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魔素の兆-サイン-  作者: 錦の旗印
第一章 村編
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第4話 農作業

朝、窓の外が少しだけ白んでいた。

鳥の声が、まだ眠そうに鳴いている。

布団の中でぼんやりしていると、ドアが軽くノックされた。


「ノア、起きてるかい。今日は畑を手伝ってもらうよ。」


ルツの声だ。

手伝ってもらうという言葉に、寝ぼけた頭が反応する。

手伝い? なんだ? 魔術の訓練か?いや、そんなわけないか。絶対違う。


のそのそ起きてドアを開けると、ルツが立ってた。

腰に縄を巻いて、古い布の作業着。

その手には、土で黒ずんだスコップが持たれている。


「……畑ですか?」


「うん。そろそろ植え付けの準備をしなきゃいけない。」


「でも僕、畑のことなんて何もわかりませんよ。」


「わからなくてもいい。人手が欲しい時期だから。

細かいことは、やりながら教える。」


相変わらず表情は一切変わらない。

そのくせ、言葉の隙間に逃げ道を与えない圧がある。

はい、決定事項ですね。了解でーす。


魔術の練習をして、今日こそ風と土の複合魔術をマスターしようと思ってたのに。


でもまあ、これも食べてくために必要なことか.....

俺がサボったら、ルツの負担が増えるし。

……仕方ない。


一階に降りると、リーネがテーブルに朝食を並べていた。

パンとスープ、それに少しだけチーズ。

ルツはいつも通り、

静かにパンをかじりながら湯気を見つめている。

この人、毎日パンをじっと見てるけど何考えてるんだろう。

魔術陣でも浮かんで見えてんのかな。


「ノア、今日はお父さんのお手伝いね?」


「そうみたいです。」


「ふふ、えらいじゃない。畑の土は冷たいから、

手袋忘れないでね。」


「はい。」


リーネはパンをちぎりながら、にこにこと俺を見ている。

母さんは、ルツと違って、表情が本当に豊かだな。


朝食を終えたあと、自室に戻って服を着替える。

魔術の練習用じゃなくて、汚れてもいい粗布の服。


鏡代わりの金属板に映った自分の顔は、

……なんか、やる気なさそう。

いや、実際ないし......


階段を降りて、玄関に向かうと、リーネが立っていた。


「今日は日差しが強いはずだから、帽子をかぶりなさい。」


そう言って、古い麦わら帽子を俺の頭にのせた。

ちょっとデカい。目のすぐ上までずり落ちてくる。


「似合ってるぞ。」

ルツが珍しく口の端を少し上げた。


いや、恥ずいわ。

リーネまでつられて笑うし。



外に出ると、空気がひんやりしていた。

草の匂いが濃く感じられる。

遠くからは、家畜の鳴き声が聞こえられる。

朝の村は起きるのは辛いが、どこか心地よいな。



村の外れにある畑までの道を歩く。

ルツはほとんど喋らない。

靴の底が土を踏む音だけが、リズムみたいに続く。

いつものことだが、この沈黙の間がやっぱり苦手だ。

言葉を探し、声に出そうとする度に、

喉の奥で飲み込んでしまう。


「父さんって、あんまり喋らないですよね。」


「喋るより、手を動かす方が早いから。」


「……はい。」

一瞬で会話終了。ホントに速いよ.....

そういう意味じゃないんだけどなぁ....


