第二章 ―本当の敵― *3*
第二章 ―本当の敵― *3*
3
「剣を二本持ってきて欲しい」
ムナカタが、いつものようにカナタの病室に入ると、カナタは緩い入院服の裾を縛り、袖を捲し上げていた。
膝下は、最初から七分丈なので、甚平のように見えなくも無い。
入院生活で伸びた髪を、後ろで一本に結っている。
その意気は、長い闘病生活を一切感じさせない、裂帛の気合を感じさせた。
ムナカタは、一瞬胸が締め付けられるように感じたことに動揺し、返事が一拍遅れた。
「おい?聞いているか?」
「え?ぁ、ご、ごめん。聞いてなかった」
「剣だ。剣を二本持ってきてくれ」
「ケン?映画の券か何かのことかしら?」
最初は互いに無口だったが、ムナカタもカナタも、互いの前では随分と打ち解けて話せるようになった。
「エイガ?何だそれ?」
ムナカタは、頭を抱えた。
このカナタという少年は決して頭は悪くない。
だが、完全に常識が欠如している。
例えば、まず「建物」がわからないことに驚いた。
彼にとっての「施設」とは、その全てが地下に存在するもので、初めて高い階に連れて行った時は、空を飛んでいると勘違いしてパニックになったぐらいだ。
他に、「学校」や「病院」等が離れた場所にあることの理由も説明するのに大変だった。(まず、移動のために『外を歩く』という概念が無いようだ)
一ヶ月近く経ち、やっとコミュニケーションが取れてきたと思っても、やはりこういう事が日に一回か二回はある。
「あー、もしかしてケンって、あの剣?武器のこと?」
「他に何がある?」
「いや、他にも色々あると思うけど……えーと、剣よね。剣……って、そんな物騒な物何に使うの?」
「トレーニングだ」
何を馬鹿な事をと、カナタが呆れた顔でこちらを見ている。
「また、トレーニング?やめなさいよ。貴方、それでなくても昨日逆立ちで廊下を一周して、先生に怒られたばかりでしょう?」
「しかし、だいぶ腕が鈍ってしまった。トレーニングしておかないと、いざという時に困る」
もちろん、このカナタ少年が嘘や、冗談で言っているわけではないことは、もうムナカタには十分に理解できている。
もちろん思春期特有の妄想でもないだろう。
冗談や妄想で、あの傷はできない。
遊びや空想で、血の小便を流すような訓練はできない。
このカナタは、医者に「全治三年、まともに動けるようになるまで一年」と言われたにも関わらず、わずか一ヶ月足らずで、健康なムナカタ以上の運動能力を発揮している。(ムナカタは、同年代の中でもかなり運動に秀でているにも関わらずだ)
「ところで……その、『貴方』って呼び方、止めてくれないか?」
ふと、突然カナタは照れ臭そうに頬を掻きながら、ムナカタに話しかけてきた。
「え?」
「俺のいた所では、みんな名前で呼び合っていた。『貴方』なんて呼ばれると、むず痒くなっちまう」
「でも、貴方、私のこともいつも『おい』って呼ぶじゃない」
何となく、カナタのそんな表情が珍しく、ムナカタは意地悪をしてみたくなった。
「だって、俺は、君の名前を知らない」
「あれ?私名乗ったこと無いかしら」
そう言われてから、初めて互いに自己紹介もしていないことに気づいた。
「私はムナカタよ。ムナカタ・ケイナ。」
「了解した。ケイナ」
「っ!?」
ムナカタは、突如下の名前で呼ばれて、息を呑んだ。
今まで、ろくにムナカタに声を掛けてくる人間もいなかった。
学校にもほとんど行っていないし、たまに声をかけられても「おい」とか「あの」と呼ばれる事がほとんどだ。
それは、自分が「アレ」だからと小さい頃から理解していたし、だからこそ自分を名前で読んでくれる両親がいないことも、早いうちから理解していた。
養父代わりである、アンドウ老人でさえ、自分を「ムナカタ君」と呼ぶ。
「ど、どうした?」
突然、目の前で顔色を、青くしたり白くしたりするムナカタに、カナタは驚いた。
「な、なんでもない!なんでもないの!」
「今度は、赤くなったな……」
カナタは、当初の話を忘れ慌てふためく、ムナカタを不審な眼で見つめていた。
「なあ、ケイナ。話を戻していいか?」
「あ、うんうん。いいよ。OK。剣、剣の話よね。さすがに本物の剣は無いから。竹刀か木刀でいいなら用意できると思うわ」
「本物の剣が無い?どうして?あと、シナイって何だ?」
何度説明しても、「ここ」では戦う必要が無いことを説明しても、カナタには理解してもらえないので、ムナカタ――改め、ケイナは、カナタの最初の質問を無視した。
