26話 この世界は乙女ゲームだった
俺は東屋の手前で、軽く一礼して見せた。
「初めまして、ユリアナ・ハーヴィー嬢。俺は、エヴァリオ・レイジントン。子爵家三男です」
「……ユリアナ・ハーヴィー。男爵家長女よ」
俺の挨拶に少し毒気を抜かれた様子で、彼女も名乗る。俺は、周囲を見回して、中に入っても良いかを確認するように彼女の顔を見た。
「入って。座って」
短くそう促されて、東屋の中に入る。東屋の壁には、出入り口になっている二ヶ所を除いて、ぐるりと壁に腰を下ろして座れる作りつけの椅子がついていた。そのまま、彼女の向かいのあたりに腰を下ろす。
彼女は、相変わらず敵意のある眼差しで、俺を睨みつけている。
「『やっぱり、転生者だったのね』ということは……俺が転生者だという確信があって呼び出したわけじゃなくて、この手紙でカマをかけたってことなのかな?」
俺がそう言うと、彼女は眉を寄せた。
「あんたが怪しいっていうのは、見ていたらすぐにわかるわよ、わざとらしい。汚い裏技を使って先に攻略対象を攻略して、おまけにあんな『ビーム』なんていうくだらない魔法を流行らせるチートまでしておいて、疑われないわけないじゃない」
吐き捨てるようにそう言われて、俺は首を傾げる。ビーム魔法はわかるが……。
「ちょっと待って。攻略対象って何のこと?」
俺が訊くと、彼女は顔を歪めた。
「攻略対象は攻略対象よ! なによ、あれだけ好き勝手に攻略対象を侍らせておいて、今さら知らないふり!? この世界は私がヒロインの乙女ゲーム、『永遠の約束と花冠を君に』の世界じゃない!」
急に叫ばれて、思わず肩がビクッとしてしまった。ユリアナ嬢は、ますます強い視線で俺を睨みつけてくる。せっかくの可愛い顔が、かなり台無しの表情だ。
俺は、落ち着かせるように、手で「まあまあ」と宥めてみる。
「どうせ、あんたの中身は女で、乙女ゲームの世界にモブで生まれ変わったから、先に攻略してやろうって思ったってところでしょ? 側近候補の誰の幼馴染として生まれ変わったのかしら? やり方が汚いのよ。ここはヒロインのための世界なのに……もう、めちゃくちゃじゃない。これじゃあ正規の攻略法通りにやってる私がいくら真面目に進めても、上手くいかないわけだわ!」
一気に捲し立てられて、俺は宇宙猫のような顔をしていたと思う。待って、待って。情報量が多い。
あと、いくつか聞き捨てのならない誤解がある。
「待って。この世界が君の言う通りにその、乙女ゲーム? の世界だったとしたら、俺は確かにモブなんだろうけど、別に攻略とかしていないし、生まれ変わる前から正真正銘の男だし、君に睨まれる理由がわからない。俺はただ、前世が同じ日本人なら、仲良くできないかなって思ってここに来ただけで」
「はぁ!? この世界が何なのか知らないのに、片っ端から攻略対象に擦り寄って仲良くしてたって言うの!? リュシアンも、ランディアスも、あの孤高の魔導士アウスティスまで! 図書室で攻略対象の三人を侍らせて、仲良くお勉強会なんてしていたくせに!? あれは完全にヒロインの立ち位置じゃない!」
宥めるつもりで説明したことが、ことごとく彼女の怒りの部分を刺激してしまったようで、ますますいきり立たれてしまう。俺は、どう言ったら良いのかわからなくなって、彼女の顔をただ見つめた。
彼女は大声で叫んだあと、少し肩で息をしていたが、それが落ち着いてくると今度は泣きそうに顔を歪めた。
「もう、嫌だ……。私、一生懸命頑張っているのに……。そろそろ夏休みに私と魔道具を作るイベントが始まるはずのローヴェルクには何だか怪しまれているし、ランディアスはまだ私が励ましてないのにお兄さんへの劣等感なんてなさそうな感じになってるし、アウスティスと近づくには治癒魔法の習得が必要なのに、あの変な呪文が難しすぎてなかなか上手く唱えられないし、小テストの点が悪かったせいでリュシアンの親密度もなかなか上がらないし、前髪で目を隠していて地味でいじめられているはずのレンドルフの妹は知らないうちに前髪切って垢抜けているし……何なの? こんなんじゃもう、ルートがぐちゃぐちゃだよ……」