ルツとリーネは本当に真逆の2人だ。

リーネはどんな時でもよく喋るし、笑う。

ルツは……たまに口を開いたかと思えば、

正論か哲学みたいなことしか言わない。


最初の出会いがまったく想像つかない。

どんな出会い方をして恋に落ちたら、

この夫婦ができるんだ。


そんな事を思いながら、ふと目をやると、

道の両脇では、朝露をまとった麦がゆっくりと揺れていた。

太陽の光が差し込むたびに、金の糸みたいにきらめく。

こうして見ると綺麗だな……。

生きてる感じがする。


畑に着くと、うっすら霧がかかっていた。

土の匂いが強い。


ルツは迷いなく、畑の中に入り込んで歩いていき、

スコップを突き立てた。

「こうやって、土を返すんだ。」


一掘り。

乾いた音と同時に、湿った土の匂いが立ちのぼる。


「ほら、やってみな。」


渡されたスコップは、

思ってたより、ずっしりと重い。

押し込もうとすると、硬い地面に跳ね返される。


「腰を使うんだ。腕じゃなくて、腰をね。」

と言われ、言われた通りにやると、

不思議と土がふっと軽く返る。


「そうそう。その調子。」

ルツは口の端をわずかに上げて、また土を返し始めた。

その背中が、どこか楽しそうに見えた。

この人は、きっとこういう時間が好きなんだろう。


その後、俺もなんとか真似してみるが、

最初の方は上手くいっていたが、

その後、すぐに手のひらが痛くなってくる。

慣れない感覚で、額から汗が滲み、目に入ってしみる。


「父さん、これ……けっこう大変ですね。」


「大変だから、うまくいくんだ。

楽して育つ物は、大抵、すぐ枯れたり、味がよくない。」


「なるほど……。難しいんですね。」


「畑は理屈より体で覚えるものだ。」


修行だよ。これ。

でも、言葉が妙に心に残る。

楽して育つ物は、すぐ枯れるか。



ある程度農作業を続け、一段落したところで、

ルツが空を見上げ、短く呟く。


「少し休もう。」

そう言って、近くの木の根元に腰を下ろした。

俺も隣に座ると、リーネが包んでくれた黒パンを半分に割ってこちらに渡してくれる。


噛むと口にパンの甘みが広がり、その後すぐに、

少しだけ塩の味がする。


ルツが持ってきた水袋を差し出す。

冷たい水が喉を通っていくたびに、

体がじんわりと冷えていく。


飯を食べながら、

少し気になったことをルツに質問してみる。


「父さんは、なぜ畑をやってるんですか?」


「ご飯が食べられるからだね。」


「えっ……それだけ?」


「それだけ。それでいいんだ。」


そういうことではなく、きっかけとか、

畑をやる魅力みたいなのを聞きたかったのだが。


そのまま話すこともなく、ただ気まずい時間だけが流れる。


ルツは昼食を食べ終わり、そのまま空を見上げて、

「太陽が高くなってきた。もうすぐ暑くなるよ。」

とだけ言った。


午後になると、体の動きが少しずつ軽くなってきた。

スコップを入れる角度も、手の力加減も、

だんだん感覚で掴めるようになってくる。


農具の音が、一定のリズムを刻む。

カッ、ザッ、カッ、ザッ。

農具の音の響きが、なんだか気持ちいい。


その時、ルツが「こっちにおいで」と言った。

近づいて行き、指差す先を見ると、

掘り返した土の中から、小さな芽が顔を出していた。

淡い緑の葉っぱが、朝の光を受けて小さく震えている。


「新芽だよ。ここから、徐々に成長し、

実や花を付け、たくましくなっていくんだ。」


その言葉に、少し胸がチクッとした。

昨日までの魔術の失敗を、なんとなく思い出す。


なんか……自分にも、そうなれって言われてる気がする。


ルツはその新芽を踏まないように、

土を軽くかぶせ直した。


「全部を一度に育てるわけじゃないんですね。」


「そうだね。畑を半分に分けてる。」


「半分?」


「こっちは今育ってる方。

向こうはもう収穫できる方だよ。」


ルツは立ち上がると、腰の袋から何かを取り出す。

見ると、指二本分くらいの刃が短く先の少し丸まった、

ハサミのようなものだった。


「これで切る。」

そう言って、ルツは畑の反対側へ歩いていく。


俺もルツの後ろを、彼が踏んだ足跡を辿るように、

