第3話 真実
「これで全員揃ったか。改めて自己紹介しよう」
教壇に立つ男性が、教室にいる僕たちへ視線を巡らせた。
「俺の名前は――本郷政人。今日からお前たちの担任を務める。何事もなければ、卒業まで3年間の付き合いになるだろう。よろしく頼む」
そう言って、本郷先生は小さく頭を下げた。
年齢は30歳前後だろうか。がっしりとした体躯に、きちんと着こなしたスーツがよく似合っている。無駄な脂肪が一切感じられないその身体は、教師というより軍人――あるいは元格闘家とでも言われた方が納得できそうだった。
クラスメイトたちから、ぱらぱらと拍手が起こる。
「さて、俺の紹介はこれで終わりだ。次は――お前たちの番だ」
自己紹介か。……まずい。
僕はすでに、入学初日から遅刻するという最悪の形で目立ってしまっている。これ以上、変な印象は残したくない。
趣味でも言うか? いや、アニメとラノベです、なんて初対面で言って大丈夫なのか?
無難に『よろしくお願いします』だけで――。
「――お前たちは、なぜこの学校に入学した?」
「……え?」
予想していた質問とは、まるで違った。
この学校に入学した理由? 何で、そんなことを訊くんだ?
「はっ! んなもん、決まってんだろ!」
突然、大きな声が響き、男子生徒が勢いよく立ち上がった。
学ラン姿に鋭い目つき。いかにも喧嘩慣れしていそうな立ち姿で、他の生徒たちとは明らかに違う、古典的とすら言える不良の風貌だった。
「佐治遼太郎だ!」
佐治と名乗った男子は、自分の胸を親指で指す。
「俺がここに来た理由はただ1つ! この学校で――番を張るって決めたからだ!」
思わず耳を疑った。
番を張る? 令和に?
「聞けよ、てめぇらもな! 俺はこの学校で頂点に立つ! 今日からそう決めたんだよ!」
すごい。何がすごいって、本人が一切ふざけていない。
佐治遼太郎。見た目通り、いや、見た目以上に中身まで筋金入りのヤンキーらしい。
「佐治。分かった。席に着け」
本郷先生が淡々と告げる。
「ふんっ」
意外にも佐治は素直に従い、どかっと椅子に腰を下ろした。ちゃんと先生の言うことは聞くんだな。
「ところで佐治」
「ああ?」
「お前がここへ来た理由は分かった。では、なぜこの高校を選んだ?」
「そんなもん――」
佐治は鼻で笑った。
「この学校が、俺に番を張って欲しがってんだろ」
……どういう理屈だ、それ。
「そうか。なら、もう1つ訊こう」
本郷先生は表情を変えなかった。
「佐治。お前は、この学校の名前を言えるか?」
「ああ?」
佐治の眉が吊り上がった。
「ナメてんのか? 俺が番を張るって決めた学校の名前を知らねぇわけねぇだろうが!」
勢いよく立ち上がる。
「この学校の名前は――」
そこで、止まった。
「この学校の……名前? ん?」
先ほどまでの威勢が、嘘のように消えていく。
「……なんだ?」
僕も最初は、佐治が何かくだらない冗談を言っているのだと思った。だが、違う。本人が一番困惑している。
「自分の通うガッコの名前も出てこーへんて、それギャグで言うてるん?」
女子側の席から、関西弁が飛んできた。
明るい雰囲気の女子生徒が、呆れたように佐治を見ている。
「あんま寒いギャグはやめてくれへん?」
「ああ!? じゃあ、お前は分かんのかよ!」
「そんなん分かるに決まってるやん。このガッコの名前は――」
女子生徒が得意げに口を開く。しかし、続きが出てこない。
「このガッコの名前は……」
その顔から、笑みが消えていく。
「……あれ? なんやったっけ?」
「なんだよ! お前も分かんねぇんじゃねぇか!」
「いや、ちゃうねん! ちょっとド忘れしただけや! ちょお待って。今、思い出すから!」
佐治と言い争う彼女を見ながら、僕も記憶を探ってみた。
この学校の名前。今日から通うことになった高校なのだから、知っていて当然のはずだ。
……あれ? 出てこない。
おかしい。記憶力には、それなりに自信がある。少なくとも、自分が入学した学校の名前を忘れるほど酷くはない。
なのに、何も浮かばない。
校門をくぐり、案内図も見た。教室も分かっているし、学生証だって持っている。それなのに、学校の名前だけが記憶の中から綺麗に抜け落ちている。
いや、待て。学校の名前だけじゃない。
――僕は、そもそもどうしてこの学校に入学したんだ?
