第4話 洗礼試験
「うっ……!?」
強烈な吐き気が込み上げてきた。
喉の奥まで迫り上がってきたものを必死に飲み込み、机に手をつく。
何だ、これ……。
そう思った直後、今度は全身を震わせるような寒気が襲ってきた。
「ぐっ……!」
悪寒が波のように押し寄せ、歯がカチカチと鳴る。額から噴き出した脂汗が頬を伝い、机の上へ落ちた。
頭が痛い。身体が痛い。息ができない。
耳鳴りが酷く、視界までぐにゃりと歪んでいく。
――このまま、死ぬのかもしれない。
そう考えた途端、どうしようもない恐怖に襲われた。
――誰か……。
――誰か、助けてくれ……!
だが、そのときだった。
「うっ……」
「く、苦しい……」
「な、何なん……これ……」
周囲から呻き声が聞こえた。
幻聴じゃない。霞む視界の中、どうにか周囲の様子を確かめる。
机に突っ伏している者。胸元を押さえている者。頭を抱え、苦痛に顔を歪めている者。
――僕だけじゃない。
全員が、同じ苦しみに襲われている。
それを確かめると、僕は目を閉じた。
理由なんて分からない。どうすれば止められるのかも分からない。だったら今は、耐えるしかない。
僕は机の端を強く握り締め、歯を食いしばった。
ただひたすらに、この苦痛が過ぎ去るそのときまで――。
「……一度、頭を整理する時間が必要だろう。10分後に再開する。トイレに立つのは構わないが、それ以外の私語は厳禁とする」
誰も返事をしない。いや、できなかった。
席を立とうとする者もいない。意図的に動かないのか、それとも動けないのか。あるいは、まだ状況を完全に飲み込めていないのか。
僕自身、まだ指先が微かに震えていた。
――『転生』。
たった一つの言葉が、僕の記憶をこじ開けた。
僕は死んだ。あの日、屋上から飛び降りた。
その事実だけが、頭の中に重く居座っている。
周りの皆も、沈んだ表情を浮かべていた。隣に座る宮村も例外ではない。
出会ったときから自信に満ちていて、どこか傲慢なほど堂々としていた彼女が、今は魂を抜かれたように俯いている。
もし僕の考えていることが正しいのなら、彼女は一体どんな最期を迎えたんだ……?
「10分経った。再開する」
本郷先生の声が、教室に響く。
先生は教壇から生徒たちの様子を確かめた。
「どうやら、少しは落ち着きを取り戻したようだな。では、もう一度聞く。――お前たちは、なぜこの学校に入学した?」
誰も答えない。
しばらくして、一人の女子生徒がおずおずと手を挙げた。
「あの……先生。質問に答える前に、一つ確認させていただいてもいいですか?」
関西弁の女子の後ろに座っている、セーラー服姿の女子だった。
「藤田美紀。なんだ?」
名前を呼ばれた藤田は、ためらいながら口を開く。
「ここは……『死後の世界』なんですよね?」
――死後の世界。
それはつまり、自分たちがもう、この世の人間ではないと認める言葉でもある。
だが、誰一人として否定しなかった。否定できなかった、と言った方が正しいのかもしれない。
本郷先生はしばらく黙っていた。
「『死後の世界』という表現がどこまで正確かは分からない。だが、一つだけ断言できる」
本郷先生の目が、僕たちを順に捉えていく。
「お前たちは全員、一度死んでいる」
分かっていた。僕自身、すでに思い出していた。
それでも、教師の口から明確に告げられると、その事実が改めて重くのしかかってくる。
「では藤田。ここが仮に死後の世界だとして――なぜ、お前はこの学校にいる?」
「それは……」
藤田は言葉を詰まらせた。
「正しいかどうかは、分かりませんけど……」
「構わない。確証など必要ない。今、お前が考えていることを話せ」
「……はい」
藤田は膝の上で両手を握り締めた。
「私は……未練があったからだと思います」
「未練?」
「はい。前の人生で、やり残したことがあった。だから、もう一度学生としてやり直す機会を与えてもらえたんじゃないかって……そう思います」
本郷先生は表情を変えない。
「それが、お前の解答か」
「……はい」
「分かった。座っていい」
藤田が腰を下ろす。
「他に答える者は?」
しかし、手を挙げる者はいなかった。
「なら、こちらから指名する。出席番号一番――石橋達哉」
「はい」
男子側の最前列に座っていた生徒が立ち上がった。
