32話 特別というもの
(※別キャラ視点です)
「何を苛ついている? アウスティス」
王太子殿下にそう言われて、僕はゆっくりと瞬きをした。苛ついている? 僕が?
「自覚がないのか? 鏡を見てみろ。眉間の皺がいつもより深いし、瞳の色が明るくなっているぞ」
レンドルフにまでそう指摘されて、僕は戸惑う。この身に宿る、膨大な魔力を安定して制御するために感情をセーブすることは、もうとっくに習い性になっているはずだった。
「そういうレンドルフも、少し気持ちに余裕がないようだな。いつもの飄々とした顔が保てていないぞ」
王太子殿下が言うと、レンドルフは書類を持っていない左手で顔をひと撫でして、小さくため息をついた。
「エヴァリオのやつが、最近生意気にも僕を避けているようなので、なんか調子が狂っているんです」
レンドルフの口から出た名前に、思わず体が反応する。
「なんだ、君もか」
王太子殿下が拍子抜けしたように言う。
「僕も、最近エヴァリオには振られている。治癒魔法を溜めておく魔道具は、あいつが言い出したものなんだがな」
エヴァリオは、僕の友人を自称する男だ。見た目こそ、細い体と、勿忘草のような優しげな淡い水色の髪と瞳で儚く見えるが、中身はかなり図太い。妙に生活力があって、押しも強い。
あいつは、入学式の翌日にいきなり下心ありで僕に友達になろうと言い寄ってきて、あっという間に距離を詰めてきた。そして、気がついたら、僕は毎日昼食を共にとり、髪の毛を梳かされたり、エヴァリオの欲しがる美容魔法とやらを作る関係になっていた。
出会ってたったの四ヶ月半しか経っていないとは思えないほどに、僕の内側に踏み込んで来て、僕も気がついたら受け入れてしまっている。いつの間にか、そばにいるのが当然になっていた。
彼と共にいると落ち着くし、彼が笑うと嬉しいし、彼が喜ぶのならくだらない魔法だって作ってやりたくなる。これが友人というものなのだと、思い知らされている。
それなのに、あいつは、夏休みに入る直前から何かおかしい。三組のピンク色の髪をした女生徒、ユリアナ・ハーヴィー男爵令嬢とつるみ始めたと思ったら、この間はとうとう僕の前にまで連れてきた。
それに、ずっと僕のことを勝手に付けた愛称のアスティと呼んでいたのに、急に元のアウスティスに戻してしまった。僕はちゃんと「嫌ではない」と伝えたはずなのに、「センスがなかったみたいだから」などという変な理由で、僕をまたアウスティスと呼ぶようになった。
意味がわからない。納得のいく説明が欲しい。
いつもなら、僕が疑問に思ったりするとすぐに答えを与えてくるのに、あの時はそうではなくて、連れてきた女のことばかり気にしていたのも正直言って気分が悪かった。婿入り先ではないと言ってはいたが。
「アウスティス、また顔が怖くなっている。なんだ、もしかして君もエヴァリオに避けられているのか? 君が一番仲が良かっただろうに」
僕は、王太子殿下のその言葉に、思わず持っていた書類をグシャリと握りしめた。
駄目だ。これはエヴァリオと共通名義で用意している、特許の届出の用紙なのに。エヴァリオにサインをさせる前に、念のため王太子殿下に確認してもらうために持ってきたものだ。これまでも魔法の特許を取る時には、王太子殿下が書類の確認をしてくれていた。
「……わかりません。ただ、僕は何も言っていなかったのに、急に呼び方が変わった」
「ああ、あの『アスティ』ってやつ?」
レンドルフが言うのに、咄嗟に睨む。
その呼び方は、エヴァリオにしか許していないものだ。そう呼ぶのも、呼ばれることを許すのも、エヴァリオだけだ。
「エヴァリオのあの変化は、ユリアナ・ハーヴィーが関係すると思うか?」
王太子殿下がレンドルフに訊く。レンドルフはそれに頷く。
「タイミングが完全に一致していますよね。確認してみたら、あいつ、僕やアウスティス以外にも、リュシアンやランディアスにも、ハーヴィー嬢を引き合わせていました。ハーヴィー嬢から頼まれて、僕らとの橋渡しをしていると見るべきかと」
「我々だけでなく、エヴァのお茶会にも連れてきたそうだ。調べてみたが、レイジントン家とハーヴィー家には特に付き合いはないらしい。完全にエヴァリオだけの関わりだな。治癒魔法を習う同士で知り合ったと言っているが、アンガス先生に確認したところ、お互いの名前は出したことがないと言う。いったい、どこで知り合ったものかな」
「エヴァリオが利用されているのかとも思いましたが、あいつの性格を考えると、むしろハーヴィー嬢が何か訳ありの相手で、彼女が抱えた問題を解決するために僕らへ繋いだ可能性も高いですよね。ただ、ハーヴィー嬢は妹をダシにして僕に近付いて来たようですが、妹への態度はそう悪くないんで、今は様子見をしています」
