第16話 これから
入学式を終えた本郷先生とクラスメイトたちが、教室へ戻ってきた。
本郷先生は僕たちの姿を見つけると、すぐに宮村へ声をかけた。
「宮村。体調の方は、もう大丈夫か?」
「はい。ご迷惑をおかけして、本当に申し訳ありませんでした。おかげさまで、もうすっかりよくなりました」
宮村は丁寧に頭を下げた。
泣き腫らした跡こそわずかに残っているものの、先ほどまでの弱々しさはもうそこにはなかった。
「そうか。それと、入学式に出られなかったからといって、何かペナルティがあるわけではない。そのあたりは安心していい」
本郷先生は僕にも目を向けた。
「二人とも、入学式の内容で気になることがあれば、後でクラスメイトに聞いておけ」
「はい」
僕が答えると、隣にいた宮村の表情がわずかに曇った。
――クラスメイト。
自己紹介のとき、宮村は皆にかなり高圧的な態度を取ってしまっている。そのせいで、クラスの大半は彼女にあまりいい印象を持っていないはずだ。
このままだと、宮村が孤立してしまうんじゃないか。
そんな不安が胸をよぎった矢先だった。
「皆、さっきはごめんなさい」
宮村の声が、教室に響いた。
「え……?」
彼女は一歩前へ出ると、クラス全員に向かって深く頭を下げた。
「自己紹介のとき、私はあなたたちに、ひどく高圧的な態度を取ってしまいました」
宮村は顔を上げない。
「ここが現実世界ではないことも……自分が死んでしまったことも、私は受け入れたくなかった。その感情を、初対面のあなたたちにぶつけてしまったんです」
さらに深く頭を下げる。
「本当に……ごめんなさい」
飾りのない、まっすぐな謝罪だった。
「宮村さん」
藤田が口を開いた。
「さっきはちょっと……混乱してるように見えたけど、今はもう大丈夫?」
「藤田さん……」
宮村が顔を上げる。
「私は、あなたにもひどいことを言ってしまって……本当にごめんなさい」
「大丈夫。私は気にしてないよ」
藤田は柔らかく笑った。
「ただ……どうしてそんな短い時間で、そこまで気持ちを立て直せたのかは、ちょっと気になってね」
「それは……」
宮村が言葉に詰まった。
僕には打ち明けてくれた、両親のこと。有明会のこと。そして、あの事件で何が起きたのか。
だけど、あの過去を大勢の前でもう一度語れるほど、傷が癒えたわけじゃない。
何とか助け舟を出せないかと考えていると、カンナが口を挟んだ。
「言いたくないことやったら、無理に話さんでもええんとちゃう?」
「カンナ……」
「何があったかは知らんけど、話したくないことの一つや二つ、誰にでもあるやろ」
カンナは宮村へ向き直った。
「大事なんは、宮村さんが今の現実を受け入れたってことや。……せやろ?」
宮村はしばらくカンナの顔を見つめてから、頷いた。
「ええ」
胸元に手を当てる。
「私は……このクラスで皆と一緒に、『転生者』を目指していきたい」
すぐに返事はなかった。
けれど、さっきまで宮村に向けられていた刺々しい空気は、もうどこにもなかった。
宮村もそれに気づいたのか、ほっとしたように息をついた。その横顔を見ながら、僕も胸を撫で下ろす。
よかった。これならきっと――。
「――そういやウチ、入学式の間にみんなの呼び方考えててん」
「……は?」
思わず間の抜けた声が出た。あまりにも唐突な話題だったからだ。
「なんやねん、その反応。せっかく考えたったのに」
カンナは不満そうに頬を膨らませ、人差し指を立てた。
「まずは――野間くん!」
その指先が真っ直ぐ僕へ向けられる。
「野間くんのことは、これから『野間っち』って呼んでもええか?」
「僕?」
自分を指差して聞き返す。
「せや。野間っち。ええやろ?」
「……うん。ありがとう。あだ名って、初めてつけてもらったから……ちょっと嬉しいかも」
