳しいことは、
明日リーネと一緒に3人で話し合おう。
今日はもう寝なさい。」
「はい。お父さん。」
そう言って、ルツは、立ち上がり、ベビーベッドから
シリウスを抱き上げ、そのまま寝室に入って行った。
俺も蝋燭の火を消して自室に戻り、
部屋の扉を閉めたまま、
しばらくその場に立っていた。
明日、ルツとリーネに話す。
アルメリア魔術学園に行きたい。魔術をもっと学びたい。
この村を出て、外の世界を見てみたい。
そう伝えるつもりだった。
けれど、いざ言葉にしようとすると、
胸の奥が重くなる。
学園に行きたいという気持ちはある。それは確かだ。
でも、それと同じくらい怖さもあった。
前世で、俺は学校という場所から逃げた。
決められた時間に起きて、決められた場所へ行き、
周りと同じように座って、同じように学ぶ。
それがうまくできなくなって、生活も崩れて、
結局、全部投げ出した。
そんな俺が、
この世界でまた学校に行こうとしている。
しかも、今度も家族から離れて、
知らない土地で、一人で暮らすことになるだろう。
「……本当に、大丈夫なのか」
一人でそう呟き、俺は机の前に座り、古い魔術書を置き、
机の上の蝋燭に火をつける。
とりあえず、明日話す内容を整理しようと思った。
なぜ学園に行きたいのか。学費はどうするのか。
今の自分にどれくらいの力があるのか。
本当に最後まで通えるのか。
そのあたりをちゃんと言葉にしておかなければ、
ルツもリーネも困るだけだ。
羽ペンを手に取り、紙の上に置く。
けれど、何も書けなかった。
頭の中には、フェリシアさんの言葉が残っている。
学ぶとは、自分の理を見つける旅。自分の理。
俺に、そんなものがあるのだろうか。
前世の俺は、自分の理を探すどころか、
大学に行く意味すら探せず、
見い出せないような人間だった。
世界が変わっても、中身まで都合よく変わるわけではない。
俺は小さく息を吐き、ペンを置こうとした。
その時、指先が滑った。羽ペンが机の端から転がり落ち、
床に乾いた音を立ててぶつかり、そのまま椅子の脚に当たり、ころころとベッドの奥へ転がっていった。
「……なんで、そこに行くかな。」
俺は床に膝をつき、ベッドの下を覗き込む。
暗い。埃っぽい。蝋燭の明かりが、
床板の上を薄く照らしている。
手を伸ばすと、指先が羽ペンの軸に触れた。あと少し。
そう思って体をさらに入れた時、
視界の端に妙なものが見えた。
ベッドの裏側。
木の板の下に、何か薄いものが貼り付いている。
最初は布かと思った。
けれど、端がわずかにめくれていて、
明かりを受けたその表面は紙のように見えた。
「なんだ、これ.....」
羽ペンを拾うのも忘れて、
俺はベッドの下に頭を押し込み、紙を見つめる。
紙は、四隅を黒ずんだ蝋のようなもので留められており、
黄色く変色していて、端の方が少し丸まっている。
何度も折り畳まれた跡があり、
折り目の部分だけ色が薄くなっている。
けれど、破れかけている感じはない。
むしろ、妙にしっかりとしている。
俺は爪で、四隅の蝋を慎重に削った。
一つ。二つ。三つ。
最後の一つを剥がした瞬間、
紙がふわりと落ちてきた。
慌てて受け止めると、
薄い埃が舞い、鼻の奥がむずむずする。
俺はベッドの下から這い出し、机に戻り、
俺は紙を机の上に広げると。それは、地図だった。
上手い地図ではない。
線は曲がっている。道の幅も一定ではない。
木の印らしきものも、丸だったり、短い線だったり、
妙な形だったりして統一感がない。
おそらく、元のノアが描いたものだ。そう思った。
けれど、ただの落書きではなかった。
何度も描き直した跡がある。
一度引いた線を黒く塗りつぶし、
その横に別の線を引いている場所もある。
地図の端には、小さな字で何かが書かれていた。
『ここから右にまがる』
『大きな木がめじるし』
『あめの日のあとはかならず見に行く』
文字は幼い。字の大きさもばらばらで、
