8話 自覚のない人たらし
入学式から一ヶ月が過ぎた。アウスティスがいない放課後は、たまに王太子殿下から呼び出されてコテの進捗を聞き、またエヴァンジェリン様の女子会に美容の件で呼び出されることはあるが、基本的に暇だ。
それで俺は、用事のない放課後は体力作りを兼ねて、少し学園で走り込みをすることにした。タウンハウスは街中にあってそんなに庭は広くないし、街中は馬車が行き交っていて危険だし、そうすると学園内をぐるっと走るのがちょうど良いのだ。
走る時のための楽な格好の着替えを持ってくる必要ができたが、学園への行き帰りは馬車だから、あまり負担にはならない。
ちゃんと担任にも、そういった用事で放課後に敷地内を走っても良いか確認した。妙な者を見る目で見られたが、校則で禁止されていないから別に構わない、という返事をもらったので問題はないはずだ。
襟のついていない楽なシャツに、少し幅広でダボっとしたズボン。足元はスニーカー……はないので、履きやすいショートブーツという格好で、俺は学園内の敷地を走る。
途中、燃えるような鮮やかな赤毛の騎士候補生らしい人物が、裏庭で素振りをしているところに通りかかった。同世代にしては背が高く、かなり体格が良い。何となく、立ち止まって見学する。
どうやら決まった剣の型を、何度も繰り返しているようだった。なかなか様になっている。素直に格好いいなと思う。
家で筋トレを始めてから気がついたけれど、やっぱり今の体は筋肉がつきにくい気がしている。家族全員の体型が割と細っこいので、もうこれは遺伝子上の問題かもしれない。
前世では、日々の筋トレのおかげで、それなりに女の子に気に入られる細マッチョだったのに。鍛え過ぎてムキムキのマッチョマンにはならないように、しっかり調整していた。女の子の大半は、あまり体を鍛え過ぎていると、怖く感じるらしいからだった。
でも、男としては鍛え上げた体は普通に格好良く見える。目の前の騎士候補生なんかは、明らかにマッチョ寄りの、男として羨ましい良い体つきをしている。見た目は豪快そのものなのに、繰り返される動きに丁寧に型をなぞっているのが感じられて、きっと真面目な性格なんだろうなと思った。
「……なんだ」
凝視してしまったせいか、動きを止めて訝しげに声をかけられる。俺は、瞬きをしてから、ゆっくり相手に近づいて行った。
「格好いいなって思って、つい見てた。不愉快だったのならごめん」
俺が先に謝ると、相手はキョトンとした様子で何度か瞬きをした。そういう表情をすると、ガタイの良い大人に見えていたのが、同じ十六歳くらいの少年に見える。年上では、ないのかもしれない。
「俺は、あんまり鍛えても筋肉がつかないみたいなんで、お前みたいな鍛え上げた体格が羨ましいよ。でも、せっかく格好いいんだから、もっと髪型とかも手入れすればいいのに。きっと今よりもっとモテるようになる」
「モテ……? そういったことは、考えたことがないな」
困ったようにそう応じるのが、本当に真面目なんだなと思わせられる。
「婚約者がいるからね」
「なるほど。それならモテても困るだけだな」
続けられた言葉に俺が納得して頷くと、今度は苦笑を浮かべる。汗が額を伝って、顎から滴り落ちた。軽々振り回しているように見えて、かなりの運動量だったようだ。
「それ」
「うん?」
「剣の型って言うの? 格好いいね。すごく様になってて、何度も繰り返して来たんだなって、パッと見ただけでわかる」
「剣は、一目見ただけでわかるようなものではない」
あ、少し失敗した。相手の表情が一気に硬いものになる。
「そうか。知ったかぶりで勝手な印象を言った。ごめん」
「……本当に、君から見て、様になっていたか? 必死で無様ではなかったか?」
俺が素直に引くと、相手は少し疑うような表情で確認してくる。
「俺は素人だから、見た印象を言うだけだけど、一回一回の動きをじっくり丁寧にやってるなって思った。何度繰り返しても、一回も手抜きしないんだろうなって、そう感じた」
俺が思ったままを言うと、目元がぐしゃっと潰れるように歪んだ。
「先週通りかかった女生徒には、努力している姿が立派です、と……そう言われた」
「嬉しかった? それ」
俺が訊くと、困ったように眉を下げる。
「よく、わからなかった。騎士を目指す以上、努力するのは当然のことだ。それに俺は、同じ歳だった頃の兄に比べてまだ未熟だとよく言われるから、ただ愚直に努力しただけでは足りないのではないかと、よく考える」
「ああ、身近に手の届かない競争相手がいるとキツいよな。自信が持ちにくくなる」
「そんなことないよ、とは言わないんだな」
「だって俺、お前の兄のこと何にも知らないから、無責任にそんなことないよとは言えないよ。自分の目で見たことしか言えない」
「格好良かった、か?」
「うん。俺には格好よく見えた」
俺が頷くと、相手ははにかんだように笑った。
「一年一組の、ランディアス・ダルザンドだ」
片手を差し出される。握手か。彼女たちと恋人繋ぎしたり、ハグしたりは散々して来たけど、握手はものすごい久しぶりだ。
「一年二組の、エヴァリオ・レイジントン。子爵令息だ」
「レイジントン? あの、入学早々にアウスティスに遠慮なく近づいて、最近ローヴェルク殿下が夢中になっている魔道具を提案した?」
握手するつもりで差し出した手が、行き場をなくして彷徨った。突然アウスティスと王太子殿下の名前が出て来て、思わず目が泳ぐ。え、俺、有名人なの?
