33話 俺が選ばれるなんて
アウスティスから、魔法の特許の件で訪ねると連絡が来た。領地の父から商会を立ち上げることについての許可も出たので、その件も含めて話さなければならない。
ユリアナ嬢の邪魔はしないとは言ったが、この件ばかりはすでにユリアナ嬢から手紙をもらうより前に出ていた話なので、今さらなかったことにもできなくて、申し訳ないなと思いながら訪問の許可を出した。
次兄と共に、また玄関先で出迎える。今日は約束の時間より少し遅れて、馬車が到着した。
「グローガー侯爵令息、ようこそいらっしゃいました。何かありましたか?」
「途中の道で車輪が外れた馬車があって、その影響で遅くなった。すまない」
次兄の質問には、そんな答えが返ってくる。アウスティスに何かがあったわけではないと知ってホッとする。
今日のアウスティスは、黒い半袖のシャツにグレーのズボン、黒い革靴といった私服姿だった。
「エヴァリオ、ご案内しなさい」
「こちらへどうぞ」
「ああ」
例によって俺の先導で、応接室に通す。室内には従者と侍女が待機していて、俺たちが対面のソファに腰を下ろすと、すぐに侍女がコーヒーの支度を始めた。
「これが、魔法の特許の申請書だ。お前のサイン以外はもう、すべて埋まっている」
アウスティスは鞄から紙挟みを取り出し、その中から三枚の書類を出して机に置いた。これまで開発した、ドライヤー魔法と、顔に蒸気を当てて保湿する魔法、それから例のビーム魔法の分だ。
俺のほうに向けられて置かれた書類を手に取り、眺める。甲が乙が〜みたいな硬い文章に、思わず目をシパシパさせる。
こんな書類は、前世で彼女たちの保険の更新とかの書類を処理して以来だ。目が滑りそうになりながらも、よくわからないところはアウスティスに確認をとりながら、最後まで目を通す。
そうしてから、俺は羽ペンで三枚の書類にサインを入れた。普段文字を書く時には万年筆を使っているが、なぜだか知らないがこういった正規の書類への署名は、今でも昔ながらの羽ペンで行うという不文律があるのだ。
「あ、そうだ。領地の父から、商会の立ち上げについての許可の手紙が来たんだ」
「そうか。それなら、このまま話を進めても構わないな? レンドルフに言って、代理の経営者だけではなく、いい物件も紹介してもらおう」
俺が言うと、アウスティスはサインをした書類を紙挟みに戻しながら、そう言った。
これで話は終了だ。どう言って切り上げたものかな。「もう帰っていいよ」と言うのは、さすがに礼儀知らずに思える。
「このあと何か用事とかないの?」
結局、出て来たのが消極的な確認で、俺は自分のことながら意志が弱いと思ってしまう。
「用なら、ある」
だから、アウスティスにそう答えられて、助かったはずなのに、なぜか寂しく感じてしまった。
「そう、じゃあ見送るよ」
俺が立ちあがろうとすると、アウスティスは手で制して壁際に立つ従者と侍女に視線を向けた。
「用があるのはお前にだ。二人で話したいことがある。——人払いを」
「え……? 俺には、話すことなんて、ない……けど」
「僕にはある。人払いを」
従者と侍女が、助けを求めるように俺のほうを見る。俺は、アウスティスが何を考えているのか気になって、顔を見つめた。その強い視線は、従者と侍女のほうに向いたままだ。譲るつもりはないらしい。
「いいよ、下がって」
諦めて俺が言うと、従者と侍女は一礼を残し、足早に部屋を出て行く。室内は、二人きりになった。
「……話したいことってなーに?」
俺が訊くと、アウスティスが席を立って俺が座る三人がけのソファに移動してくる。そうして、当たり前のように、隣に腰を下ろした。
「お前は、責任を取るべきだ」
体を斜めにして、至近距離で真っ直ぐに俺を見つめて、アウスティスが言う。
「は? 責任? なんの?」
俺は少し狼狽える。俺はアウスティスに何かしたっけ?
最後に会ったのは、ユリアナ嬢を連れて魔導師団に会いに行った時で、そのあとは避けていたので、最近は会ってなかったのに。あの時の、予言の件で何かあったんだろうか。
「お前に関わることになると、僕の感情のセーブができていないとレンドルフから指摘された。間違いなくお前のせいだ」
俺の予想もしていなかったことを言われる。アウスティスの顔を見るが、どこまでも真面目な顔だった。
「僕は、お前に構われることで変化した。けれどもそれが嫌ではなかった。だからお前が僕の髪をいじることも、僕のことを『アスティ』と呼ぶことも許した」
「アウスティス……」
「『アスティ』だ。お前はそう呼ぶべきだ。お前だけが呼ぶ、お前にしか許さない名前だ。お前が呼ばないと、消えてしまう……それは、嫌だ」
俺はアウスティスの……アスティの言葉に、狼狽える。お前はずっと、俺のことを、そんなふうに思っていたのか。
そんな言葉一つで、俺はセンスがないと言われた愛称をまた呼びたくなってしまう。距離を置かなければならないのに。約束、したのに。
「王太子殿下たちの話では、それはもうただの友人ではないのだと言う。特別、なのだと。そう言われてから考えて、僕も、そう思った。お前は、僕の特別だ。——僕はお前と、お前としかしないことをする関係になりたい」
俺の目を覗き込むようにしてじっと見つめてくる視線には、俺の見間違えでなければ請うような色があった。色が鮮やかな紫色だ。紫水晶のような瞳の奥では、ぐるぐるとアスティの感情が揺らめいている。
ごくりと唾を飲み込む。裏腹に口の中がカラカラに乾く。アスティの瞳から、魅入られたように目を離せない。
俺が、特別だって? 俺にとって、アスティは特別だけど……アスティにとっても?
