第18話 学生寮
学生寮は、A棟からG棟まで――全部で七つの建物から成り立っていた。
男子寮はA棟からC棟。女子寮はD棟からF棟。そして教職員が暮らすG棟。
「寮っていうか……団地みたいだな」
そんな感想が漏れた。
新入生だけで百五十人。そこに上級生と教職員まで加わるのだから、この規模になるのも当然なのだろう。
とはいえ、同じような外観の建物がずらりと立ち並ぶ光景は、学生寮というより巨大な集合住宅そのものだった。
「まあ、とりあえず中に入ってみるか」
西田に促され、僕たちは寮の敷地へ足を踏み入れた。
すると、外から眺めていたときとは印象が一変した。
建物に囲まれた中央には広い中庭があり、その一角には小さな池まで造られている。澄んだ水の中を、色鮮やかな鯉がゆったりと泳いでいた。
「驚いた……中は案外、綺麗なところだな」
西田が感心したように呟く。
「うん。外から見たときとは全然違うね」
これなら暮らす場所としては、悪くないかもしれない。
「これから三年間、世話になるんだ。寮長に挨拶しておくか。寮長は普段、G棟にいるらしい」
西田が端末の案内を確認しながら言った。
こういうところを見ると、意外と律儀な性格らしい。
僕たちは中庭を横切り、ひとまずG棟へ向かうことにした。
歩きながら、僕も端末に表示された学生寮の案内へ目を通す。
棟ごとの配置や設備についての説明が並ぶ中、一つ気になる項目があった。
「学生寮って、家賃はかからないんだね」
「みたいだな。電気、ガス、水道なんかの光熱費も無料らしい」
西田に言われ、画面を少し下へスクロールする。本当だ。
「それは助かるね」
卒業まで、限られた資金で生活しなければならない。家賃も光熱費もかからないのなら、実質的に必要なのは食費や日用品くらいだろう。
そんな話をしながら歩いていると、背後から女の子の声がした。
「あら、新入りさん?」
声につられて足を止めると、赤い髪をポニーテールにまとめた小柄な少女が立っていた。
制服の襟元には赤いリボン。整った顔立ちには、まだ幼さの残る可愛らしさがある。
「私、三田村紅。この寮の自治会長をやってるの。よろしくね」
彼女は片手を軽く上げた。
その仕草は妙に堂々としていて、小柄な見た目とは不釣り合いなほどの余裕を感じさせる。
「これはご丁寧にどうも。西田と申します。こちらは野間です」
相手が可愛い女の子だからだろうか。西田はさっきまでより明らかに姿勢を正し、キリッとした顔で名乗った。
「あら。礼儀正しい子ね」
「はい。僕は常日頃から礼儀を心掛けています。日本人として当然のことです」
「ふふっ。あなた、面白いわね」
三田村は口元に手を添えて笑った。
西田って、女の子の前だとこうなるのか。
「それで、あなたたち。まだ部屋には行ってないの?」
「はい。まだ部屋も決まっていないので、今から寮長のところへ伺おうかと」
「ああ、それなら必要ないわ」
「え?」
「あの人なら今頃、昼寝してる時間だから」
自治会長がそれを言っていいのだろうか。
「代わりに私が案内してあげる」
「いいんですか?」
「もちろん。自治会長なんだから、それくらいはね」
三田村はくるりと踵を返した。
「ついて来て。あなたたちの寮はこっちよ」
僕と西田は、偶然にも同じC棟の入居者らしい。
三田村に続いて、僕たちはC棟へ向かった。
建物に入ってからも、彼女は迷う様子もなく廊下を進んでいく。
その後ろを歩いていて、ふと妙なことに気づいた。
――足音がしない。
僕と西田の靴音は、硬い床を踏むたびにはっきりと廊下に響いている。なのに、数歩先を歩く三田村からは、ほとんど音が聞こえてこない。
「野間くん」
隣を歩く西田が、小声で呼びかけてきた。
「何?」
「あの人……足音がしなくないか?」
どうやら気のせいではなかったらしい。
「うん。僕も同じこと考えてた」
二人して三田村の足元を確かめる。
普通に歩いている。忍び足でもなければ、特別ゆっくり歩いているわけでもない。
それなのに、音だけがない。
なんだろう。妙に不気味だ。
「着いたわよ」
「っ!」
三田村が突然振り返り、僕と西田は揃って肩を揺らした。
彼女はそんな僕たちを不思議そうに眺めたあと、目の前のエレベーターを指した。
「これに乗って、それぞれの部屋に向かえばいいわ。今、あなたたちの端末に部屋番号を送ったから」
端末を確認すると、確かに画面に新しい通知が表示されていた。
「ありがとうございます。とても助かりました」
西田が丁寧に頭を下げる。
「お礼なんていいわよ」
三田村は目を細めた。
「だって私――あなたたちに会うの、楽しみにしてたんだもの」
「え……?」
西田の動きが止まった。
「あ、あの……それは、どういう意味で……?」
「あら。真面目に受け取っちゃった?」
三田村がくすりと笑う。