直後に、右手をかなり強く握られる。痛い、と思った瞬間には離されていた。
「君、人たらしだとよく言われるだろう」
睨むような視線とともに言われて、首を傾げる。
「言われたことないな」
前世で女たらしとは言われてきたが。
「ふん。自覚がないのか。君、ちょっと距離感がおかしいぞ」
「あー、それはよく言われる」
主にアウスティスに。肩をすくめて見せると、ランディアスは堪えきれないように吹き出した。
「これはアウスティスが混乱しても仕方がない」
「知り合い?」
「ローヴェルク殿下の側近候補同士だ。仲が良いわけではないが、付き合いは長い」
「なるほど、そういう繋がりなわけね。なら、エヴァンジェリン様とも幼馴染ってやつ?」
「俺は恐れ多くて滅多に近づかない。アウスティスは人付き合いが苦手だから、昔からエヴァンジェリン様がよく世話を焼いていたが」
「へえ、そうなんだ」
やっぱりエヴァンジェリン様って、見た目がクールに見えるだけで情に厚い人なんだな、と、そう考える。あの猫のようなアウスティスが、エヴァンジェリンにだけは逆らわずに大人しく世話を焼かれている図は、想像しただけでも面白い。何それ、見たい。
「ところで、君はどうしてここを通りかかったんだ? 制服ではない、ずいぶんとラフな服装だが」
ランディアスが不思議そうに訊いてくる。どうやらこの裏庭は、あまり人が通りかかることはないらしい。
そういうランディアスの服装は、制服のジャケットを脱ぎネクタイを外し、シャツを腕まくりしただけの姿で、確かにそれに比べるとラフな俺の服装は異質だろう。でも、俺の制服はスタイリッシュに見えるように、体のラインに沿う形に細く詰めてしまっているから、走ったりするのに向いていないのだ。
「えーと、走ってた」
「走る?」
「こっちではなんて言えばいいのかな……走り込み、で、そのまま通じる? 体力をつけようと思って」
「ああ、走り込みは俺たち騎士科の騎士候補生もやっている。基礎体力作りには欠かせないよな。でも、君が? 何のために?」
「……女の子の荷物を持ってあげる時に、フラフラしたくないから」
俺が答えると、ランディアスは胡乱げに俺を見下ろしてくる。明らかに頭一つ分近く背が高いから、本当に見下ろされているのだ。羨ましい。
「女の子の荷物?」
「重たいものを持っている時に、なるべくスマートに応じたいだろ?」
「……なるほど。誰かのため、という点では、俺も君も鍛える理由は同じなのかもしれないな」
「そうなの、かな? それじゃあ、俺、そろそろ走り込みに戻るね。さっきは黙ってジロジロ見てて、本当にごめん」
「いや、それは構わない。またタイミングが合えば声をかけてくれ」
お互い、片手を軽く上げてから別れる。俺は走り込みの続きで、彼は素振りの続きだ。
変なところでアウスティスと王太子殿下に繋がる相手と知り合ったな。その時の俺は、呑気にそんなことを考えていた。




