29話 怪我イベントの予言
アスティとの予定は、今のところ特許の件と、開発した魔法を販売するための商会を合同で立ち上げるためのものだけだったから、ユリアナ嬢を連れて行く理由が上手く思いつけずにいた。ユリアナ嬢がこれまでのようにゲーム知識として彼のスケジュールを把握していないかと尋ねてみたが、治癒魔法の習得がもっと上手くいっていれば、アスティから興味を持ってくれて話しかけられ、夏休みは魔物狩りの後方支援として呼ばれて怪我の治療をするはずだったと言われる。
「え! アスティ怪我するのか!?」
俺が思わず声を出すと、ユリアナ嬢はうるさげに首を振った。
「ヒロインである私が治すに決まっているでしょう?」
「でも、怪我するんだよな? いつ、怪我をするのかわかっているのなら、先に忠告とかするわけにはいかないのか?」
「そんなことをしたら、攻略が進まないじゃないの。それから、前から気になっていたけど、アスティって何? アウスティスの略なら、普通はアウスとかでしょ? 変なの。センスないわね」
言葉選びのセンスがない自覚はあるので、俺は黙るしかない。そうか、アスティって変なのか……アスティに、いや、アウスティスに悪いことをした。これからは、呼ばないほうが良いのかな。
「いくら治せるとは言っても、アウスティスが怪我をするのはやっぱり嫌だよ……友達なんだ。なあ、どうにかできないのか? 君なら、いつ、どうして怪我をするのか知っているはずだ」
俺が必死に言い募ると、ユリアナ嬢は俺を睨み上げる。
ユリアナ嬢は他の令嬢たちと比べても背が低いので、百七十センチを超えている俺を見上げると、どうしても上目遣いになる。そういう角度で見られると、俺はどうも弱い。ヒモとして女性に寄り添って生きてきた習慣で、女性に対してはあんまり強く出られないのだ。
「……今週末に、魔物狩りの予定があって、私も後方支援部隊の治癒魔法使いとして、試験的に呼ばれているの。多分、その時よ。確か、ビッグホーンとかいう魔物を討伐中に、後ろから味方の矢が飛んできて、避けたけど肩のあたりを掠って怪我をするの」
じっと俺を睨んでいた彼女が、不意に視線を外してそう言った。俺は、それを聞いてホッとする。まだ、間に合う。
「ありがとう、教えてくれて」
「こんなこと、言ったって信じてもらえっこないわ」
そっぽを向いて、拗ねたように言う。それに、俺はもう一度礼を言った。
アスティ……いや、アウスティスのいる可能性が一番高い、魔導師団の詰め所に二人で向かい、受付に面会の申し出をすると、案外すんなりと呼び出してもらえることになった。塔の下のほうの階にある小さな応接室で、ソファに並んで座って待っていると、少ししてリズムの良いコココンというノックがして、直後に扉が開く。
「誰だ、その女は」
アウスティスは、俺たちのほうを見るなり、眉間に皺を寄せてそう言った。それきり、向かいのソファに腰を下ろして、じっとりとした目つきで俺のほうを見ている。
「えーと」
俺が話の糸口を探していると、アウスティスは俺を睨むようにして、口を開く。
「おはよう」
「あ、おはよう。ごめん、アスティ……じゃない、アウスティス」
挨拶は基本だと、普段散々言っておきながら失念していた。俺は素直に謝る。けれど、アウスティスの顔は、ますます険しくなった。
「なぜ、呼び方を変える?」
あ、そこか。
「いや、なんか……センスなかったみたいだから、やめたほうが良いかなって」
「これまで散々好きに呼んでおいて、今さら何を言っている」
険しい顔のまま、アウスティスが言う。それはそうなんだけど、変な名前と言われた以上、彼女の前でそのまま呼び続けるのもちょっと。本来なら、愛称呼びも彼女の特権だったようだし。
「エヴァリオ、お前、誰かに何か言われたのか?」
俺が黙っていると、そう言って視線をユリアナ嬢に向ける。とても女の子に向けていいようなものではない、鋭い目つきだ。瞳の色が赤みを帯びて、はっきりとした紫になっている。
「アウスティス!」
俺は咄嗟に彼の名を呼んで気を引く。アウスティスの視線が外れると、ユリアナ嬢の緊張したような顔に、安堵の色が浮かんだ。なんだろう。何かすごく緊張している。顔色も悪いし、少し震えているようだ。
「ユリアナ嬢……? 大丈夫? 少し顔色が悪いけど、どこか具合が悪い?」
俺が顔を覗き込んで尋ねると、彼女はハッとした様子で俺の顔を見た。
「あんた……怖くないの?」
囁くように小声で訊かれて、俺は咄嗟に眉を寄せる。アウスティスのことを恐れているのだと、すぐにわかった。
「君は、アウスティスの味方になるんだろう?」
それなのに、目を背けるのか? 囁きに、そんな責める気持ちが少し出てしまう。
「エヴァリオ、お前は何をしにここに来たんだ? まさか僕に、その女を紹介するつもりで連れてきたのか?」
苛々とした様子のアウスティスの言葉に、ギクリとする。怪我のことを知って、後先考えずに来てしまった。どういうふうに言い訳をするかなんて、考えもしなかった。
「まさか、お前の婿入り先なのか? 僕が知らないうちにそんなものを作るなんて、いったいどういう了見だ」
待って。なんだか知らないうちに、すっかり誤解されている。あと、俺が当然のようにアウスティスに相談するものとして扱われているような気がする。俺が婿入り先を選ぶ時には、アウスティスの許可が必要なのか?
