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第三章 ―神無き祈りを捧げて― *1*

 第三章 ―神無き祈りを捧げて― *1*



 1


 シンドウ・カイが産まれた時、すでにその街は厚い「壁」の中だった。

 しかし、その事を、シンドウ少年は知らずに幼少期を過ごす。


 何故なら、彼の「世界」は、さらに小さな壁に囲われていたからだ。


 部屋の面積は、十畳程もあり、姉のアヤカと2人で暮らしても十分な広さを有していたが、全ての生活がこの圏内で行われるには狭かった。

 だが、当時はまだ幸せで、その十畳の世界が彼とアヤカの全てだった。

 稀に、全身を白い防護服で覆った大人が一人か二人来たが、部屋の隅で怯える彼らの脈を取ったり、血を採ったりするとすぐに帰っていくだけだった。

 その彼の「世界」にある日、「妹」がやって来た。

 年齢は3歳か4歳といったところで、当時の彼の年齢よりも一つか二つ下の様だった。

 最初は、急に正体不明の部屋に連れて来られ、ずっと泣いていたが、アヤカの献身的な世話ですぐに心を開き、妹――メイと、名乗った――は、彼の「世界」の一員となった。

 その後数年、三人は何事もなく平和を享受し、彼の人生の中で最も幸福な時間を過ごした。


 しかし、姉のアヤカの手足がある程度伸びた頃、その「幸福」は突如終わりがやって来た。


 ある日、白い防護服を着た連中がまたやって来たかと思うと、アヤカを「世界」の外へと連れ出した。

 彼と妹のメイは、泣いて扉を叩いたが、もちろん扉が開くことは無く、そのまま二人は泣きつかれ寝てしまった。

 数時間後、アヤカは変わり果てた姿で帰ってきた。

 顔や体全体に、包帯やガーゼが当てられ、痛々しい姿で運ばれてきた。

 アヤカは、その日そのまま口を開くことなく、ベッドに入り寝てしまった。

 彼とメイは、憤怒に燃え、一晩中アヤカの傍で泣いていた。

 次の日、また白い防護服を着た連中がやって来た。

 彼らは、再びアヤカを――ろくに自分の足で動くこともできないのに――連れて行こうとしたため、彼は部屋にあった包丁を持って、連中に飛び掛った。

 アヤカよりも更に一回り小さな子供が襲ってきた事で、白い防護服の連中は、驚き、動揺したため、彼の奇襲は成功した。

「うわ、うわあああああ!?」

「落ち着け!それぐらいなら大丈夫だ!」

「く、この餓鬼!」

 最初は無難に包丁を取り上げようとしていた連中だったが、連中の防護服にかすり傷を着けると、途端に激昂し、容赦なく彼を打擲(ちょうちゃく)した。

「このっ!この、『毒』の分際で!」

 ざらついた防護服の表面が、彼の幼い肌をかするだけ顔は出血し、腕や脚が動かなくなった。

「止めて!お願い、もう止めて!」

 アヤカがぼろぼろの姿のまま、連中に泣きすがると、さすがに連中も(と言うよりは、かすり傷が原因で)彼らの「世界」から逃げていった。

 その日、アヤカは連れて行かれることは無かったが、彼が代わりに床に伏すことになった。


 ◇


 結局、次の日も、その次の日も白い防護服を着た連中は、彼らの「世界」へ土足で踏み込んできた。

 彼とメイは、何とか折を見てアヤカが連れて行かれるのを防ごうと思ったが、連中も以前の失敗で学んだのか、取り押さえ用の棒等を持参してきた為、もう奇襲は成功しなかった。

 それに姉のアヤカに「止めなさい」と言われると、もう彼もメイも何も言えない。

 姉のアヤカは、狭い狭い世界に何年も閉じ込められていた彼とメイにとって、アヤカは姉であり、母であり、神でさえあった。

 また、アヤカは一年もすると、あっという間に逞しくなり、最初の頃のような大怪我をする事はなくなった。


 ◇


 そしてある日、彼も姉のように成長した頃、アヤカ同様「世界」の外へ連れ出されることになった。

 泣きじゃくるメイを必死になだめ、アヤカに連れられて出た初めての「外」は、暖かで明るい「世界」と反して、冷たく薄暗い廊下だった。

 ――こんなもんか。

 と、思ったことを彼は鮮明に覚えている。

 姉を連れ去る恐怖の「外」は、どれだけ恐ろしいものかと身構えていたが、何ということもなくつまらないものだった。

 やがて彼とアヤカは別々の部屋へと、連れて行かれ、彼の行った場所には、全身黒い戦闘衣とガスマスクを着けた男が二人いた。

 全身黒尽くめの男達は、木刀を構え、彼にも同様の木刀を持つように無言で示した。


 その時、彼の中で、一つの天啓が降りた。


 ――コイツラガ、コイツラガ、ネエチャンヲイジメタンダ。

 彼にとって彼の神に仇名すものは、全てが敵であった。

 それは、姉が嫌いな虫であり、姉がこじらせる風邪であり、姉が嫌いなピーマンであり、その全てが敵だ。

 ましてや、一年以上に渡ってアヤカに怪我を負わせてきた連中は、許しがたい外敵である。

「こ、こいつ眼が……!」

 初めて、黒尽くめの一人が口を開いたが、彼の耳には届かない。

 彼は、籠に入った木刀の中から、一番重く、大きな大人用のものを手に取った。

 もちろん、当時の彼の身長以上もある木刀で、通常であれば振り回すどころか、持ち上げることさえ容易ではない。

 だが、彼はそれを片手でゆっくりと頭上に掲げて見せた。

 自分の腕から筋繊維がぶちぶちと聞こえる音がしたが、一切構わなかった。

「やああああああ!」

 そして、気合一閃男の一人に襲い掛かると、武器を持つ腕を下から叩き折った。

「がっ!」

「お、おいっ!?」

 しかし、さすがに彼らも鍛えているだけあって、もう一人がすぐに彼に向かってきた。

 それを無視するどころか、腕を押さえた男を盾に立ち回る。

 そして、その男の脚にもう一振り。

「ぎぃ!?」

 ぼきりと鈍い音が聞こえたが、彼は無視し、倒れた男の頭に目掛けもう一度木刀を振り下ろした。

 すでに、男は声を発することなく、ガスマスクがはずれた頭が、一回小さく跳ねただけだった。

「この野郎!」

 その光景を最後に、彼の意識は途絶えた。



 ◇


 気がつけば、今度は彼が「世界」のベッドの上だった。

 眼を覚ました時には、当時の彼のように泣きはらしたアヤカとメイの顔があった。

 どうやら三日は眼を覚まさず、かなり二人の姉妹を心配させてしまったようだ。

 アヤカから、以前の男の一人が意識不明の重態になったことと、今までこの「訓練」を秘密にしていたことを謝られた。

 アヤカの話によれば、どうやら彼とアヤカ、メイは特殊な訓練のためずっとここに放り込まれているらしい。(「特殊」の意味はアヤカも良くわかっていないようだったが)

 そのため、彼らが「訓練しても意味無し」と判断されれば、自分達兄弟は離れ離れになってしまうかもしれない。

 だから、今は大人しく連中の示すプログラムに従い、恭順した振りをして見せろとアヤカは言った。


 全ては、いつか本当の自分達だけの「世界」を手に入れるために、と。

 もちろん、姉であり母であり神である、アヤカの言葉を疑う余地はない。

 彼とメイは素直に首を縦に振った。

 傷だらけの彼を見る、アヤカの眼に「炎」が宿ったことに気がつかず。



 そして、年月を経て――

 やがて、彼らは大人となる。

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