第7話 友達
試験は滞りなく終了した。
ほどなくして、本郷先生から全員の携帯端末へ採点結果が送られてくる。
画面を開いた僕は、愕然とした。
「……嘘だろ」
そこに表示されていたのは、自分の点数だけではない。クラス全員の名前と得点が、順位まで含めて一覧表示されていた。
まさか入学初日から、こんな形で自分の学力をクラスメイト全員に晒されることになるとは……。
恥ずかしい。いや、それ以上に、自分がどこまで落ちぶれてしまったのかを、数字で突きつけられたような気分だった。
「他のクラスはまだ試験中だ。全クラスの試験が終わり次第、入学式を行う体育館へ移動する」
本郷先生が腕時計に目を落とす。
「あと1時間もかからないだろう」
なんだ。入学式はこれからだったのか。思っていたより、ずいぶんと遅いスタートだ。
「トイレに行きたい者は行って構わない。それまでは各自、教室で待機。……俺は少し席を外す」
本郷先生はそう告げると、教室を出ていった。
ドアが閉まると、それまで張り詰めていた教室の空気が、少しずつ緩み始めた。
それにしても、まさか自分の学校生活がこんな形で再び始まるなんて。
一度死んだ僕が、転生者になるために100万単位を目指す。今朝まで想像もしなかったことばかりだ。
「なぁ、野間くん」
突然、目の前から声をかけられ、肩が跳ねた。
僕の前の席に座っていた男子が、こちらを振り返っている。
「僕は西田直哉。ちょっと訊きたいことがあるんだけど」
やや肥満気味の体型に、細い目。どこか神経質そうな印象を受ける男子だった。
「あの点数――わざとだったのか?」
「あの点数って……?」
何の話か分からず首を傾げると、西田は自分の端末を僕の目の前へ差し出した。
表示されていたのは、先ほどの試験結果。そして、僕の名前。
野間勇司 10点。
思わず目を伏せた。
25点満点中、10点。クラス最下位。
しかも5教科すべてが、5点中2点という足切りラインぴったりだった。綺麗すぎるくらい、ギリギリだ。
勉強とは無縁そうな佐治ですら、僕よりずっと上だった。
「中学の頃、あんまり勉強してなかったから……」
正確には、中学3年生以降ほとんど勉強しなくなった、という方が正しい。
だが、初対面の相手にそこまで詳しく話す必要もないだろう。
「じゃあ、本当にわざとじゃないのか?」
「わざとって……何が?」
まだ話が見えない。
西田はこれ見よがしに息を吐くと、女子側の席へ目を向けながら、机に頬杖をついた。
「この試験は、5教科それぞれ5点中2点が足切りだった。それで君は合計10点。全科目、ちょうど最低ラインを通過してる」
「ああ……」
「出来すぎてると思わないか?」
「いや、ただの偶然だよ」
「本当に?」
「本当だよ。それに、わざとギリギリを狙う意味なんてないだろ? 失敗したら単位をもらえないんだし」
転生するためには、100万単位も必要なのだ。こんなところで危ない橋を渡る理由がない。
「この学校は、転生者候補を競わせるための場所なんだろ?」
西田がこちらを見る。
「だったら、自分の実力を隠して、周りを油断させるって戦略も考えられる」
西田は頬杖をついたまま、僕の顔をじっと観察していた。何かを見抜こうとしているかのように。
「君、本当は実力を隠してるんじゃないのか?」
なるほど。ようやく、西田が何を疑っているのか分かった。
「そ、そんなわけないよ!」
僕は身を乗り出して否定した。
「ラノベとかアニメじゃあるまいし、僕にそんな器用なことできないって! ……情けないけど、この点数は正真正銘、今の僕の実力だよ」
西田はしばらく僕の顔を眺めていたが、どうやらまだ納得していないらしい。
居心地が悪くなってきたので、僕は話題を変えることにした。
「それより、西田くんはすごいよね。23点って、ほとんど満点じゃないか。僕からしたら尊敬するよ」
「……それ、嫌みで言ってるのか?」
「いや、そんなつもりはないけど……」
「『ほとんど満点』って。実際に満点を取ってる奴が2人もいるだろ」
西田は唇を尖らせる。
彼の言う通り、満点を取った者は2人いた。
1人は西田の隣の席の女子——三日鈴蘭子。
そしてもう1人……それは、意外にも宮村琴那だった。
「いや、そういう意味じゃないんだ。気に障ったなら、ごめん」
「……まあ、いいさ」
西田は鼻を鳴らした。
「前の学校は進学校だったからね。このくらい取れて当然なんだ」
そう言いながら、再び女子側の席に目を向ける。
「へぇ。進学校に通ってたんだ」
それなら納得だ。
「道理で頭がいいわけだ。23点なんて、僕にはまず無理だよ」
西田がこちらを向いた。
「いいね、君」
西田は僕の顔をしばらく眺めると、口元を緩めた。
「いいよ。なんだか君とは気が合いそうだ」
そして、あまりにもあっさりと言った。
「友達になろう、野間くん」
「と、友達!?」
思わず聞き返してしまった。
西田の眉が寄る。
「なんだよ。僕と友達になるのが不満なのか?」
「ち、違う! 逆だよ!」
慌てて首を振る。
「嬉しくて……その……僕、今まで友達っていなかったから」
目の奥が熱くなった。
「だから、誰かから『友達になろう』って言われたの、初めてで……」
まずい。本当に泣きそうだ。
「大袈裟な奴だな……」
西田は気まずそうに頭を掻いた。
「……そうか。君も色々あったんだな」
それ以上は訊いてこなかった。そのことが、なんとなくありがたかった。
――友達。
僕にも、ついに友達ができた。