王太子殿下とレンドルフの会話を聞いて、僕は胸の中に説明のつかない、何かザワザワとしたものを感じていた。
もし、本当にそうなら、話してくれても良かったのではないだろうか。僕はこれまで、エヴァリオの話すことについては無碍にしてこなかったはずだ。
理由さえ話してくれれば、距離を置かれることだって——いや、それは許容できない。どんな理由があったとしても、一方的に会わなくなるなんてことは認められない。
「ただ、高位貴族との繋がりを欲しているだけの可能性もあるが、彼女には未来視の件があるからな。こちらもそれなりに、慎重に対処する必要がある。そうだな? アウスティス」
「えっ……?」
「なんだ、聞いていなかったのか? 君が話してくれたんだろう? 彼女の未来視の件だ。君の、味方の弓の誤射による怪我の件が実際に正確に予言された以上、二学期に起こるという僕の襲撃の未来視も無視できない」
「彼女のことは警戒しながらも、もう少し様子見が必要ですね。もっと他の未来も『視た』可能性がある」
レンドルフの言葉に、王太子殿下が重々しく頷いた。
「ユリアナ・ハーヴィーは、変だ。僕のことを怖がっているくせに、理由をつけて会いたがる」
僕が言うと、王太子殿下が僕を見た。
「僕の前で前に『辛いものが好き』と言っていたのに、実際にうちで辛いものを出したら、苦手そうに食べていましたね」
レンドルフが続けて言う。
「言動が一致していないのは、誰かに僕らに近付けと命じられている可能性があるか?」
「脅されていると?」
レンドルフが応じる。僕はそれには首を傾げた。
「それはない……と、思います。もし、あの女が僕たちに近づけと誰かに脅されているのだとしたら、エヴァリオは僕たちとあの女を引き合わせるのではなく、脅している相手を直接なんとかしようとするはずだ。あいつの女の守り方は、そうなんです。だから、女を庇って殴られたりする」
僕が言うと、王太子殿下は肩をすくめた。
「そうなると、エヴァリオが彼女の味方をして、僕らに近づける理由がよくわからないな」
「あの女のことはどうでもいい。エヴァリオには、僕のことを放置する理由を説明する義務がある」
僕が言うと、二人が揃って僕の顔を見る。また、瞳の色が変わっていたのだろうか。
「君にとって、エヴァリオはなんだ? どういう存在だ?」
王太子殿下が僕の顔を見ながら、そう尋ねてくる。
「友人です。エヴァリオが、そう言っていた」
「レンドルフや、リュシアンや、ランディアスのことは、なんだと思っている?」
「側近候補仲間です」
僕が答えると、王太子殿下もレンドルフも、妙な顔をした。
「ひどいな、アウスティス。僕らはずっと友人だと思っていたんだが」
「なぜだ? お前たちには友達になろうと言われたことがない」
レンドルフの言葉に答えると、二人はますます妙な顔をする。
「友人って、そういうものではないだろう?」
「エヴァリオは友達になろうと言ってきた」
「アウスティス、何でもエヴァリオを基準にするな」
レンドルフが、半眼で僕に言う。
「アウスティス、ではもし僕が君に『友人になろう』と言ったら? レンドルフがそう言ったら、彼とも友人になるのかな? エヴァリオと同じ距離を許せるかい?」
王太子殿下に訊かれて、考える。『友人になろう』と言われて、僕が承諾すればその人物と僕は友人になる。それは正しい。
けれども、レンドルフと『友人』になったとして、エヴァリオと同じことを僕は許せるだろうか。髪を梳かれたり、三つ編みを編まれたり、僕の食べられるものを用意されたり……魔力譲渡をしたり。
想像して、思わず顔を顰める。
「それは……嫌です。僕の髪を勝手に触って梳いて良いのは、エヴァリオだけです」
僕が答えると、二人はよく似た、不自然な笑みを浮かべる。これは知っている。無理に作る笑顔だ。
「あのなぁ、アウスティス。それってお前にとって、エヴァリオが特別ってことだろう?」
レンドルフが言う。
「特別……?」
「自覚がないのか。お前、エヴァリオが関わると、感情のセーブができていないんだ」
「それは理解している。あいつが悪い。いきなり近づいて来て、好き勝手にあれこれするからだ。僕のせいじゃない」
「それは……特別というものではないのかな?」
王太子殿下が、やけにゆっくりとした口調で僕に言う。
「アウスティス。君は、エヴァリオにあれこれされるのが、嫌だったかい?」
「それは……嫌では、なかった……です」
「その気持ちを、よく考えてみるといい。エヴァリオのすることが『嫌ではない』理由はもう、君の中にあるはずだ」
王太子殿下は、微笑んで静かにそう言った。