ところどころ潰れている。書き急いだのか、
線が震えているところもあった。
けれど、俺には分かった。これは、あの森だ。
村の外れから入る道。
俺がいつも魔術の練習に使っている開けた場所。
小さな沢。曲がった道。森の奥へ続く、細い線。
正確ではない。距離感もかなり怪しい。
でも、描かれている目印までの道中には覚えがあった。
森の入り口から、奥へ。
途中で道が曲がり、細い線がさらに深い場所へ伸びている。
その先に、ひときわ濃い印があった。
黒く大きなバツ印。
紙の中心から少し外れた場所に、
大きく描かれている。
そこだけ、明らかに他と違い、線が太い。
何度も何度も上からなぞったように、
紙の表面が少し潰れている。
ただの印にしては、力が入りすぎている。
その横にも、小さな文字があった。
『ねもと』
俺は眉を寄せた。意味が分からない。
何かを見つけた場所なのか。何かを隠した場所なのか。
それとも、元のノアが一人で決めた秘密の場所なのか。
分からない。ただ、
わざわざベッドの裏に貼って隠していたことだけは確かだ。
こんなもの、普通は見つからない。少なくとも、
羽ペンがベッドの下に転がり込まなければ、
俺は気づかなかった。
字の幼さ。線の拙さ。それでも何度も描き直した跡。
誰にも見られないように隠していたこと。
地図の端には、さらに小さな文字が詰め込まれていた。
『大きな木がめじるし』
『下を見る』
その後、俺はその文字を何度も読んだ。だが答えは出ない。
でも、地図を見つめているうちに、
胸の奥がざわつき始めた。
明日、俺はルツとリーネに学園の話をするつもりだった。
それは変わらない。けれど、この地図を見つけた今、
どうしても先に確かめたくなった。
元のノアが残したもの。俺ではない「ノア」が、
誰にも言わずに隠していたもの。
先程のルツとの会話だってそうだ。
俺は彼のことをほとんど何も知らない。
だからこそ元の体の持ち主である、
元のノアのことを少しでも知ってあげるべきだと思った。
それを知らないままに、
アルメリア学園に行きたいと口にするのは、
どこか違う気がした。
いや、違う。
たぶん、これは言い訳でもある。
リーネに話すのが怖い。
ルツと改めて向き合うのが少し怖い。
学園に行きたいと言って、反対されるのが怖い。
だから俺は、この地図を理由にして、
少しだけ先に延ばそうとしている。
そこまで分かっていても、手は地図を離さなかった。
「……明日の朝、見に行くだけだ」
誰に言うでもなく、そう呟いた。
朝、森へ行く。地図の場所を探す。何があるのか確かめる。
それから帰ってきて、二人に話す。
それは絶対に変えない。固く心に誓い、
俺は地図を丁寧に畳んだ。
折り目に沿って畳むと、紙は自然に小さく収まった。
何度も同じ形に畳まれていたのだろう。
端を指で押さえると、すっと形が決まる。
紙からは、古い木と土のような匂いがした。
長い間、暗い場所に隠されていた匂いだ。
俺はそれを魔術書の間に挟みこみ、それから、
ようやくベッドの下に落ちていた羽ペンを拾い、
机に置き、明日のことを考えて、
寝ることにした。
ベッドに入ると、
部屋の静けさがやけに大きく感じる。
隣の部屋からは、シリウスの泣き声が聞こえる。
目を閉じても、あのバツ印が浮かんでくる。
黒く、濃く、何度もなぞられた印。
『ここ』
『だれにも言わない』
元のノアは、何をそこに残したのだろう。
分からない。
でも、分からないからこそ、
確かめなければならない。
俺は布団の中で、小さく息を吐いた。
明日、地図の場所へ行く。その後で、リーネ達に話す。
アルメリア魔術学園に行きたいと。
俺はもう一度だけ、
机の上にある魔術書の方を見つめる。
暗闇の中で、魔術書の角だけがぼんやりと見える。
本に、あの地図が入っている。
元のノアが残した、小さくて不器用な秘密。
元のノアのこと、それを知ってあげよう。