「冗談よ、冗談」
そのまま立ち去るのかと思ったが、三田村はもう一度こちらを振り返った。
「半分は、ね」
「え?」
「じゃあね、野間くん、西田くん。また会いましょう」
僕たちの返事を待つことなく、三田村は歩き出した。
赤いポニーテールが左右に小さく揺れ、曲がり角を折れると、その姿は見えなくなった。
「ちょっと、あの人、不思議な感じがしないか?」
「うん」
僕は三田村が去っていった方へ顔を向けた。
最後まで、足音は聞こえなかった。
「でも、親切な人ではあったよね」
「それはそうなんだけど……」
西田は端末を確認する。
「どうして、僕たちの部屋番号が分かったんだ? 寮長に確認すらしてなかっただろ」
「自治会長だから、そのくらいの権限があるんじゃない?」
僕も自分の部屋番号を確認する。
『C棟 424号室』
「僕は三二〇号室みたいだ」
西田が自分の端末を見せてくる。
「僕は四二四号室」
西田が黙った。
「どうしたの?」
「不吉だな」
「え?」
「四二四」
言われて、頭の中で数字を読み上げる。
よん、に、よ。
――し、に、よ。
「死によ?」
「そう」
気づきたくなかった。
いやいや、偶然だ。ただの部屋番号だ。たぶん。
僕たちはエレベーターに乗り、それぞれの部屋へ向かうことにした。
「じゃあ、野間くん。三十分後にエントランスで」
「うん」
このあと、西田とは買い出しへ行く約束をしている。
お互い初めての一人暮らしだ。何が必要なのかもよく分からないし、部屋にどこまで生活用品が揃っているのかも分からない。
西田は「ある程度は揃っているはずだ」と言っていたけれど、実際に見てみないことには何とも言えない。
三階で西田が降りる。
「じゃあ、あとで」
「うん。またあとで」
扉が閉まり、エレベーターは再び動き出した。
四階に到着する。
扉の向こうには、静かな廊下が伸びていた。
白く塗られた壁。等間隔に並ぶ扉。その横には金属製のプレートが取り付けられ、部屋番号だけが淡々と刻まれている。
さっきまでの中庭とは打って変わって、妙に無機質だ。病院の廊下を思わせる。
その中を進み、目的の部屋を見つけた。
『424』
「ここか」
これから三年間、この部屋が僕の『家』になる。
そう考えると、不思議な気分だった。
僕にはもう、帰る家なんてないと思っていた。なのに今、目の前には新しい帰る場所がある。
わずかに緊張しながら、ドアノブに手をかけて回す。
開かない。
「鍵……?」
当然と言えば当然なのだが、鍵なんて受け取った覚えはない。カードキーらしきものもない。
「もしかして、三田村さんから受け取るの忘れた?」
今から追いかけるのか。それは面倒だな……。
そう思ったところで、手にしていた端末が震えた。
「ん?」
画面が点灯している。
『424号室――ドアを解錠しますか?』
「なるほど」
どうやら、この端末そのものが鍵になっているらしい。
『YES/はい』
表示されたボタンをタップする。
カチッ。目の前のドアから、小さな解錠音がした。
もう一度ドアノブを回すと、今度はあっさりと開いた。
「便利だな……」
お金も、この学校の案内も、部屋の鍵も。この世界での生活は、どうやらこの端末一つですべて管理されているらしい。
なくしたら洒落にならないな。
そんなことを考えながら、僕は部屋へ足を踏み入れた。
「おお……」
思っていたより、ずっと広い。
ゆったりとしたワンルームには、シングルベッドと勉強机が置かれている。小型の冷蔵庫に洗濯機、簡単なキッチンスペースまで備わっていた。バスルームとトイレも別々だ。
これなら、一人で暮らすには十分すぎるくらいだろう。
僕は改めて室内を見回した。
「テレビ……ないな」
どこにも、それらしきものは見当たらない。
もしかすると、この世界にはテレビそのものがないのだろうか。
だとしたら、アニメは?
いや、それより重要な問題がある。
「ラノベは……あるよな?」
ないと困る。かなり困る。
死んだうえにラノベまで取り上げられたら、さすがに救いがなさすぎる。
そんな馬鹿なことを考えながら、今度はクローゼットを開ける。当然ながら、中は空っぽだった。
「まぁ、制服があるしな」
続いてキッチンの戸棚を確認する。
鍋、包丁、まな板。奥にはフライパンも入っていた。
「料理なんてしたことないけど……」
フライパンを手に取る。
自炊経験ゼロの僕にとって、今のところは無用の長物だ。
いつか誰か大切な人ができたら、その人がここに来て、これを使って料理を作ってくれたりするのだろうか。
「…………」
なぜだろう。その『誰か』を想像すると、ある女の子の顔が浮かびかけた。
「いやいやいや」
僕は慌てて首を振る。
何を考えてるんだ。今日会ったばかりだぞ。
僕は余計な想像ごと押し込めるように、フライパンを戸棚の奥へ戻した。




