第14話 宮村琴那は転生しない②
廊下に響く自分の足音だけが、鼓動のように耳に届く。
教室を飛び出してから、まだそれほど時間は経っていない。そう遠くへは行っていないはずだ。
「宮村……!」
名前を呼びながら廊下を走る。いくつかの教室を通り過ぎ、階段へ差しかかったところで、ふと足が止まった。
この先には、屋上がある。
宮村がどこへ向かったのかは分からない。それなのに、僕の意識は階段の先へと引き寄せられていた。
屋上。
そう意識した瞬間、左足首に鋭い痛みが走った。
「っ……!」
咄嗟に手すりを掴む。怪我なんてしていない。痛む理由もない。それなのに、足首を締めつけられるような痛みが消えなかった。
手のひらに汗が滲み、心臓が嫌な音を立て始める。
――行きたくない。
頭ではなく、身体がそう訴えていた。
僕にとって屋上は、ただの学校施設じゃない。自分の人生を終わらせた場所だ。
もちろん、この学校の屋上はあの日の屋上とは違う。そんなことは分かっている。それでも、足が震えた。
そんな僕の頭に、三日鈴の言葉が蘇る。
宮村を、一人にしてはいけない。
僕だって、そう思った。
宮村とは今日出会ったばかりだ。まだお互いのことなんて、ほとんど何も知らない。それでも、教室を飛び出していったときの彼女の顔が、どうしても頭から離れなかった。
「……行こう」
自分に言い聞かせ、一段上がる。また足首が痛んだ。それでも、もう一段と足を踏み出す。
一段、二段、三段――。
上へ進むたび、あの日の記憶が蘇ってくる。
屋上を吹き抜けていた風。眼下に広がっていた景色。そして、縁に立っていた僕。
『この世界に僕の居場所はない』
やめろ。
『もう、終わらせよう』
思い出すな。
「っ……!」
四階の踊り場で壁に手をついた。息が苦しく、視界の端が黒く揺れる。
それでも顔を上げると、屋上へ続く扉が見えた。わずかに開いた隙間から、風が吹き込んでいる。
「……宮村」
そこにいるかどうかなんて分からない。それでも、ここまで来て引き返すわけにはいかなかった。
残りの階段を駆け上がり、扉に手をかける。一瞬だけ指が止まったが、僕は力を込めて押し開けた。
生温い風が頬を撫でる。
強い日差しに目を細めた。四月とは思えないほど、屋上には熱気がこもっていた。
そして、視線を向けた先に――。
「……いた」
屋上の端、フェンスのそばに人影があった。
宮村だ。
彼女はしゃがみ込み、膝を抱えていた。風に翻弄される髪が、まるで火のように揺れている。
「……宮村さん」
声をかけると、彼女の肩がびくりと震えた。けれど、振り返らない。
「……どうして、あなたがここにいるの?」
掠れた声だった。
「それは……」
すぐには答えられなかった。
どうして追いかけてきたんだろう。心配だったからか、三日鈴に頼まれたからか、それとも放っておけなかったからか。
たぶん、全部だ。
でも、うまく説明できない。
「……死にたくないの」
「え……?」
宮村が膝に顔を埋めたまま呟いた。
「私……死にたくない」
その声は震えていた。
「自分が死んだってことが事実だったとしても……こんな場所に来てしまったとしても……それでも私は、死にたくないの」
僕は何も言えなかった。
「三日鈴さんの話……すごいと思ったわ」
宮村は顔を上げない。
「ずっと身体を動かすこともできなかった人が、もう一度歩けるようになって……学校に通えるようになって……。あの子にとって、ここに来られたことが救いだっていうのも分かる」
そこで声が詰まった。
「でも……私は違う」
宮村がようやく顔を上げた。涙で濡れた瞳が、僕を捉える。
「私は……まだ終わらせたくなかった」
胸の奥が詰まる。
「まだやりたいことがあった。まだ生きていたかった。それなのに……勝手に全部終わらされて……今度は『次の人生に転生しろ』なんて……」
宮村の唇が震える。
「そんなの……受け入れられるわけないじゃない……!」
その言葉を聞いて、ようやく分かった。
宮村が拒絶していたのは、転生そのものじゃない。転生を受け入れるということは、自分の人生がすでに終わってしまったと認めることになる。
だから、受け入れられないんだ。
「あなたには……分からないわよね」
「…………」
否定できなかった。
僕は自分から死を選んだ。でも、宮村は違う。少なくとも今の言葉を聞く限り、彼女は生きたかった。
同じ『死んだ人間』でも、僕と彼女ではまるで違う。
だからこそ、知りたいと思った。
「宮村さん」
「……何?」
「宮村さんのことを、教えてほしい」
宮村が驚いたように顔を上げる。
「私のこと……?」
「うん」
唾を飲み込んだ。
「ここに来る前……何があったのか。どうして、死ぬことになったのか……」
口にしてから、訊くべきではなかったかもしれないと思った。出会って間もない人間に踏み込んでいい話じゃない。ましてや、死ぬ直前のことだ。
「……ごめん。やっぱり、話したくないなら――」
「有明会」
「え?」
宮村が僕の言葉を遮った。俯いたまま、ぽつりと呟く。
「私は――『有明会』の被害者よ」
「有明会……?」
その名前には聞き覚えがあった。いや、聞き覚えなんてものじゃない。
知っている。忘れるはずがない。
「まさか……」
頭の中に、連日テレビで流れていた映像が蘇る。ニュース速報、現場を取り囲む報道陣、そして何度も画面に表示された事件名。
「『有明会信者集団自殺事件』……!?」
宮村の肩が、わずかに揺れた。
「宮村さん……あの事件の……?」
宮村は何も答えず、ただ小さく頷いた。
『有明会信者集団自殺事件』。
僕が死ぬ半年ほど前、日本中を騒がせた大事件だ。
新興宗教団体『有明会』の信者とその家族――百人を超える人々が、一斉に命を落とした。
連日、テレビではそのニュースばかりが流れていた。あまりにも異様で、現実離れした事件で、国内だけでなく海外でも大きく報じられていたはずだ。
まさか、その被害者が今日、僕の隣の席に座っていたなんて。
「私の両親は……『有明会』の信者だったの」
宮村がぽつりと告げた。
さっきまでの激しい感情は消えていた。代わりに浮かんでいたのは、ひどく遠いものを思い返すような表情だった。
「全部、話すわ」
風が吹き抜ける。
宮村は目を閉じ、それからゆっくりと口を開いた。
――あの日、何があったのかを。




