第9話 自己紹介【前編】②
「じゃあ、次は僕の番でいいのかな?」
そう言って手を挙げたのは、男子側の最前列に座る生徒だった。
爽やかな笑みを浮かべながら、堂々と立ち上がる。
「僕は石橋達哉。神奈川出身です。趣味は体を動かすこと。スポーツ全般って感じかな。中学から高校まで軟式テニス部に所属していたけど、ここでは別のことにも挑戦してみたいと思ってます。改めて、皆、これからよろしくお願いします」
明るく、ハキハキと話す石橋の姿は、まさに〝陽キャ〟そのものだった。
僕とは正反対の人種に思える。
見た目も整っていて、間違いなくイケメンの部類に入るだろう。前方に座る女子たちからは、小さな歓声まで上がっていた。
その直後、西田が石橋を睨んだ。
……どうやら、気に食わないらしい。
「じゃあ、次の人お願いします」
石橋が後ろの男子を促す。
そこに座っていたのは、頬がこけるほど痩せた、不健康そうな男子だった。長く伸びた前髪が目元を覆い隠している。
その下で、彼は薄く笑っていた。
いや――笑っている、という表現が正しいのだろうか。
口角だけがわずかに歪み、不自然な弧を描いている。
「……影山芳樹。趣味は観察と実験」
ぼそりと、それだけを口にした。
趣味が……観察と、実験?
「えっと……実験って、具体的にはどんなこと?」
石橋が戸惑いながら訊ねる。
影山はゆっくりと顔を上げた。
前髪の隙間から覗いた瞳は、異様なほど澄んでいた。
まるで僕たち一人ひとりを、顕微鏡の向こう側から観察しているような――そんな目だった。
「……人体実験」
石橋の笑顔が引きつった。
佐治とは違う。
あいつが分かりやすく危険だとすれば、影山は何を考えているのか分からない。
「へ、へえ……。よく分からないけど、なんかすごそうだね」
石橋はどうにか平静を装って答えた。
影山は軽く肩をすくめただけで、それ以上は何も言わなかった。
どうやら自己紹介は終わりらしい。
おそらく、クラスの誰もが同じことを考えていた。
――この男とは、できるだけ関わらない方がいい。
「じゃあ、俺だな!」
勢いよく立ち上がったのは、佐治だった。
「佐治遼太郎だ! 俺はこの学校で番張るつもりだ! 舎弟の募集はしてねぇが、どうしてもってヤツがいるなら、この場で名乗り出ろ! 考えてやる!」
誰も名乗り出なかった。
「ちょっとええか? 質問したいんやけど」
カンナが軽く手を挙げる。
「悪いが、女の舎弟は受け付けてねぇな」 「そんなん聞いてへんわ!」
即座にツッコミが飛ぶ。
「ずっと気になっとったんやけど、アンタ、その格好なんなん?」 「学ランを知らねぇのか? これは漢の正装だ」 「学ランちゃうわ! ウチが言うてんのはそっちや! そっち!」
カンナが佐治の足元を指差す。
「なんで下駄履いとんねん! 上履きあったやろ!」
言われてみれば、確かにそうだ。
僕たちが学校指定の上履きを履いている中、佐治だけはなぜか便所下駄を履いていた。
「知るかよ。俺の下駄箱にはコイツが入ってたんだ」 「はああぁ!? しょーもない嘘つきなや! なんでアンタだけ特別扱いやねん!」 「そりゃ、学校が俺に番張って欲しがってるからだろ」
また始まった。佐治独自の超理論だ。
「学ランに下駄。これぞ漢の中の漢。番長たる俺にぴったりじゃねぇか。学校のくせに粋なことしやがる」 「……もうええわ。おかしな輩にこれ以上付き合うてられん。次いこ、次」
カンナが呆れたように肩をすくめる。
ところが、その言葉が佐治の癇に障ったらしい。
「おかしいっつーなら、お前もおかしいじゃねぇか」 「はぁ? ウチの何がおかしいっちゅーねん?」 「女のくせに野球が好きって、おかしいだろ」 「はあ!? 女やったら野球好きになったらアカンのか!?」 「駄目とは言ってねぇだろ。ただ、俺の周りに野球好きの女なんていなかったから、珍しいってだけだ」 「なんやそれ……!」
このまま喧嘩になるのかと思った、そのときだった。
カンナが何かに気づいたように目を細める。
「……ちょお待ち。佐治、アンタもしかして野球好きなん?」 「まぁ、嫌いじゃねぇな」 「ほんなら、どこのファンなん?」 「ふぁん? ……贔屓にしてる球団って意味か?」 「そうそう」 「俺が贔屓にしてるのは――大洋だ」 「大洋ぉっ!?」
カンナの声が教室中に響き渡った。
「大洋って……横浜のことかいな?」 「何だよ。俺が大洋を贔屓にしてたらおかしいのか?」 「いや、そことちゃう! ウチが驚いてんのは、アンタが横浜のことを『大洋』って呼んどることや!」 「それの何がおかしいってんだ?」 「おかしいやろ! きょーび横浜のこと大洋なんて呼ぶ人、ほとんど居らんで!」 「はあ? 横浜は大洋だろ」 「いや……まぁ、確かに昔はそうやったけど……」
カンナが首を捻る。
「なぁ、藤田ちゃん。そう思わへん?」
「えっ? 私?」
突然話を振られた藤田が目を瞬かせた。
「ごめん。私、野球はあまり詳しくないんだけど……横浜っていうより、大洋って呼び方の方がしっくりくるかな」 「嘘ぉっ!? 藤田ちゃんも!?」
カンナが目を丸くする。
「せやったら、横浜ファンは今でも大洋って呼んどる人が多いっちゅーこと?」 「いや、私は別に大洋のファンじゃないけど……」
藤田の言葉は、もはやカンナの耳には届いていないようだった。
「うーん……?」
納得できない様子で唸りながら、カンナが前を向く。
そこで、相生と目が合った。
「ひっ……」
相生は自分まで何か訊かれると思ったのか、身体を縮こませる。
「あ、あの……私も野球には詳しくないんですけど……その……ニュースとかでは、よく『横浜DeNA』って言ってますよね?」 「横浜でぃーえぬあ!?」
カンナが素っ頓狂な声を上げた。
「なんやそれ!? DNA?って遺伝子っちゅーこと? 野球と関係ないやろ」 「えっ!? あっ、す、すみません! ち、違うかもしれません! 私、適当なこと言っちゃったかも……本当にごめんなさい!」 「いやいや、ええって! 気ぃ遣て話してくれたんやろ? こっちこそごめんな。ありがとう」
慌てて謝る相生を、カンナが宥める。
彼女の言ったことの何がおかしいのか、僕にはさっぱり分からなかった。
僕も野球に詳しいわけではないが、球団の名前くらいなら知っている。
『横浜DeNAベイスターズ』。
確か、そんな名前だったはずだ。
だから、相生の言っていることは間違っていないと思う。
まぁ、カンナは熱狂的な阪神ファンみたいだし、他球団には興味がないのかもしれない。
佐治や藤田の言っている『大洋』も、昔の球団名か何かだろう。
野球に疎い僕には、そのあたりの事情まではよく分からない。
結局、僕は深く考えることもなく、その話を聞き流していた。




