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第15話 宮村琴那は——

 宮村は翳りのある瞳で虚空を見つめた。


「……最初から、『有明会』を信じていたわけじゃないの」


 僕は何も言わず、宮村の言葉に耳を傾ける。


「昔は、ごく普通の家族だったわ。父は母と一緒に小さな会社を経営していて、生活にもそれなりに余裕があった。少なくとも私は、何不自由なく暮らしていたと思う」


 宮村はどこか懐かしむように目を細めた。


「でも、私が中学生になった頃から……少しずつ、全部がおかしくなっていった」


 その表情から、先ほどまでの柔らかさが消えた。


「会社の経営が傾き始めて、家でもお金のことで言い争うことが増えた。そんなときだったわ。両親が『有明会』を知ったのは」


 会社の経営が悪化する中、両親は『不幸を断ち切り、幸せになる』と謳う『有明会』に救いを求め、次第にその教えへのめり込んでいったという。


「家計は一気に傾いたけれど、家族みんなで笑顔で過ごせる日々が続いていたから、私は幸せだと思っていた。恋人はいなかったし、友達もそんなに多くなかったけど……それでも、心は満たされていたの」


 少なくとも、その頃の宮村にとって、『有明会』は家族を壊す存在ではなかったのだろう。


 むしろ、不安に押し潰されそうだった両親に、心の拠り所を与えてくれた場所だったのかもしれない。


 それが、なぜあのような悲劇へと繋がってしまったのか――。


「……あの悪魔が現れるまでは、ね」


 宮村の声が震えた。膝の上で、両手が強く握りしめられる。


「あの日は忘れもしない。令和元年六月六日。私たちは『選ばれし信者』として、栃木県の山奥にある施設に招待されたの。そこには大勢の信者とその家族が集められていて……中には、まだ小さな子供たちもいたわ」


 宮村は目を閉じ、唇を噛んだ。


「そこで悪魔は言ったのよ。『転生』すれば報われる。この世の苦しみから解放され、新たな世界で幸せになれる、と。でも、それは綺麗事。献金ができなくなった信者を、都合よく片付けるための方便に過ぎなかった」


 怒りと悲しみが入り混じり、声が掠れる。


「私は叫んだ。『皆、騙されている! こんなもの信じては駄目! 自殺なんかしても、転生なんてできない!』って……。でも、誰も聞いてくれなかった。私の両親でさえ、私の言葉に耳を傾けてくれなかった。それほどまでに、『有明会』の洗脳は強かった」


 堪えていた涙が、頬を伝った。


「次々に自殺していく人たち……『転生万歳!』『有明会万歳!』……そう叫ぶ狂気の中で、私はただ一人、取り残された。混乱の中、両親の最期の顔すら見られなかった。私が少し目を離した隙に、二人は……もう……」


