第2話 最悪の出会い 後編
校門をくぐり、僕も少女も学校の案内図に従って、校舎の中へと足を踏み入れた。
指定された靴箱で、あらかじめ用意されていた上履きに履き替え、長い廊下を進んでいく。
窓からは春の陽射しが差し込み、新学期を迎えたばかりの校舎は、どこか落ち着かない雰囲気に包まれていた。
僕たちは特に言葉を交わすこともなく、自然と並んで歩いていた。……いや、正確には、少し前を歩く少女の背中を僕が追いかけるような形になっている。
すると、少女がぴたりと足を止めた。
どうしたんだろう。何かあったのか?
そう思った矢先、少女がこちらを振り返った。
「ねぇ! さっき、私たち、いい感じに別れたはずでしょう? それなのに、どうして水を差すみたいに、ずっとついてくるの?」
「なっ……!?」
唐突な言いがかりに、声が裏返った。
「そんなこと言われても……! 1年生の教室はこっちのフロアだし、新入生同士なんだから、同じ方向に進むのは自然じゃない?」
確かに、さっきの別れは、どちらかといえばドラマチックだった。
もしこれがドラマや映画なら、あそこで場面が切り替わり、お互い別々の場所から物語が動き始めるのだろう。そして後に運命的な再会を果たす。ここまでがお約束だ。
だが、ここは現実だ。同じ学校の新入生が、同じ校門から校舎に入れば、当然しばらく同じ道を歩く。
現実とは、実に情緒がない。
「なら、あなたはあっちの道から行けばいいでしょう?」
少女が指差した先には、大きく広がる運動場。さらにその向こうには、鬱蒼とした森が広がっていた。
「嫌だよ! 土地勘もないのに、あんなところ通ったら絶対迷うだろ! 僕も正規のルートから行かせてよ!」
僕の反論に、少女はむっと眉をひそめた。
「……あなた、さっき『また会えるのを楽しみにしてるよ』なんて格好つけていたけれど、このやり取りで全部台無しよ」
「……台無しにしたのは、君の方じゃないか」
頭が痛くなってきた。こめかみを押さえながら、溜め息をつく。
せめてそこには触れず、格好つけたまま終わらせてくれよ。
「じゃあ、こうしましょう」
少女は廊下の先にある二つの階段を示した。
「ここから別々の階段を使うの。あなたは右。私は左。これなら文句ないでしょう?」
「いや、でも……」
案内図を見る。どう考えても、少女が選んだ方が遠回りだ。
「……本当にそっちから行くの? 遠回りになるよ。僕がそっちに行くから、君は近い方を使えば――」
「あなたに借りを作る気はないから」
差し出しかけた親切を、手のひらごと叩き落とされた気分だった。
「……分かったよ」
「じゃあ、今度こそ、本当にさようなら」
「……うん」
少女はくるりと背を向け、階段を上っていく。さっきのロマンチックな別れが嘘のような、なんとも味気ない別れだった。
まあ、いい。狭い学校だ。彼女の言う通り、いつかまた会うこともあるだろう。そのときには、名前くらい教えてくれるだろうか。
◇
それから僕は、なんとか気持ちを切り替え、自分の教室までやって来た。
扉の横に掲げられた札には、『1年13組』の文字。学生証と見比べる。間違いない。ここだ。
しかし、いざ教室を前にすると、足が止まった。
入学初日から遅刻。しかも、理由が分からない。目を覚ましたら校門前の歩道に倒れていました――なんて説明したところで、信じてもらえる気がしない。
前の扉から堂々と入る勇気はなく、僕はこっそり後ろの扉へ回った。できる限り目立たないように、わずかに扉を開ける。
「お、遅れてすみません! き、今日から入学した新入生の、の、野間です……!」
……全然、目立たずには済まなかった。
教室にいた生徒たちが一斉にこちらを向き、僕は注目を浴びて身が縮こまった。入学早々、『遅刻してきた奴』という烙印を押された気分だ。
「野間勇司。待っていたぞ」
教壇に立っていた教師らしき男性が、淡々と僕の名前を呼んだ。
「自分の席につけ。お前の席は男子側、窓際の一番後ろだ」
「は、はい……!」
怒鳴られることを覚悟していたが、遅刻について咎められることはなかった。ひとまず安心して、指定された席へ向かう。
「あと一人だ。全員が揃ってから話をする」
あと一人?
席に着いて改めて教室を見ると、僕の隣だけが空席だった。
それにしても、少ないな。席は全部で10人分しかない。
少子化の影響……なのだろうか。それにしたって、一クラス10人というのは少なすぎる気もするが……。
まあ、現代日本の少子化問題には抜本的な対策が必要だと思う。できることなら、僕も何か貢献したい。そのためには、まず相手を見つけなければならないのだが――。
やめよう。自分で考えておいて悲しくなってきた。
そんなことより、今は一つ朗報がある。僕の席だ。
窓際の一番後ろ。ラノベやアニメに明るい僕は知っている。ここは、いわゆる『主人公席』と呼ばれる場所だ。
数々の物語において、主人公たちが座ってきた由緒正しき場所である。そして、主人公席の隣といえば――ヒロイン席。だいたいそういうものだ。
だが、その席は今、空いている。
一体、どんな女子が座るのだろう。可愛い子だったらいいな。いや、別に贅沢は言わない。普通に話せる子なら、それで十分――。
そこまで考えたところで、さっき出会った少女の顔が頭に浮かんだ。
いやいや。まさかな。
同じ学校。同じ学年。そこまでは分かる。でも、同じクラスで、しかも隣の席? そんなベタな展開、現実で起こるわけがない。
さっきだって、わざわざ別々の階段から別れたんだ。きっと今頃、彼女は別の教室に――。
ガラッ。
教室の扉が開いた。
「遅れてすみま――あっ!」
聞き覚えのある声に、嫌な予感がした。恐る恐る顔を上げると、そこに立っていたのは先ほどの少女だった。
……嘘だろ?
向こうも同じことを思ったらしい。目を見開き、口をぱくぱくさせながら僕を指差しかける。
僕は隣の空席を確認した。
まさか。
いや、待て。まだ決まったわけじゃない。同じクラスだっただけだ。席まで隣だなんて、そんな――。
「遅れて申し訳ありません。ですが、遅刻の理由について、少し弁明させていただけますか? 実はそこの彼――」
少女が僕を指差す。
おい。まさか本当に、さっき言っていた『不審者を追いかけていた』って話をするつもりじゃないだろうな!?
「遅刻の弁明は必要ない。さっさと席につけ。宮村琴那」
教師の一言に、少女の言葉が遮られた。
「……はい」
いかにも不服そうに眉をひそめる少女。
――宮村琴那。
ここで僕は初めて、彼女の名前を知った。
宮村は教室の奥へ向かって歩き始め、僕の隣で足を止めた。当然のように、空いていた席へ腰を下ろす。
同じクラス。しかも、隣の席。
――ヒロイン席。
いやいやいや。本当にあるのかよ、こんなベタな展開。さっき自分で『ヒロイン席』なんて考えていたせいで、余計に恥ずかしい。
それよりも問題は――。
宮村が、ゆっくりとこちらを向いた。
にこり、と微笑む。
なぜだろう。背筋に冷たいものが走った。
『あなた、後で覚えていなさいよ』
声に出していないはずなのに、なぜかはっきりそう聞こえた。
……勘弁してくれ。