同じ場所を踏んで着いて行く。


地面の色が少し乾燥した色から、

水を含んだ色に変わったのを見て、

ルツの横に立ち、畑を眺めると、

青々とした葉を広げた大きな野菜が並んでいた。


背は低いが、葉は厚く、

土に近いところで横に広がっている。


葉の隙間からは、丸い実のようなものや、

太い茎が少しだけ見えていた。


「こっちが収穫する方だ。」


そう言って、ルツは目の前のなんだかよく分からない野菜にしゃがみ込み、片手で葉を持ち上げ、大元から別れ、

実をつけている部分の茎に刃を入れる。


パチン、と小さな音を立てて、

切られた野菜が、手の中にころんと収まる。


「引っ張ると、

周りの根まで傷めてしまうから、切れば、慎重にね。」


「なるほど……」


こういうところは妙に細かい。いや、農家なんだから細かくて当然なんだけど、


ルツは腰の籠に、収穫した野菜を静かに入れた。

「じゃあやってみて。」


ルツは籠から別のハサミを取り出し、

こちらに差し出す。


渡された小さなハサミを受け取って眺めると、

見た目より刃がしっかりしていて、

握ると手に冷たい感触が伝わってくる。


俺もルツの真似をしてしゃがみこみ、

葉をそっと持ち上げる。


「大元を見るんだ。そこじゃなく、少し上。」

「ここですか?」

「あー....もう少し下だね。うん。そこ。切るのは一回ね。」


言われた通りに刃を入れ、

指先に力を込めるとパチン、と音がして、

繋がっている根元の茎が切れて、野菜が地面に転がる。


ただ、思ったより力を入れすぎたのか、

実が少し潰れてしまった。

「……あ。ごめんなさい。」


「売る分じゃないから大丈夫だよ。家で食べよう。」


「はい。」


それから二人で収穫を続けた。

葉を持ち上げ、根元を見て、刃を入れる。

切る。土を払って、籠に入れる。


同じ動作の繰り返しなのに、

先程の畑を耕した時のように、

だんだん楽しくなってくる。


最初はどこを切ればいいのか分からなかったが、

何度かやるうちに、茎の太さや葉の開き方で、

収穫していいものとまだ早いものの違いが少しだけ分かるようになってきた。


育ちきったものは、葉に少し張りがあるのだ。

小さいものは、まだ柔らかく、色も少し薄い。

だが、一応横で作業をしているルツに確認を取る。


「これは?」


「まだ早い。」


「じゃあ、これは?」


「それはいい。」


「これは?」


「それはただの草。」


「草……」


おっと。危うく畑じゃない雑草を、

ありがたーく収穫するところだった。


それを見てルツが短く笑う。



ある程度収穫すると、

収穫した野菜が籠の中に増えていく。


丸い実のもの、葉を束ねるもの、

太い茎を食べるもの。種類は多くないが、

家で食べるには十分そうだった。


「これだけあれば、

しばらく買いに行かなくて済むんですか?」


「そうだね。街は近いけど、毎回行くには遠い。」


確かに、ここから街までは少し距離がある。

食材を買うためだけに、

毎度そこまで歩くのは骨が折れるだろう。


しかも帰りは荷物付きだ。

筋肉モリモリマッチョマンの変態、

なら喜ぶかもしれないが、普通は嫌になるだろう。


「だから、畑の半分で収穫して、

もう半分で育てるんですね。」


「そう。こっちを食べている間に、向こうが育つ。

向こうが育ったら、今度はこっちに種を植える。」


「なるほど……交互に回すんだ。」


「全部一度に育てると、短い間に食べなきゃことになる。

食べきれなければ腐ってしまうしね。」


「それはもったいないですね。」


「だから、ずらすんだ。それでも余った分は街で売る。

少しだけど、お金にもなる。」


んぁ〜合理的だな〜


んだ〜


んだ〜





ルツは収穫を終えると、

今度は空いている土の方へ移動した。


腰の袋から小さな布袋を取り出し、中を俺に見せる。


中には、細かな種が入っていた。黒っぽいもの、

薄茶色のもの、少し丸いもの。

どれもただの粒にしか見えない。


「これを植える。」


「これが、あの野菜になるんですか?」


「なる。」


ルツは当たり前みたいに言う。

前世では、農業なんてしたこと無かったからな....