「僕も、基本的には藤田さんと同じ考えです。ただ、一つ付け加えるなら――僕たちがここにいる理由は、『学校生活そのもの』に関係しているのではないでしょうか」
「続けろ」
「僕たちは全員、一度死んだ人間です。そして、なぜか死後も学生の姿をして、こうして学校に集められている」
石橋はクラスメイトたちの方へ顔を向けた。
「なら僕たちは、生前の学校生活に何らかの未練や心残りがあった。その未練を解消するために、もう一度学生として過ごす機会を与えられた――そう考えるのが自然だと思います」
なるほど。藤田の考えを、さらに一歩進めた推理だ。
学校に未練があったから、死後も学校へ通う。少なくとも筋は通っている。
「つまり石橋。お前の考えでは、ここは生前の学校生活に未練を持った者が、その心残りを解消するための場所――ということだな?」
「はい」
「分かった。座れ」
石橋は一礼して着席した。
本郷先生は、正解とも不正解とも言わない。顎に手を当てたまま、僕たちの反応をうかがっている。
「他の者も、おおむね同じ考えか?」
教室に目立った反論はなかった。
僕も否定はできなかった。むしろ、今のところ一番納得できる答えに思える。
ふと隣を見ると、宮村は相変わらず俯いたままだ。
今日出会ったばかりとはいえ、彼女が思ったことを黙って飲み込むタイプではないことくらいは分かる。そんな宮村が、今は何も言わない。それが妙に気になった。
「残念だ」
本郷先生が口を開いた。
「お前たちの答えは、正解にはほど遠い」
「えっ……?」
教室がざわついた。
本郷先生は小さく首を横に振る。
「俺は最初に言ったはずだ。お前たちに共通するキーワードは――『転生』だと」
「では……」
石橋が再び手を挙げた。
「ここは死後の世界ではなく、僕たちがすでに転生した後の世界、ということでしょうか?」
「違う」
本郷先生は即答した。
「そんな単純な話ではない」
ざわめきが止んだ。
「俺はすでに、正解へたどり着くための材料を与えている。それでも誰一人として気づけないか……」
本郷先生の表情に、わずかな失望が浮かんだ。
僕も必死に考える。
僕たちは死んだ。ここは学校。そして、転生。
この三つに、どんな繋がりがある?
「先生。もう少しだけ、ヒントをいただけませんか?」
「無理だ」
本郷先生はきっぱりと言った。
「俺には公平な教師としての立場がある。自分の担当するクラスだけを贔屓することは許されない。それに――」
先生の目が、ふと天井付近へ向いた。
「監視の目もある」
監視……?
「では……」
藤田が不安そうに手を挙げる。
「もし、この問題に答えられなかった場合……私たちは、どうなるんですか?」
「身体的な危険を心配しているのなら、それはない」
その言葉に、藤田の肩から力が抜けた。
「ただし――正解した者に比べ、一歩出遅れる」
「出遅れる……?」
「ああ。もっと分かりやすく言えば――損をする」
その言葉に、教室の空気がわずかに揺れた。
「そして、その損が後になって――」
ブブッ。教卓の上に置かれていた端末が短く振動した。
本郷先生の眉間に皺が寄る。端末へ目を落とし、小さく舌打ちした。
「……失言だったようだ」
「え?」
「補助監督から注意が入った。これ以上の助言は禁止だそうだ」
補助監督……?
教室には、本郷先生以外の教師なんていない。それなのに、今の会話を聞いている誰かがいる。
どうやら、僕たちはどこかから監視されているらしい。
「……残念だが、タイムリミットだ」
本郷先生が深く息を吐く。
結局、誰一人として正解にはたどり着けなかった。
僕たちは、一体何を見落としていた? 何に気づかなければならなかった?
「では――」
本郷先生が教壇の中央に立つ。
先ほどまでとは明らかに違う。教師としてではなく、何かを宣告する者のような表情だった。
「お前たちがこの学校に入学した本当の理由――いや」
本郷先生は、言い直すように首を振った。
「この学校が、一体何のために存在しているのか」
教室から物音が消えた。
本郷先生はゆっくりと目を伏せ、再び僕たちを見据える。
「よく聞け」
低く、よく通る声だった。
「ここは、死者が未練を晴らすための学校ではない。お前たち死者の中から、次なる人生へ進む者を選別し――」
本郷先生は、僕たちに衝撃的な事実を告げた。
「次代の『転生者』を育てるための学校――『転生者養成機関学校』だ」