たった一言なのに、胸の奥がじんわりと熱くなる。
見たか、宮村。これでもう、僕のことを『確定ぼっち』なんて呼ばせないぞ。
少しだけ得意げになって、隣へ顔を向けた。
しかし宮村はこちらなど見ていなかった。俯いたまま、机の一点をぼんやりと見つめている。髪の先が机の端にかすり、わずかに揺れていた。
さっきから、宮村はほとんど口を開いていない。今朝の彼女からは想像もつかないほどに。
やっぱり、何かあったのだろうか。声をかけようか迷っていると――。
「野間くん」
西田が立ち上がった。
「僕、トイレに行ってくる」
「うん。行ってらっしゃい」
返事をした瞬間、西田の眉がぴくりと動いた。
ただでさえ細い目が、さらに細くなる。
「君、本当に今まで友達がいなかったんだな。こういうときは普通、一緒に行くだろ? 連れションも知らないのか?」
「えっ……!?」
連れション。言葉自体は知っていた。
でも、まさかリアルの友達同士では、トイレまで一緒に行くことが強制イベントになっているとは……。
「ご、ごめん! 僕も行くよ!」
「ふんっ」
西田は鼻を鳴らし、教室の扉へ向かって歩き始めた。僕も慌てて、その背中を追った。
教室を出ると、長い廊下には僕と西田しかいなかった。
二人分の足音が、廊下にやけに大きく響いていた。
「……誰もいないな」
この学校には、1年生だけで15クラスある。
1クラス10人なら、新入生は全部で150人。それなのに、廊下には人影がまったくない。
まるで、この一帯だけが切り離されているみたいだ。
「なぁ、野間くん。気づいたか?」
前を歩いていた西田が振り返った。
「うん。変だよね」
「やっぱり、君も気づいていたか」
西田が満足そうに頷く。
やはり西田も同じことを考えていたらしい。
「こんなに生徒がいるはずなのに、廊下に誰もいないなんて――」
「ん?」
西田が顔をしかめた。
「君、何の話してるんだ?」
「廊下に人がいないのは別に不思議じゃないだろ。他のクラスはまだ試験中なんだから」
「……あ」
西田が隣の1年12組を指差した。
後ろ扉の小窓から中を覗くと、生徒たちは机に向かって試験を受けている。
本郷先生も言っていた。他のクラスは、まだ試験中。終わったクラスも教室待機を命じられている。
「そ、そうか……」
ちょっと恥ずかしい。
「じゃあ、西田くんが気づいたことって?」
「僕が言いたいのは、そんなことじゃない」
西田は妙に真剣な顔をした。
「……歩きながら話そう」
「う、うん」
何だ? もしかして、この学校について何か重大なことに気づいたのか?
西田はその後も廊下を進みながら、何度も他クラスの小窓を覗き込んでいた。
12組。11組。10組……。
そのたびに、小窓へ顔を近づけて教室内を観察している。何かを確かめているようだった。
そして、5組の前まで来たところで――。
「やっぱり!」
西田が足を止めた。
「思った通りだよ、野間くん!」
振り返った西田は、興奮を隠しきれていなかった。
「な、何が分かったの?」
僕は身構える。
西田は一度大きく息を吸い――
「うちのクラスの女子、レベル高すぎるんだよ!」
「……レベル?」
「だから、女子のレベル!」
一瞬、本当に何を言っているのか分からなかった。
まさか、この世界に来たことで他人のステータスでも見えるようになったのか?
……いや。そんなわけない。
「今まで12組から5組まで全部見てきたけど、可愛い子は確かにいた。でも、うちみたいに女子全員が可愛いクラスなんて他にない!」
西田が鼻息を荒くする。
ああ。なるほど。外見のレベルか。
そういえば、西田は教室にいたときから、何度も女子側の席を気にしていた。
「他の教室をずっと覗いてたのって……それを調べてたの?」
「当然だろ?」
当然なのか。さっきまでの真剣さは何だったんだ。
「そ、そうなんだ……」
「……何だい、その反応」
西田の機嫌が一気に悪くなる。
「あまり興味なさそうだな」
「ご、ごめん。そういうわけじゃなくて」
慌てて取り繕う。
「僕、自分のことで精一杯だったから。他の人のことなんて、ほとんど見る余裕がなかったんだ」
死んだと知った直後に、『転生者養成機関学校』なんて意味の分からない場所へ放り込まれたのだ。
今朝から散々やり合った宮村は別として、見ず知らずの女子の容姿を一人ずつ確認する余裕なんてなかった。
……普通はそうだよな?
「野間くん」
西田が呆れたように首を振った。
「君はもっと視野を広げた方がいい。そんなことじゃ、この学校で生き抜いていけないぞ」
女子の顔を見ることが、そこまで重要なのか? まったく理解できない。
だが、西田は僕にとって、人生で初めてできた友達だ。ここでいきなり仲違いするのだけは避けたい。
「うん。ありがとう、西田くん。肝に銘じておくよ」
「まったく。君は世間知らずというか何というか……」
西田はやれやれと肩をすくめる。
「まあいい。これからは友達として、僕が色々教えてあげるよ」
「ありがとう」
「まず最初の重要事項として――うちのクラスの女子5人について説明しておこう」
そこからトイレに着くまで。そして用を済ませ、教室へ戻るまで。僕は西田から、クラスの女子一人ひとりについて、延々と解説を聞かされることになった。
容姿や雰囲気、性格の推測。さらには、西田独自の評価まで。
会ってまだ数時間しか経っていないはずなのに、よくそこまで分析できるものだ。
――こいつ。もしかすると、かなり面倒臭い奴なのかもしれない。