 宮村は涙を袖で拭い、顔を上げた。


「それでも私は抗(あらが)った! この地獄を絶対、生き抜いてやる! ここで行われた惨劇を、『有明会』の闇を、白日の下に晒してやるって……そう決めたの!」


 胸の奥が締めつけられるようだった。


 両親すら信じてくれない状況で、それでも彼女は最後まで諦めなかった。


『有明会』という大きな組織を相手に、たった一人で。


 だけど――彼女は今、ここにいる。


 それが何を意味しているのか。


 考えれば、かける言葉なんて見つからないはずだった。


 なのに――。


「宮村さん。きみは……本当に頑張ったんだね」


「っ!?」


 宮村が目を見開いた。


「……ええ。私は……一人で……頑張ったの。本当に、頑張ったのよ。でも……何も、できなかったの……」


 最後の言葉とともに、彼女の顔が歪んだ。


 そして突然、宮村は僕の胸へ飛び込んできた。


「み、宮村さん……!?」


 どうしていいのか分からなかった。


 それでも、震える彼女を突き放すことなんてできない。


 おそるおそる、その背中に腕を回す。


 きっと彼女は、ずっと誰かにそう言ってほしかったんだ。


「宮村さん……頑張ったね。きみは、本当に頑張った」


「野間くん……わ、私は……っ!」


「もう、何も言わなくていいよ」


 宮村の指が、僕の制服を強く掴んだ。


 それからしばらく、僕たちは何も話さなかった。


 宮村の嗚咽と、屋上を吹き抜ける風の音だけが聞こえていた。


 彼女の震えが収まると、ゆっくりと身体が離れた。僕も背中に回していた腕をほどく。


 泣き腫らした目を伏せる宮村に、僕は訊ねた。


「宮村さん。……これから、どうするつもりなの?」


 宮村は顔を上げた。


「私は……」


 迷った末に、首を横に振る。


「やっぱり……『転生』なんて、受け入れられない」


 その一言で分かった。


 宮村が拒絶しているのは、この学校だけじゃない。


 ――『転生』という言葉そのものなんだ。


 その言葉によって、両親を奪われた。

 大勢の命を奪われた。

 そして、自分自身の人生まで奪われた。


 そんな言葉を、簡単に受け入れられるはずがない。


 それでも――。


「……そう。つまりきみは、逃げるってことだね」


「逃げる……?」


 宮村の眉がぴくりと動いた。


 ひどいことを言っている自覚はあった。彼女がどれだけ苦しんできたのか、今の僕には想像することしかできない。


 それでも、彼女が本当にすべてを諦めてしまったのか、確かめたかった。


「私は逃げてなんかいない!」


「じゃあ、どうするの?」


「それは……!」


「前世のきみは、『有明会』にたった一人で立ち向かったんだろ? 誰も信じてくれなくても、最後まで諦めなかった。それなのに、今度は何もせずに諦めるの?」


「違う!」


 宮村が僕を睨みつけた。


「私は……ただ……今さら、どうにもできないのよ!」


「どうにもできない?」


「だってそうでしょう!」


 宮村の声が屋上に響いた。


「私は死んだのよ! お父さんも、お母さんも死んだ! あの事件だって、もう起きてしまった! 今さら私に何ができるっていうのよ!」


 その言葉を聞いた瞬間――僕の中で、何かが繋がった。


 ――そうだ。


 今の宮村には、できない。


 すべて終わってしまったあとなら、何も変えられない。


 でも、もし――もう一度やり直せるとしたら?