「お前としかしないことをする関係って……なんだよ?」
ぎこちなく笑顔を浮かべて明るい口調を作って、なるべく軽く聞こえるように言う。これは……このままこの話を続けてもいいのだろうか? 何か、取り返しのつかないことになりそうな、そんな予感がした。
「もう、お前としかしないことって、とっくにしているだろ? 髪を梳くのもそうだし、昼ごはんを食べるのだって、一緒に魔法を作るのだって……もう、やってることだ。別に変わらなくてもいいじゃないか、このままでも……」
俺が往生際悪くそう言うと、アスティは首を振る。
「僕は、それではもう足りない。……お前は、違うのか? 僕のことをこんなに変えておいて、お前は違うというのか?」
「足りないって言われても……俺は、詳しい理由は言えないけど、ユリアナ嬢と約束したんだ。お前や、王太子殿下たちとは距離を置くって」
「なぜ、あの女の言いなりになる? お前は、僕の気持ちはどうでもいいと考えているのか?」
アスティの瞳の赤みが増す。紫色に輝く瞳が、その奥にぐるぐると渦巻く激情を透かしていた。
「ユリアナ嬢のことはきっかけに過ぎないよ。これまでがおかしかったんだ。俺はしがない子爵家の三男なのに、これまでそんなことも無視して高位貴族や王族と馴れ馴れしくしてた」
俺がそう言うと、アスティはますます顔を険しくする。
「今さら過ぎる。僕のことをこんなに変えておいて、今さら常識ぶるな。踏み込んできた責任を果たせ。……僕は、お前のせいでおかしくなった。これまで通りには生きられなくなった。それなのに、手を離すのか?」
責めると言うよりも縋るような瞳だった。必死に俺のことを繋ぎ止めようとする、そんな気持ちが伝わってくる。
「そんな、俺にどうしろって言うんだ……」
途方に暮れる。理性ではユリアナ嬢との約束を守るべきだと、離れるべきだと思うのに、請うように見つめてくるアスティを見ると、胸が苦しい。
「お前としかしないことを、する関係になりたいと言っただろう。僕はもっとお前に触れたいし、触れられたい。そしてお前の一番近い場所にいたい。そうしたいし、そうありたい。お前は、僕のことをこんなふうにした責任を取るべきだ」
どうしよう。アスティがおかしい。だって、こんな……そんなのって——まるで、恋人に求めることじゃないか。一番近い場所にいて、他の人としないことがしたい関係って、俺にはそうとしか聞こえない。でも、そんなまさか。
「俺としかしないことって……例えば、キスとか?」
そんなまさかと思いながら、おどけた調子で俺が口にすると、アスティは少し考えてから頷いた。
「そうだ。それは、特別な相手とだけすることと聞いたことがある」
アスティ独特の理屈だ。恋人だからキスをするのではなく、他の人としないことだからキスをしたいとアスティは言う。
でも、どうしよう。そんなふうに言われて、胸がすごくドキドキする。
俺は、アスティと距離を置かなくてはならないはずなのに、こんなことを言われてすごく嬉しい。だって俺が、特別だって言うから。
ずっと置いていかれ続けた俺のことを、特別だって言ってアスティは選ぼうとしている。こんなのって、嬉しいに決まっている。
こんなふうに言われるまで、俺はアスティの気持ちには気がつかなかった。
女性相手なら、もっと早く気づいていた。嫉妬も、独占欲も、距離を置かれた時の傷ついた顔も、俺は何度も見てきたから。
けれどアスティは男で、俺たちは親友だった。だから俺は、それを恋愛感情の兆しとして考えたことがなかった。
顔が熱い。恥ずかしくて俯いた。それを許さないようにアスティが頬を両手で掴んで、いつものように目を覗き込んでくる。
「顔が赤い」
「アスティは目が紫水晶みたいになってる」
「お前のせいだ」
俺が言い返すと、アスティはそう言って顔を寄せてきた。近い。この距離は——。
「待って」
「待たない」
俺が往生際悪く少し身じろぎをすると、すかさずそう答えが返ってきて、唇が重なった。ぶつかるような、触れるだけの、一瞬だけのキス。
「……嫌か?」
「嫌じゃ、ないな」
嫌じゃなくて、困ってしまう。ヒモをしていた時にはもっとすごいキスだってしてきたはずなのに、今のただ触れるだけの短いキスに、こんなにドキドキさせられる。
そして、これまで散々アスティに「嫌ならやめる」とか「嫌?」と言ってきたが、これ、訊かれると結構困る言い方なんだな。答える側になって、初めて知った。
「そうか。なら、いい」
アスティは紫の瞳をキラキラさせて、猫のように満足げに微笑んだ。