改めて農家の方に感謝だわ。



その後、ルツは指で土に浅い溝を作った。

まっすぐではなく、少し歪ませている。


「深すぎると出てこないし。浅すぎると乾いてしまう。

この感覚はノアにはまだ難しいかな。」


そう言いながら、

種を一定の間隔で土の中に入れていく。


ぽつ、ぽつ、ぽつ。俺も隣で真似をして、

指先で土を押し広げ、その穴に種を落とす。


力を入れすぎると溝が深くなり、

弱すぎると形にならない。

見ているだけなら簡単なのに、やると絶妙に難しい。


一見上手く行ったように見える穴も、

ルツからすると、ダメなようで、

俺の見ていないところで修正しているようだった。


更に植えていくと、

ルツが突然こちらを一瞥して一言言ってくる。


「間隔が近いかな。」


「え、近いですか?」


「育ったら、ぶつかって、養分の奪い合いになる。」


「ああ……」


なるほど、今はただの種でも、育てば葉を広げ、身をつけ、さらに大きく伸びる。


今の姿だけを見て植えると、あとでダメになるのか。


種を植え終えると、ルツは土を薄くかぶせた。

手のひらで強く押さえず、指先で軽くならすだけ。


「最後に水をやる。」

桶から柄杓で水をすくい、土の上にゆっくりかける。

水は細く広がり、乾いた土の色を濃く変えていった。


俺も柄杓を持ち、水をかけた。


勢いよくかけると、水流で土がえぐれ、

種が流れそうになる。


「ゆっくりね。」


「はい。」


今度は手首を傾けるだけにした。


水が細く落ち、土の表面に小さな丸い跡ができ、

それがすぐに消えていく。


さらにその後、肥料を与え、

他の魔物なんかが芽や野菜なんかを掘り起こさないよう、

畑の周囲に柵のようなものを打ち込んで、縄を貼っていく。



全てが終わる頃には、日が傾き始め、

手を見ると軽いマメができていた。


手も腕も足も腰も、

とにかく全身が痛くて仕方なかった。


だが、ルツは何事も無かったかのように、

野菜の入った重い籠を持ち上げ、こちらを向く。


「帰ろう。リーネが待ってる。」


「はい。」


俺はスコップと空になった水桶と飲み水用の水袋を持った。


朝、俺が背負ってきた籠を見ると、

こちらにもいっぱいの野菜が入っている。


ここから、家まで、この重い籠を運ぶことを考えると、

軽く死にたくなったが、

先程収穫した籠いっぱいの青々とした野菜を見ると、

妙な達成感もあった。


今日の晩飯はさぞ美味く感じるだろうことが、

容易に想像できる。




家に帰ると、既に夕食ができており、

匂いでお腹がなる。


急いで、井戸で手を洗い、顔についた土や泥を落とし、

家に戻り、夕食を取る。



夕食の席で、今日あったことをリーネに聞かせると、

リーネがはにかみながら労いの言葉をかけてくる。


「今日はよく頑張ったわね。」

その声が、あたたかくて、

それだけで全部報われた気がした。


リーネは俺の手のまめに気づき、

包帯を取り出し巻いてくれる。

指先が触れるたびに、その手の温かさが心にまで染みる。


「痛くない?」


「はい。平気です。」


「ふふ、ノアもすっかり畑の男ね。」


「いえ、それはまだ早いと思います。」


ルツは何も言わず、黙々とスープを飲んでいる。



夕食を先に食べ終わり、椅子の背にもたれかかる。

腹はいっぱいだし、腕も重い。

一日分の疲労が、どっと押し寄せて来る感じがした。


リーネが俺の食器を片付けながら言った。

「明日は洗濯の日よ。

ノア、服はちゃんと出しておいてね。」


「はい。……でも、明日も畑手伝うんですか?」


「どうかしらね。お父さん次第ね。」


その「お父さん」は、

まだテーブルの向こうで黙ってスープをすすっている。


「ルツ、明日はどうするの?」


「明日は……道具の手入れかな。」


「そう。じゃあノアは休みね。」

あ〜良かった。


これで「明日も畑だ。」

って言われたら激萎えだったからな。


夕食が終了し、片づけを手伝い、棚に皿を戻していると、

今日の畑仕事のことを思い、ルツには聞こえないように、

リーネに話しかける。


「……母さん。」


「なに?」


「畑仕事って、結構楽しいかもしれません。」


「まあ!明日も行きたいの?」


「いや、それは……ちょっとあれですけど.....ほどほどに。」

それを聞いてリーネが笑う。




片付けを終えて、リビングの窓を開けると、

外では風が吹いていた。


夜の空気がひんやりと、

心地よい風を部屋の中に運んできてくれる。


椅子を窓際に移動させ、座わりこんで、外を眺めると、

遠くで犬の鳴き声がして、

家の明かりがゆらゆら揺れている。


ルツが外をちらっと見て、

「明日、雨が来るよ」と言った。


「え、ほんとに?」

リーネが反応する。


「ああ。匂いでわかる。」


「明日は、洗濯をしようと思ってたのだけど....」

農夫の勘ってやつ、こういうのを言うんだろうな。

魔術よりすごくないか?


「ノア、もう遅いわ。そろそろ寝なさい。」

リーネの声が食卓の方から聞こえてくる。


「はーい。」

椅子を食卓に戻し、部屋に戻ろうとして、

もう一度だけ振り返り、二人を見る。



正反対の二人だがお似合いの二人なんだよな....

いつか、二人の出会いの話でも聞いてみるか。


そう思い、俺は階段を上がり、

自室のドアを開け、部屋に入り、


今日出来なかった、秘密の魔術の特訓を始めた。

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