「竹刀って言うのは、何ていうのかな、竹で出来た練習用の剣みたいなものよ。まあ、本物の竹は、もうずっと前に手に入らなくなったから、偽物の竹なんだけど……」
「ふうん?木刀とどっちが重い?」
「そりゃ、断然木刀の方が重いわね」
「じゃあ、駄目だ。木でも軽すぎる。もっと重い材質の物がいい」
「いや、もっと重い物って言われても……」
ケイナが、(どうにか練習を止めさせようと)悩んでいると、後のドアが開き、声をかけられた。
「ふむ。とりあえず、試してみたらどうかね」
「アンドウ教授?」
「ごめんごめん、入ろうと思ったら、話し声が聞こえたものでね。突然、会話に割って入ってすまなかった」
アンドウ老人に席を譲ろうとする、ケイナを手の動作だけで押し止め、アンドウは二人に笑顔を向けてきた。
「盗み聞きするつもりは無かったのだが、話は聞いたよ。カナタ君、練習用の武器を探してるんだって?」
「教授?彼は、まだ療養中ですよ」
「なに、逆立ちしながら病院内を動き回れる男に、心配は無用だろう」
「ご存知でしたか」
「まあ、彼は今やこの病院の有名人だからね」
ケイナは、「教授のせいで有名になったのでは?」という言葉を飲み込んだ。
それよりも、気になることがある。
「ところで教授。教授の話しぶりでは、彼の練習道具について、心当たりがあるようですが」
「うむ。ちょうどいいものがある。二人とも、外出用の服に着替えて、ついて来たまえ」
「服はこれしかない」
カナタが、少し困った顔でアンドウとケイナの二人を見て、言った。
「そこの衣装棚に、一式入っているよ」
しかし、アンドウ老人は、何食わぬ顔で、クローゼットを指差した。
ケイナが、代わりに扉を開けると、中には、新品の戦闘衣が入っていた。
◇
アンドウ老人に連れられて病室を出ると、病院の外には黒塗りの車が待っていた。
「これは?」
「乗りなさい」
ケイナの問いかけには答えず、アンドウは二人に手で乗車を促した。
運転席から一人の若者が出てきて、助手席のドアを開けると、アンドウ老人が真っ先に乗り込んだ。
運転手は、後部座席のドアを開けてはくれず、さっさと自分の元いた場所――運転席に戻った。
仕方なく、ケイナは自分でドアを開けようとしたが、その前にカナタがドアを開け先に乗り込んでしまった。
「どこへ向かうのですか?」
ケイナは、前方の養父へ尋ねたが、特に明確な返事は得られない。
いつも、快活な養父だが、今日は口数も少なく、妙に緊張しているように見える。
この車にしても、乗ったこともない高級車で、しかも窓はジョークのように真っ黒で、外がまったく見えない。
ケイナは気味悪くなり、カナタに思わず視線を向けたが、カナタは特に気に留めた様子もなく、せわしなく自分の服を引っ張っていた。
「その服が、どうかしたの?」
――どうやらこの不安感は、この少年とは共有できないらしい。
あきらめて、ケイナは訊ねた。
「あ、ああ。何か、妙に軽すぎて落ち着かない」
カナタが以前着ていたものと、この戦闘衣は、見た目はほとんど変わらないが、着心地がかなり違った。
以前のものよりも、遥かに軽く、あまり服を着ているという実感が無い。
「すごいだろう。耐衝撃と機動性を重視したスーツだ。特殊なウレタンを繊維状にして編みこんでいる。理論上では、高層ビルの屋上から、その服にスイカを落としても割れないはずだ」
アンドウ老人が、久々に口を開いたかと思うと、少し楽しげな様子を見せた。
ケイナは、多少いつもの雰囲気を取り戻した養父を見て、こっそりと胸を撫で下ろした。
だが、その後も特に車内で、会話がはずむような事も無く(そもそも、アンドウ以外は全員基本的に無口だ)、一行は『内』の奥へと進んでいく。
やがて、カナタ達を乗せた車は、大きなゲートのある建物へと辿り着いた。
見ると、見張りらしき男達の肩には、ライフル銃が背負われている。
「ここは……」
ケイナは、以前何度かここに来たことがあった。
「自衛軍」東京基地の研究所がある場所だ。
アンドウ老人が、ここの研究室によく出入りをしているのは知っていた。
だから、養父がほとんど顔パスでここに入れたことも、特に驚かなかった。(本来なら驚くべきことだが、ケイナはそこまで軍の規律を知らなかった)
だが、何故ここに病み上がりのカナタを連れて来るのか、その意図がわからない。
ケイナは、さっきまでのアンドウ老人の緊張した表情を思い出し、言い知れない不安にかられた。