受験は? 願書は? 合格発表は? 入学手続きは?
何一つ、思い出せない。
今朝、歩道で目を覚ましたときから感じていた違和感。あれは事故で頭を打ったせいだと思っていた。
でも――。
「あかん! 思い出せん! 腹立つ~! 何やっけ、このガッコの名前!」
関西弁の女子が頭を抱え、そのまま後ろの席を振り返る。
「なあ、あんた分かる?」
「えっ? 私?」
訊ねられた女子生徒は、戸惑いながら首を横に振った。
「ごめん。私も分からない」
「……マジ?」
「うん」
「や、ごめんな。怒ってるわけちゃうねん。ウチも分からへんし……強い言い方して、ごめん」
関西弁の女子が両手を合わせる。
「ううん。大丈夫」
後ろの女子は小さく手を振ったが、そこで少し表情を曇らせた。
「その、学校の名前が思い出せないのも変なんだけどさ。ずっと疑問に思ってたことがあって……」
彼女は神妙な顔つきで話を続ける。
「私たちの格好って、統一性がないよね。まるで違う学校の制服を着ているみたい」
「っ!?」
関西弁の女子が目を丸くした。
「ホンマや! えっ? てか、あんた、何でセーラー服なんて着てるん? このガッコってブレザーやろ?」
「私だけじゃないよ? 周りを見てみて。私以外の女子は確かにブレザーだけど、よく見るとデザインが違うでしょ?」
「あっ! 言われてみれば……それで言うたら、男子のんも……」
二人のやり取りを聞いて、僕もようやく気づいた。
確かに、制服が統一されていない。だが、それ以上に不気味なのは、僕自身が今までその違いを疑問に思わなかったことだ。
このクラスは何か変だ。普通じゃない。
担任教師なら、さすがに何か分かっているはずだ。僕たちが答えを求めるなか、これまで黙っていた本郷先生が口を開いた。
「お前たちが様々な疑問を抱えているのは無理もない。ぜん――いや、ここに来る前に起きた出来事によるショックで、記憶が混同しているのだからな」
ここに来る前に起きた出来事によるショック。
本郷先生のその言い回しは、何やら不吉なものを予感させた。
「先生」
最前列に座る男子生徒が手を挙げる。
「その『ここに来る前に起きた出来事』とは、一体何なんですか?」
本郷先生はすぐには答えず、目を閉じた。
「それを俺の口から教えるつもりはない」
「えっ……?」
教室がざわつく。
「思い出せ。自分の力でだ」
それ以上、誰も口を挟めなかった。
「もがけ。苦しめ。そして考えろ」
本郷先生が言い放つ。
「それが、お前たちがこの学校で最初に挑む――『試験』だ」
試験……?
「これから、1つだけヒントを与える。その言葉をきっかけに、自分がここへ来る直前に何をしていたのか――思い出せ」
ここへ来る直前――。
その言葉に意識を向けた途端、頭の奥に触れてはいけない何かがあるような、妙な感覚がした。
「お前たちに共通するキーワードは――」
僕は無意識に息を止めていた。
「『転生』だ」
――転生。
「っ……!?」
頭の奥で、何かが弾けた。
景色が揺れ、教室が遠ざかる。
忘れていた何かが、堰を切ったように溢れ出してくる。
冷たい風。
高い場所。
眼下に広がる街。
足元のコンクリート。
震える膝。
そして――。
僕は、ようやく思い出した。
どうして入学したのか、じゃない。
どうやって、この学校へ来たのか。
僕は、あの日――
屋上から飛び降りたんだ。




