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第二章 ―本当の敵― *2*

 第二章 ―本当の敵― *2*


 2


 カナタは、アンドウ老人から、しばらくの間絶対安静を言い渡され、栄養はおろか排泄までも、全てチューブを通して処理される生活を送った。

 以前(それも5日以上前の事らしいが)、わずかとは言え、体を起こし、アンドウ老人に掴みかかっただけでも、信じられない生命力だと驚かれたらしい。

 だが、カナタはそれからわずか一週間で、点滴台を引きずりながら歩き始めた。

「きゃあ!特別室の、例の患者が……!」

 遠い意識の外で、誰かの悲鳴が聞こえた気がする。

 意識は朦朧とし、一歩歩くたびに全身が切り裂けるような痛みが走った。

 戦場を疾風のように駆けた脚は、足枷をつけたかの如く動かない。

 それでも、カナタは一歩一歩を踏みしめるように歩き、可能な限り背を伸ばした。

「うぐぁ……!」

 空のはずの胃の腑から、こらえきれずに酸っぱい液体が沸いて来た。

 脳が激しく揺すぶられ、手が痙攣を始める。

 カナタは、それでも歩みを止めなかった。

「し、信じられない……、まさか動けるなんて……。誰か!誰か、アンドウ教授を呼べ!」

 周囲のざわめきを無視し、歩き続けるカナタの前に、一人の少女が立ち塞がった。

 あのアンドウ老人と一緒に、カナタの病室に来た、ムナカタと呼ばれた少女だ。

「駄目よ。貴方、重症なのよ」

「ど……け…っ!」

「――ひっ!」

 騒ぎを聞きつけ、カナタを止めに来たはずのムナカタは、逆にカナタに押し返された。

 それも腕力等ではなく、眼力のみで。

 以前も感じた、飢えた獣をも彷彿とさせる、鬼の眼をしていた。

 だが、突然、その鬼の眼から光が消えうせたかと思うと、カナタはゆっくりと廊下に倒れ伏した。

「あ……」

 はずみで、点滴台も倒れ、病棟の廊下に激しい金属音が鳴り響いた。

 カナタの腕から点滴針が抜け、点滴液と一緒に、わずかに血が腕から漏れている。

 しかし、周囲にいるはずの医者や看護士は誰も、カナタを助けようとしない。


 わかっているからだ。


「き、君。アンドウ教授と一緒にいる子だろ……」

 一人の若い医者が、遠巻きからムナカタに声をかけてきた。

 ムナカタは無言で頷いた。

「て、てことは、君も、その例の『アレ』だろ?彼をどうにか、病室に運んでくれないか」

 若い医者は、自分の本来の役目を忘れ、怯えるような目で、カナタを、そしてムナカタを見ている。

 ――また、この眼だ。

 見回すと、周囲にはかなりの人間が集まってきているが、誰も手を貸してくれる様子はない。

 ムナカタは、ため息を一つ吐くと、カナタの脇から手を入れ、ゆっくりと引き起こした。

 合せて、脇下の血管を押さえ、同時に止血を行う。

 ムナカタの白いドレスに、赤い斑点ができただ、気に留めないことにした。

 カナタを肩に乗せ、ムナカタが歩くと、虫の群れのように人がわらわらと避けていく。

「まるで、荒野のようね」

 ムナカタは、ひっそりと独り()ちた。


 

 ◇  


「貴方、もしかしたら馬鹿なのかしら」

 カナタが何度目かの脱走を図った後、ムナカタはカナタの枕元で首を傾げた。

 最も、顔はしかめ面で、馬鹿にしていると言うよりは、怒っているように見えた。

 そのムナカタは、ベッド脇でしゃりしゃりと果物の皮を剥いている。

 この異常に回復の早い患者は、すでに医者から固定物(だたし柔らかいもの限定)を食べても良いと許可を得ている。

「……かもな」

 あまりにも、カナタが脱走を繰り返すので、業を煮やした病院側が、アンドウ老人に依頼し、ムナカタを見張りにつけたのだ。

 最初は、ムナカタが何を話しかけても、ほとんど返事をすることのなかったカナタだったが、今では徐々に打ち解け短い返答を返すようになった。

 それでも、相変わらず無愛想で、返事はぶっきらぼうなままだったが。

「普通なら、今でも重要患者なのよ。それを毎日トレーニングするなんて」

 次第に、病室から逃げだせないことを悟った、カナタは毎日病室でトレーニングを積んでいた。

 ムナカタもやがて、カナタの無茶を止められないことに気づいたので、今では疲れて倒れる寸前まで無視することにしている。

「このままじゃ、戦えない、からな」

 そして、疲労困憊で動けなくなった、カナタをベッドに引きずり戻すのは、決まってムナカタなのだ。

 毎日毎日、無用な手間をかけるこの患者に、いい加減ムナカタも手を焼いていた。

 ――何故、アンドウ教授はこんな子を拾ったのだろう?

「戦うなんて無茶よ。貴方、まともに動くこともできないじゃない」

「だから、一日でも……早く、体を、ぐ……戻さないと」

「それに、何で戦うの?戦わなくてもいいじゃない」

 この『(なか)』――東京において、『戦う』時はすでに負けた時を意味する。

 厚さ二十五メートル、高さ一五〇メートルに及ぶ、『壁』に覆われたこの街で、小型キマイラの攻撃力では、牙一つ立てることもできない。

 一ヶ月に一回現れるかどうかという大型キマイラは、大体が長距離ミサイルで倒せるし、万が一にも近づかれても――


 緊急用の防御装置が、勝手に『外』のキマイラを倒してくれる。


 そう、聞いていた。

 だが、この『外』からやって来たという少年は「戦い」に行こうとしている。

 その言葉に嘘は無いだろうと、ムナカタは信じている。

 何故なら、カナタ少年の世話をする内に、彼の体に、この平和な世界では信じられない程の、無数の傷跡を見つけたからだ。

 それに、彼女の世話役をしているアンドウ教授も言っていた。

 彼が、彼らが人型キマイラを改造し、あろうことかソレに乗り込んで大型キマイラと戦っているという事を。

 カナタの枕元で、ムナカタが始めてその話を聞いたとき、最初は何の話か全く理解できなかった。

 ――キマイラ・ウィルスが蔓延る『外』でキマイラと戦う?

 ――それも、キマイラを改造して?

 ――挙句の果てに、そのキマイラの体を切り開いて、操縦席を作って、乗り込む?

 ドラマや、漫画の世界でも、荒唐無稽と一笑に付されるストーリーだろう。

 だが、アンドウ老人は、むしろそれが常識であるかのように話していた。

 

 ――もしかしたら、『緊急用の防御装置』と言うのは……!


 ムナカタの背に、冷たい汗が流れた。

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