「誤解だ、アウスティス。彼女は婿入り先じゃない」
「違います、アウスティス様! 私、こんな人と付き合ってなんかいません!」
隣から、大きな声で否定される。良かった、気を取り戻したようだ。まだ少し顔色は悪いが、先ほどのように怯えた眼差しではなくなっている。
アウスティスは、ユリアナ嬢を冷たく見据えた。
「僕は君に、名前を呼ぶ許可を与えてはいない」
「……っ、失礼しました、アウ……グローガー侯爵令息」
軽く息を呑んで、ユリアナ嬢が呼び変える。瞳の色は、さっきより少し落ち着いた、けれども紫水晶のような鮮やかな色合いだ。ぐるぐると体内を魔力が蠢いているのだろう。懐から見慣れたナッツの袋を出して、手のひらに数粒取り出してそれを無造作に口に入れた。
「あのさ、上手く説明できるかわからないんだけど」
俺がそう口にすると、口の中のものを黙々と噛み砕きながら、アウスティスが視線だけで先を促す。
「実はちょっとズルをして、未来の可能性を知ってしまったわけなんだけど、そこでお前が危険な目に遭うって知ってしまって……そうしたら、会わずにいられなくなっちゃったんだよね」
信じてもらうにはかなり弱いことを、でも正直に言う。これがずっと、俺がアウスティスにやってきた方法だからだ。
「……話してみろ」
アウスティスが言う。俺は、隣に座るユリアナ嬢を見つめた。
これは彼女が持っていた『知識』だ。俺が勝手に扱っていいものか、それを確認するためだった。
ユリアナ嬢は、眉を寄せてそっぽを向く。話したくない、という雰囲気だった。彼女の言い分を信じるのなら、これは本来なら攻略を壊すことだからだろう。
けれども、俺の言葉によって、彼女はこの情報を渋々だったかもしれないが教えてくれた。それを、俺は大事にしたい。
「今度の週末に、魔物狩りがあるんだろう?」
俺は、ユリアナ嬢から聞いた話をした。後ろからの矢によるフレンドリーファイア。そのタイミング。彼女から聞いた限りの情報を、余すところなく。
アウスティスは、馬鹿にすることなく真剣な表情でそれを聞いてくれている。やがて俺が話し終わると、その目には理解の色が浮かんだ。
「女神の使徒の権能の一つに、未来視というものがある。どちらが『視た』ものかはわからないが、そういう類の話だろう」
「女神って、アカナーン?」
俺が問うと、アウスティスは頷く。
「それだけわかっているのなら、あらかじめ戦闘中は結界を後方にも展開しておいて防ごう。それなら、何も起きなくても問題はない」
アウスティスが言うのなら、そうなんだろう。ちゃんと情報が役に立つようで、しかも対応策もあるようで、俺はホッと息を吐いた。
「私が! 私が『視た』未来です! エヴァリオ君が、グローガー侯爵令息と仲が良いと聞いて、それで私が会いにくるのをお願いしました」
そこで、隣からそんな声が上がる。いけない、そうだった。アウスティスとユリアナ嬢の接点を作らないといけないんだった。
アウスティスが怪我をすると聞いて、すっかり忘れていた。
「そうなんだ……彼女とは治癒魔法繋がりで知り合ったんだけど、お前の身に危険が迫ってるって教えてくれて……それで、急に会いにきてしまったんだ」
すかさず彼女の株を上げるように俺が言うと、アウスティスはいつものように、俺の目を覗き込むように真っ直ぐ見つめてきた。数秒、見つめ合う。アウスティスはやがて、少し肩を落として俺から視線を外した。
「礼を言う。——名を、聞いておこう」
「ユリアナです! ハーヴィー男爵家の長女です」
彼女がヒロインらしい明るい笑顔で名乗る。どうやら無事に、アウスティスとの接点も作ってやれたようだ。
俺は、これで良かったのだと、息を吐いた。
アウスティスが未来に怪我をしない方法を選べた。俺はそれだけでいい。これで、少しでも彼女の『世界』を取り戻せたのならいいのだが。




