第17話 詮索
「では、また明日。解散!」
本郷先生の号令を合図に、クラスメイトたちは三々五々、教室を出ていった。
皆、これから学生寮へ向かうのだろう。目的地が同じなのだから、まとまって行けばいいのに。
そんなことを考えている間にも、藤田や石橋は誰に挨拶するでもなく、さっさと教室を後にしてしまった。
自己紹介のときは、二人とも親しみやすそうな印象だったのに。案外、ああいうのはうわべだけなのかもしれない。
少しばかり残念に思っていると――。
「鈴蘭ちゃん! 琴那! 寮まで一緒に行こや!」
明るく弾むような声を上げたのは、カンナだった。
鈴蘭ちゃん?
誰のことかと思ったが、三日鈴がすぐに反応する。
なるほど。三日鈴蘭子――だから、『鈴蘭ちゃん』か。
入学式の間に考えていたという「みんなの呼び方」の一つなのだろう。
「はい、カンナさん。お誘いありがとうございます。ぜひご一緒させていただきます」
「そうね。目的地が同じなのだから、断る理由はないわね」
三日鈴と宮村が笑顔で応じる。
つい先ほどまで互いのことをほとんど知らなかった三人が、すでに小さな輪を築いていた。
「よっしゃ! ほな、行こか!」
その様子をぼんやり眺めていると、ふいにカンナと目が合った。
「野間っち!」
「ん?」
「じゃあ、また明日な。ほなね!」
カンナは大きく手を振り、にっと歯を見せて笑う。
「うん。また明日」
僕も手を振り返した。
「野間さん、西田さん。さようなら」
三日鈴も僕たちに向かって、丁寧に頭を下げる。
相変わらず礼儀正しい。
見ているだけで、なんだか心が洗われるようだった。
そして――。
「野間くん」
宮村が僕を呼んだ。
「また明日」
小さく手を振る彼女の顔は、ほんの少し前まで僕の胸の中で泣いていたとは思えないほど穏やかだった。
「……うん。また明日、宮村さん」
その控えめな仕草に、自然と頬が緩む。
三人とも、本当に親しみやすい。
それに――。
皆、すごく可愛いし。
宮村とは、今日だけでずいぶん打ち解けられたと思う。
カンナや三日鈴とも、これからもっと仲良くなれたらいいな。
三人が教室から出ていく。
僕はその姿が見えなくなるまで、なんとなく眺めていた。
「…………」
「…………」
いつの間にか、教室には僕と西田だけが残っていた。
「僕たちも行こうか」
西田が呟くように言った。
「そうだね」
僕は頷き、西田と一緒に教室を出た。
それにしても――学生寮か。
寮生活なんて、もちろん初めてだ。
どんな部屋なんだろう。一人部屋なのか、それとも誰かと相部屋なのか。
楽しみな反面、知らない場所で暮らすことへの不安もある。
そもそも僕は、前世でも一人暮らしをしたことがない。
「なあ」
廊下を歩いていると、隣から西田の声がした。
「うん?」
「きみ、宮村さんと何かあったのか?」
「えっ? どうしてそう思うの?」
西田は少しむっとした顔をしていた。
「どうしてって……明らかにお互い意識してるだろ」
「え?」
「あそこまで露骨なら、鈍感な奴でも気づくよ」
「そ、そんなに……?」
声が上ずった。僕と宮村が?
いや、確かに屋上では色々あった。抱きしめたりもした。
だけど、それは宮村が泣いていたからで――って……改めて考えると、結構すごいことしてないか、僕。
「ほら。その顔だよ」
西田が呆れたように言う。
「な、何にもないよ!」
慌てて否定する。
もちろん、屋上で宮村から聞いた話を西田に話すつもりはない。
あれは、宮村が僕を信じて打ち明けてくれたことだ。
僕の口から誰かに話していいことじゃない。
「それに」
西田が続ける。
「きみ、カンナにも随分気に入られてるみたいじゃないか」
「カンナに?」
「あだ名までつけてもらってただろ。『野間っち』だっけ?」
「ああ」
西田の声には、妙な棘があった。
そこで思い出す。そういえば、カンナは僕だけでなく、宮村や三日鈴にも新しい呼び方をつけていた。
でも――西田には……。
僕は隣を歩く西田の顔を窺った。
「何だよ」
「いや、何でもない」
もしかして、こいつ――自分だけ何もつけてもらえなかったのが、ちょっと悔しいのか?
なんとなく場を和らげたくなって、僕は冗談めかして笑った。
「今の僕、ちょっとモテ期ってやつかも」
西田の眉間に皺が寄った。
「笑えない冗談だな」
「え?」
「自分の顔、鏡で見てみろよ」
余計なお世話だ。お前にだけは言われたくない。
喉元まで出かかった言葉を、どうにか飲み込んだ。
ここで喧嘩したって仕方がない。
これから同じクラスで過ごしていくんだ。
西田とはできれば、良好な関係を続けたい。
とはいえ、さすがに今のはちょっと腹が立つ。
「そんなに気になるなら、西田くんもカンナにあだ名つけてもらえばいいじゃないか」
僕は意地悪く笑った。
西田が目を見開く。
図星だったのかもしれない。すぐに眉間へ皺を寄せ、小さく鼻を鳴らした。
「ふん。あだ名ってのは、勝手につくもんだろ。自分から頼むようなもんじゃないよ」
「それはそうかもしれないけど」
そう答えながら、僕は少し嬉しくなった。
考えてみれば――。
僕は今まで、誰かからあだ名をつけてもらったことなんてなかった。
『野間っち』
たったそれだけなのに。
カンナが僕との距離を縮めてくれたようで、悪い気はしなかった。
そんなことを西田に言ったら、また機嫌を悪くしそうだから黙っておくけど。
僕たちは校舎を出た。
学生寮までは、歩いて十五分ほどらしい。
校門を抜け、細い坂道をゆっくりと下っていく。
道の両側には、満開の桜並木が続いていた。
春風が吹くたび、淡い花びらがひらひらと舞い落ち、僕たちの前を横切っていく。
生きていた頃なら、何度も目にしたはずの光景。
それなのに今は、不思議なくらい新鮮に見えた。
しばらく無言で歩いたあと、僕は西田に声をかけた。
「でも、宮村さんとは、本当に何もなかったよ」
西田がこちらを向く。
「ただ、屋上で少し話しただけだよ」
嘘ではない。
もちろん――全部を話しているわけでもないけど。
「…………」
西田は僕の言葉を確かめるように黙っていたが、ほどなく前を向いた。
「そうか。なら、いいけどな」
その声は、どこか安心したようにも聞こえた。
……なんなんだろう、こいつ。
僕はそれ以上追及しなかった。
坂道をさらに下っていくと、木々の隙間から、大きな建物が姿を現した。
白い外壁。
何階建てなのか、ここからではまだよく分からない。
端末のマップに表示されている場所とも一致している。
「あれが……」
僕は足を止めた。
学生寮。
これから僕が暮らす場所。
期待と不安を抱えながら、僕はその建物を見上げた。




