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幕間 ―追憶―  *4*

 幕間 ―追憶― *4*


 4


 キマイラ・ウィルスが地球上の至るところで蔓延し、徐々に地球が侵食されていく中、アメリカでは早々にある一つのプロジェクトが進められていた。

 それが、今現在の基盤でもあり、あらゆる禍根を残すこととなった「セル・シティ・コンセプション(CCC)」である。


 なんと、アメリカ政府は、「生きている」主要都市の中心部を、全て大きな壁で囲ってしまったのだ。


 キマイラ・ウィルスの比重が大気よりも重いことは、すでにそれまでの研究で判明していた。

 ある程度の高さがある壁であれば、ウィルスの侵入は防げるのだ。

 ただし、そのためには、「壁」が絶対に破られてはならない。

 緊急手術的に建てられた壁に、追加で厚みが加えられ、都市のほんの一握りは安全となった。

 だが、「壁」が遮ったものは、ウィルスだけではない。

 ウィルスに感染した、潜伏の懸念があるもの全てを、壁の外に追いやったのだ。

 同様の研究で、感染者からの空気感染による二次被害はほぼ百%ありえないことが判明していたにも関わらず、都市の自治機能は全ての感染者(と、感染の疑惑のある者)を、キマイラの蔓延る荒廃した大地に放り投げたのだ。

 その当時の惨状は筆舌に尽くしがたく、まさに阿鼻叫喚の地獄絵図であったという。

 しかし、そこまでしても、あの広域なアメリカで、わずか7つしか「セル・シティ」が残らなかった。

 原因の一つは、広大すぎて壁で覆った範囲内に、都市運営に必要な機関が納めきれず、都市として成立しなかったことがある。

 だが、一番の要因はやはり、人心の荒廃にあっただろう。

 あたかも「魔女狩り」の如く、感染者を「狩る」人々と、感染した家族を守りたい人々の間で、争いが起き、都市によっては戦争規模の戦闘になったらしい。

 「らしい」というのは、結局その都市の生き残りがほとんどいないため、その詳細がわからないためだ。

 最も、詳しい話は聞かない方が良いだろう。

 我々人間が「社会」を形成・維持するためには、我々の想像以上に「統率」というものが必要で、それを失った人間の集団は、「社会」ではなくただの「人の群れ」と化す。

 只の「群れ」では到底文化的な生活等望めるわけもなく、その内乱の起きた都市の『(なか)』は、『外』以上に荒れ果て朽ちていった。


 ◇


 けれども、その「セル・シティ」計画は全世界で一定の評価を受けた。

 各国は一斉に、生きた都市の必要な部分を集め、すぐにその周りを厚い壁で囲うと、感染者や被感染者の他、火種となりそうな民族問題や人種問題の対象者を全て塀の外に追い出したのである。

 全てを「秩序」の名の下に。

 アメリカの混乱から学習していた各国は、『(なか)』に武力を集中させていたため、混乱による「セル・シティ」の崩壊は最小限に抑えられたものの、その塀の周囲にはキマイラ被害以上の死者が累々と残り、後年に禍根を残した。


 そして、現在私のいる日本でも、その波はやって来た。


 各国で「セル・シティ」が導入され、キマイラ被害と、キマイラ以上の紛争による悲惨な現状をニュース等報道で観ていた日本では、「セル・シティ」反対運動が起きていた。

 幸いその時には、日本でキマイラ・ウィルスは何故かほとんど起きていなかった。

 日本政府は、当然のように賛成派・反対派の議論がまとまらず、(圧倒的に反対派が多かったが、一部権力者は自分達が守られると信じてセル・シティを推進していた)日々、私達はキマイラ・ウィルスのニュースを、SF映画の世界の出来事のように捉えていたのだと思う。


 だが、遂にその時はやって来た。


 東北の青森、岩手周辺から急激に、キマイラ・ウィルス発見の報が届けられ、(三沢基地が発生地ではないかと推測されたが、今となっては、もうどうでもいいことだろう)すぐに広域封鎖が敷かれた。

 しかし、一度領土内に進入したウィルスの侵攻は止められず、あっという間に全国で感染者の情報が当局まで舞い込み、日本全土は一夜にして混乱の坩堝(るつぼ)と化した。

 それどころか、次の日には「小型キマイラ」が出現。

 自衛隊、在日米軍を総員して駆除に当たったが、キマイラは次から次へと沸いてきた。

 

 結局、一週間も持ち堪えられず、日本政府は「セル・シティ」計画の発動を決行。

 東京を始め、全国で8地域が急遽壁で囲われた。

 この「壁」が、発令からわずか一日で設営されたことから、日本政府は表面上「セル・シティ」の賛否を揉めて見せたが、その裏ではすでに「セル・シティ」実行を決めていたことは明らかだ。

 しかし、それでも8つ全ての「セル・シティ」が、破綻しなかったのは、どんな混乱時でも統制して動くことのできる、日本人ならではのものだろう。(それどころか、各街に、植物工場や培養食肉の製造施設が事前にあったことを鑑みれば、キマイラ・ウィルスの騒動が起きてすぐに、「CCC」に近い発想を抱いた人間が、政府内にいたことになる)

 いくら「船」が着陸した「震源国」だからとは言え、あの広大なアメリカでも7つの「セル・シティ」しか残せなかった事を考えれば、驚異的な数字と言える。

 だが、もちろん混乱が無かったわけではない。

 感染者は、例外なく、外国同様壁の外に追い出されたし、暴動も起きた。

 それでも、争い慣れしていない日本人は、その混乱時でもさほどの死傷者を出さず、むしろすぐに「外」の救援に動いた。

 外国の「セル・シティ」は、一つの国家として、万全の武装を整え、独自の対キマイラ対策を採っていたが、日本の「セル・シティ」では自衛能力が低かった。

 もちろん、8つの地域には、自衛隊が率先して防衛に当たったものの、彼らにも家族があり、可能な限り極めて危険な対キマイラ戦闘を行って欲しくなかった。

 ましてや戦闘訓練を行ったことのない、平均的な日本人は、率先して対キマイラ戦闘を放棄した。

 その反対に、『外』に着の身着のまま追いやられた人達は、衣食住の全てが不足し、危険な状態にあった。

 一応、罪滅ぼしとして『(なか)』の自衛隊の工作部隊が、突貫工事で地下居住区を作り、定期的に食料支援等を行ったが、支援には限界があるばかりか、キマイラ駆除の問題が残されていた。

 そのため、なんと『(なか)』の彼らは、『外』の人間に、食料と一緒に自衛手段の名目で銃器を届けたのである。


 すなわち、「戦え、飯が欲しければ」と言う事だ。


 壁に囲まれた『(なか)』とは違い、『外』ではキマイラとの遭遇は、即死を意味した。

 そのため、銃を手にしたその日から、つい昨日まで『(なか)』の彼らと同じ一般人であったはずの『(なか)』の人々は、夥しい犠牲者を出しながら、キマイラの駆除を「傭兵」として始めたのである。

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