口にすると、なんだか気恥ずかしくなった。
「よろしくね、カンナ」
「よっしゃ! よろしくな、野間っち!」
カンナが親指を立て、白い歯を見せる。
ふと、妙な視線を感じた。
西田がなぜかむっとした顔で僕を睨んでいる。
……なんで? もしかして、自分もあだ名で呼んでほしかったんだろうか。
「ほんで――」
カンナの声に、僕は顔を戻した。
「宮村さんやけど……」
さっきまでの軽い調子が、ほんの少しだけ変わる。
「アンタのことは……『琴那』って呼ばせてもらうけど、構へんか?」
宮村が一瞬、言葉を失った。
――琴那。苗字でも、あだ名でもない。それは、彼女自身の名前だ。
「……ええ。いいわよ」
宮村は横髪をさらりとかき上げ、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「カンナ」
「……!」
今度はカンナが驚く番だった。
だが、すぐに満面の笑みを浮かべる。
「よろしくな、琴那!」
カンナが右手を差し出した。
「ええ。よろしく」
宮村も微笑みながら、その手を握り返す。
ふと見ると、三日鈴が二人の後ろに立っていた。
胸元で小さな両手を重ね、どこか遠慮がちに二人の様子を窺っている。
もしかして――自分も輪の中に入りたいのだろうか。
そんなことを考えていると、三日鈴がおずおずと二人へ近づいた。
宮村とカンナが握手を交わしている、その手の上に、自分の小さな両手をそっと重ねる。
「……え?」
「お?」
二人が同時に三日鈴を見た。
三日鈴は何も言わず、ただ穏やかな笑顔を浮かべていた。
二人もその意味を察したらしい。
宮村は少し照れくさそうに頬を染め、カンナは嬉しそうに笑った。
なんとも微笑ましい光景だった。
宮村、カンナ、三日鈴。
重なった三人の手を見ていると、何か新しいものが始まったような気がした。
「ああ……お前たちが初日からそこまで打ち解けているのは、正直驚くが――」
本郷先生の呆れたような声が飛んできた。
「そろそろ席に戻ってくれるか? まだ伝えておきたい注意事項がいくつかあるんだ」
「あっ、すんません!」
カンナの声を合図に、僕たちはそれぞれ自分の席へ戻った。
本郷先生は全員が着席したのを確認すると、教壇に両手をついた。
「今日は入学式だけで終わりだ。この後はすぐに解散となる。だが、その前にいくつか説明しておく」
教室を見渡し、説明を続ける。
「まず、お前たちには今後、学生寮で生活してもらう」
「学生寮っ!?」
驚きの声が上がった。
とはいえ、考えてみれば当然なのかもしれない。
ここは死後の世界に存在する特殊な学校。僕たちにはもう、帰る家がないのだから。
「寮の場所は学校の案内図と、各自の端末のマップに表示されている。それに従って移動してくれ。ただし――」
本郷先生の声色が変わった。
「学生寮には、学校とは違うルールがある。それだけは、絶対に守ること」
妙に強い言い方だった。
ただの生活上の注意事項というわけではないのだろうか。
「それから、ここでの生活費についても説明しておく」
本郷先生は話題を切り替えた。
「お前たちの端末には、すでに一定の金額が振り込まれているはずだ。買い物をする際は、その金を使うことになる」
お金……?
死後の世界にも、そんなものがあるのか。
「端末に表示されている『¥』をタップしてみろ」
言われるまま、僕は端末を手に取った。
画面に表示された『¥』のアイコンをタップする。
次の瞬間――。
『現金残高:603,731円』
「……六十万?」
思わず声が漏れた。
何だ、この金額。
「えええっ!?」
突然、カンナの大声が響いた。
「ウチ、四十万も振り込まれてるやん! これ、ホンマに使てええん!?」
四十万?