「あ、アンガス先生が言っていた、治癒魔法の適性がある女生徒って、もしかして君のこと?」
治癒魔法の呪文がなかなか上手く唱えられないという話で、一気に繋がった。そうか、彼女がそうだったのか。
俺の言葉を聞いて、ユリアナ嬢は涙目のまま、また俺を睨みつけてきた。
「呆れた……。あんた、隠し攻略対象のシェルバートとまで接点があるの?」
「シェルバートって、誰?」
「あんたが今言っていたでしょう? シェルバート・アンガスは保健医で、王家の傍流公爵家の次男で、将来親戚の侯爵家を継ぐ予定の隠しキャラよ!」
アンガス先生の名前って、そういや入学式の時に聞いたような気もするけど、そのあとずっとアンガス先生って呼んでいたから、普通に忘れていた。
隠しキャラ、かあ。確かに彼も、鮮やかなオレンジ色の髪と、ベリドットみたいな明るい緑の瞳をしていたから、この世界が彼女の言うようにゲームなら、間違いなく主人公側のカラーリングだ。
「俺は、たまたま怪我した時にアンガス先生の治癒魔法を受けて、それが気持ちよかったから、俺も覚えられないかなって思って習うことにしただけで……別に、誰のことも、攻略しようとしたわけじゃないんだよ、本当に」
少し途方に暮れて俺が言うと、ユリアナ嬢は俺のことを強い視線でじっと見つめて、それから泣きそうな顔つきで口を開いた。
「あんたが攻略したつもりがないって……彼らを狙っているわけじゃないって言うのなら、返してよ……。彼らの悩みを聞いて解決して、それで仲良くなって、最後に選ばれるのはヒロインの私のはずなの! あんたがいた場所は、本来ヒロインである私のための場所だったの! あんたが私の世界を壊してしまったんだから、責任とってよ! 助けてよ!」
彼女はそう言うと、その場で両手で顔を覆い、俯いてシクシクと泣き始めた。俺は、オロオロとそれを見ているしかできない。
女の子に泣かれるのは、前世の時から苦手だった。泣かれた時は、ただ黙って抱きしめてあげるか、隣に座っているかしかできなくて、でもこの場で婚約者でも恋人でもない彼女のことを抱きしめるわけにもいかなくて、俺は途方に暮れてしまう。
ただ、俺が何も考えずに良かれと思ってしてきた行動のせいで、彼女が苦しんでいることだけは理解できた。俺が、知らないうちに、彼女の『世界』とやらを壊してしまったんだな、きっと。
「どうしたらいい? どうすれば君は納得できる? ここまでしてしまったことは変えられないけど、今から俺にできることってある?」
俺が尋ねると、彼女は恨みがましい目つきで俺のことを見つめる。ひくりと、小さくしゃくりあげた。
「返してよ、私の場所を……。あんたが取った攻略対象たちを、私に返して。そうしないと、みんな救われないの。ローヴェルクとは夏休みのうちに治癒魔法を閉じ込めた魔道具を一緒に作るイベントをやらないといけないし、ランディアスには「お兄さんと比べる必要なんてない。あなたは充分頑張っている」って言ってあげないといけないし、リュシアンには「料理が趣味だって恥ずかしいことなんかない」って教えてあげないとだし、レンドルフには「妹さんのことはもう償ってる。私が許すわ」って伝えてあげないとだし、アウスティスには「魔法なんて使えなくてもあなたが大事」って寄り添わないと駄目なの。シェルバートには「毒舌を言う本当のあなたを、私にだけは見せて」って共犯者にならないといけないの。最初からやり直させてよ……ねえ!」
俺は、彼女の切実な叫びに、自分が取り返しのつかないことをした気持ちになって項垂れた。
「やり直すことは難しいけど……俺にできることなら、手を貸すよ」
俺が言うと、ユリアナ嬢は涙に濡れた瞳で、俺をもう一度きつく睨みつける。
「本当に、手を貸してくれるの?」
「俺にできる限りは」
「……そう。なら、良いわ。ゲームを台無しにしたことを、償うチャンスをあげる」
彼女はそう言って笑った。可愛い顔に似合わない、どこか自棄に見える少し歪んだ笑みだった。