「……だったら、やり直せばいい」


「え……?」


「今からじゃ間に合わないなら――もう一度、最初からやり直せばいいんだ」


 宮村が怪訝そうに僕を見る。


「何を……言ってるの?」


「宮村さんは、この学校を卒業して『転生者』になるんだ」


「っ……!」


 彼女の表情が強張った。


「やめて……!」


「そして、もう一度――『宮村琴那』として生まれ変わればいい」


「…………え?」


 拒絶しかけていた宮村の動きが止まった。


「もう一度……私が、私自身に……?」


「そうだよ」


 本郷先生の言葉を思い出す。


 この学校で競争を勝ち抜いた者には、己の望むままに転生先を選ぶ権利が与えられる。


 なら――。


「この学校では、望む転生先を選べるって本郷先生が言っていたよね」


「でも……同じ人生をやり直すなんて……」


「できるかどうかは分からない。記憶を持ったまま戻れるのかも、過去に戻れるのかも」


 宮村は黙って僕を見つめていた。


「でも、できないと決まったわけでもない。だったら、この学校で確かめてみる価値はあると思うんだ」


 宮村は何も言わなかった。


 ただ、さっきまで絶望に沈んでいたその顔に、わずかな変化があった。


「この学校で……確かめる……」


「うん」


 僕は頷いた。


「もし本当に、もう一度『宮村琴那』として生きられるなら――今度は、あの事件を止められるかもしれない」


「…………!」


「きみは結末を知っている。何が起きるのかも、『有明会』がどれだけ危険な存在なのかも分かっている」


 話しているうちに、僕自身まで熱が入っていく。


「だったら今度こそ、家族を助けられるかもしれない。あの事件で亡くなった人たちだって救えるかもしれない」


「私が……?」


「うん」


「私が……あの事件を……」


「止めるんだ」


 宮村は呆然としていた。


「『有明会信者集団自殺事件』を止める。そして、できるなら――『有明会』そのものを潰してしまえばいい」


 さっきまで拒絶しかなかった宮村が、今は僕の言葉を聞いている。


 なら、もう一つだけ伝えたかった。


「それに――きみが目指す『転生』は、有明会が言っていた転生とは違う」


「……違う?」


「あいつらは、大勢の人を騙して、死ぬことを『転生』って呼んだんだろ?」


「…………」


「でも、今度は違う」


 僕は一歩、彼女に近づいた。


「誰かに騙されるんじゃない。誰かに命令されるんでもない」


「…………」


「きみ自身が、自分の意志で選ぶんだ」


「私の……意志で……」


 有明会の被害者としてじゃない。


 誰かに人生を決められた少女としてでもない。


「宮村琴那として、もう一度生きるんだ」


「…………っ!」


 宮村の瞳から、一筋の涙がこぼれた。


「私……もう一度……」


 震える唇が、ゆっくりと言葉を紡いでいく。


「宮村琴那として……生きてもいいの……?」


「それを決めるのは、僕じゃないよ」


「え……?」


「きみだ」


 宮村は目を見開いた。


「きみ自身が決めるんだよ。もう一度生きたいのか。それとも、ここで諦めるのか」


 長い沈黙が流れた。


 風が二人の間を吹き抜けていく。


 宮村は袖で涙を拭った。


 そして――僕を見た。


「……野間くん」


「うん」


「私、『転生者』になるわ」


 今まで彼女を苦しめ続けていた、その言葉。


 両親を奪った言葉。

 大勢の命を奪った言葉。

 そして何より、宮村自身が拒み続けていた言葉。


 けれど今――彼女は初めて、自分自身の意志でそれを口にした。


「もう一度、『宮村琴那』として転生する。そして今度こそ……お父さんとお母さんを助ける。あの事件を止めてみせる」


 さっきまで泣き崩れていた宮村は、もうそこにはいなかった。


「『有明会』も……絶対に許さない」


 あの日、たった一人で『有明会』に抗った――宮村琴那が、そこにいた。


 その覚悟が本物なのは、もう疑う余地もない。


 だけど、転生すると決めたからといって、誰もが転生者になれるわけじゃない。


 本郷先生の話では、この学校にいる大勢の生徒たちの中から、条件を満たした者だけがその権利を手にできる。


 その道がどれほど厳しいものになるのか、今の僕たちにはまだ分からない。


「この学校で『転生者』になれるのは、ほんの一握りだけだ。それでも、挑む覚悟はある?」


「ええ」


 返事に迷いはなかった。


「家族を、多くの人を、あの悲劇から守れる可能性があるのなら、私は努力を惜しまない。それがどれだけ過酷な道でも、絶対に諦めない」


 宮村は大きく息を吸った。


「私は『転生者』になる」


 そして、決意を刻み込むように力強く言い直す。


「いいえ――必ず、なってみせるわ」


 その瞬間、僕は息を呑んだ。


 涙に濡れ、絶望の底で光を失っていた彼女の瞳が、完全に輝きを取り戻していた。


 そこにあったのは、迷いでも、悲しみでもない。


 精錬された宝石のような、澄み切った輝き。


 一度すべてを失い、それでもなお自分の意志で立ち上がった――宮村琴那という少女の強さが、そこにあった。


 宮村は空を見上げ、真っ直ぐに手を伸ばした。


 その指先は、どこまでも続く青空へ向かっている。


 まるで、一度奪われた未来を――今度こそ自分自身の手で掴み取ろうとしているかのように。


「……うん。きみの本気、伝わったよ」


 宮村は少しだけ頬を染め、微笑んだ。


 その笑顔はまだ涙に濡れていたけれど、さっきまでとはまるで違って見えた。


「もし、また一人じゃ抱えきれないことがあったら、そのときは僕を頼ってよ」


「……え?」


「ここでは、もう一人で戦わなくていいから」


 宮村が目を瞬かせる。


「僕に何ができるかは分からないけど……それでも、きみの力になりたいんだ」


「どうして……?」


 宮村が僕を見つめた。


「あなたは、どうして私にそこまでしてくれるの?」


「どうしてって……」


 言葉に詰まる。


 なぜだろう。


 今日出会ったばかりの女の子なのに。

 どうして、こんなにも彼女の力になりたいと思うんだろう。


 答えを探しているうちに、胸の奥が妙に熱くなった。


(そうか。僕は――きっと、彼女のことが――)


 そこまで考えて、慌てて思考を止める。


「……単純に」


 僕は照れくさくなって、頬を掻いた。


「宮村琴那っていう人を、応援したくなったんだ」


 宮村の瞳が大きく揺れた。


 その目に再び涙が浮かんだ。


 けれど今度の涙は、さっきまで流していたものとは違って見えた。


「野間くん……ありがとう」


「ううん。僕の方こそ、色々偉そうなこと言ってごめん。頼りないかもしれないけど……これからよろしく」


 そのとき、強い風が吹いた。


 宮村の長い髪が大きくなびく。


 彼女は髪を押さえながら、ほんの少しだけ僕から顔を逸らした。


「私……あなたのこと――ったみたい」


「え?」


 風にさらわれ、肝心なところだけ聞き取れなかった。


「宮村さん、今、何て……?」


「なっ……!? な、何も言ってないわよ!」


 宮村の頬が一気に赤く染まった。


「えっ? でも、今確かに――」


「何も言ってない!」


 宮村は僕の背中をぐいぐいと押した。


「ほら! そろそろ教室に戻るわよ!」


「ちょ、ちょっと宮村さん!」


 押されるまま、僕は屋上をあとにした。


 さっきまで泣き崩れていたのが嘘みたいだった。


 彼女が最後に呟いた言葉――。


 それが何だったのか、僕には分からない。


 でも、胸の奥には温かな何かが確かに残っていた。


 まだ名前をつけることのできない、その感情だけが――。

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