僕はもう一度、自分の画面を見る。
603,731円。
まさか――。
「四十万って少なくねえか? 俺のは七十四万入ってんぞ」
佐治が何でもないことのように言った。
「えええっ!? 嘘やん!」
カンナが勢いよく佐治の席へ駆け寄り、端末を覗き込む。
「ホ、ホンマや……! 七十四万……!」
「私は八十万だよ」
今度は藤田が自分の端末を見せた。
「八十万!?」
カンナがそちらへ駆け寄る。
「ウチの倍やん……」
その場で、がくりと膝をついた。
「なんでなん……? こんなん不公平やんか!」
すぐに立ち上がると、端末を握ったまま本郷先生へ詰め寄った。
「センセ! どういうことなん!?」
「落ち着け。今から説明する。席に戻れ、辻崎」
納得していない顔のまま、カンナは渋々自分の席へ戻った。
「端末に表示されている金額に差があるのは当然だ。なぜなら――それは、お前たちが前世で亡くなった際に、周囲から捧げられた香典や供物を、すべて現金換算したものだからだ」
「……香典?」
小さな声が漏れた。
香典。
亡くなった人の冥福を祈り、その遺族へ渡されるもの。
つまり、この金額は――。
「……私たちが、どれだけ大切に思われていたか……ってこと?」
藤田が、かすかに震える声で呟いた。
教室が静まり返る。
僕も端末へ目を落とした。
『603,731円』
さっきまでは、ただの数字にしか見えなかった。
だけど、今は違う。
僕が死んだあと、誰かが僕のために香典を包んでくれた。誰かが供物を捧げてくれた。
僕の死を悲しんでくれた人がいた。僕という人間がいなくなったことを、惜しんでくれた人がいた。
その一つひとつが積み重なって、この数字になっている。
六十万三千七百三十一円。
それが多いのか、少ないのかなんて分からない。
もちろん、この金額だけで僕がどれだけ大切にされていたかなんて、分かるはずもない。
それでも、この数字の向こう側に、僕を想ってくれた誰かがいる。
そう考えると、胸の奥に言葉にできない感情が込み上げた。
「……ふっ」
隣で宮村が小さく笑った。端末を見つめるその表情には、どこか皮肉めいた寂しさが滲んでいる。
「死んだ後でも、お金に振り回されるなんて」
宮村は静かに息を吐いた。
「人生って、最後の最後まで……お金に縛られるものなのね」
端末に表示された金額。それがまるで、自分が生きていた価値を数字に置き換えられたように思えてしまう。
そんなもので、人の価値が決まるはずはない。
それでも、一度そう考えてしまえば、気にするなという方が無理だった。
「まあ、安心しろ」
本郷先生が口を開いた。
「各々、ここで生活していく上で必要最低限の額は振り込まれているはずだ。贅沢をすればすぐに底をつく。逆に慎ましく生活すれば、それなりに余裕も生まれる」
本郷先生の声音が少しだけ低くなる。
「ただし――この金は、補充されることはない」
「……え?」
「一度使い切れば、それで終わりだ。使い方には十分気をつけろ」
「……補充されへんって、どういうことですか?」
さっきまで金額の差に騒いでいたときとは違い、カンナの声には明らかな不安が滲んでいた。
「もし……使い過ぎて失うなったら、ウチら、どうやって生活していけばええんですか?」
「それは各自の責任だ」
本郷先生は即答した。
カンナが言葉を失う。
しかし、本郷先生の表情も一瞬だけ曇った。
「だが、一つだけ言えることがある」
僕は無意識に背筋を伸ばした。
「この世界には――お金がないことよりも、もっと恐ろしいものがある」
その言葉だけが、妙に耳の奥に残った。
本郷先生の瞳に浮かんでいたのは、生徒を脅すような色ではなかった。
その『何か』を自分自身が知っているかのような、鋭さと悲しみ。
僕はその意味を訊ねることができなかった。
先生も、それ以上は何も語らなかった。




