20話 欲張りな子
「うん、きちんと発動はしているね」
俺が発動した治癒魔法を手のひらで受け止めながら、アンガス先生が言う。このところ成功率が安定してきていた。俺は嬉しくてニヤニヤとする。
保健室でアンガス先生に治癒魔法を習うのは、魔法の授業のない放課後に限られている。適性がない者が使うと魔力の消費量が上がるという治癒魔法の特徴と、俺の魔力量があまり多くはないためだ。
「かすり傷くらいなら、今ので治るんじゃないかな」
続けられた言葉にちょっと落ち込む。せっかくだから、普通にちょっとした怪我くらいなら治せるようになっておきたいのだが、なかなか厳しい。
「でも、慣れてきたせいか、消費魔力量が少し減っているようだね。適性のない相手に治癒魔法を教えた経験がないから、興味深いよ」
「本当ですか? それなら、そのうちちゃんとした治癒魔法が使えるようになったりは……」
「それは厳しいと思うな。魔力量が多い人間なら、無理やり発動することもできるかもしれないけれど」
上向いた気持ちを丁寧に折られる。アンガス先生は優しげな見た目と裏腹に、割とはっきり言うところがある。駄目なものは駄目、みたいな。変に希望を持たせないと言う意味では、誠実なのかもしれない。
「重ねてかけたら、効果が上がるとかってないです?」
それこそ、コンシーラーを薄く重ねていくように。思いついて俺が訊くと、アンガス先生はうーん、と考え込んだ。
「理屈としては面白いな。やってみたことがないから、実現可能かはわからないけれど。……君は、妙なことを思いつくねぇ」
アンガス先生は、そう言って面白そうに俺を眺める。優しい笑顔ではあるのだが、少しチシャ猫じみた表情だ。
入学式から三ヶ月半。治癒魔法を習い始めて二ヶ月ほど経つが、最初はひたすら治癒魔法特有の、歌のような、詩のような響きの呪文を覚えるのに費やした。綴りをまず教えてもらって、それを暗記して、アンガス先生の前で唱えてみては、抑揚を何度も直された。
前世でも英語が苦手で、それで海外赴任する怜には置いていかれたくらいなので、俺は今も外国語とかの授業が鬼門である。だから、この呪文を覚えるのにもかなり苦労した。
他の魔法の呪文は、使うのは古代言語ではあるものの割と普通の単語の組み合わせみたいなのに、治癒魔法だけはちょっと系統が違うのだ。他の呪文のように文節がなくて、一つの長い言葉を一息に言う感じで、抑揚が本当に音楽のようなものなのだった。
「なんで治癒魔法だけ、呪文の系統が違うんですかね? 他の魔法はもっと覚えやすいのに」
「それは、治癒魔法が人間が考えたものではなく、元々女神様の魔法だからだね」
「女神様って、天空からこの世界を見守っているという、女神アカナーンのことです?」
女神教は、この国の国教でもある。アカナーンは、愛と豊穣を司る女神だ。豊穣はどの国でも尊ばれる。だからか、この世界ではアカナーンを祀る国が多い。
「そう。天から遣わされたアカナーンの使徒は、昔は聖人、聖女と呼ばれていた。その条件が、強力な治癒魔法を使うことができるということだったんだよ。昔は、治癒魔法は神殿が管理するものだったんだ。彼、彼女たちは、誰からも教わることなく、この治癒の呪文を天から授かっていたとされている」
先生らしく、わかりやすく教えてくれる。俺はそれを聞いていて、疑問に思ったことを口にした。
「でも今は、こうして習うことで使えるようになっていますよね?」
「それが、今は聖人や聖女がいない理由でもあるね。聖人が使っていた魔法を、時間をかけて習得していった結果、聖人ほどの威力ではないけれど、治癒魔法が使える人間が現れるようになった。これがとても画期的なことだったっていうのは、わかるよね?」
「聖人以外にも使えるようになったということは、つまり人工の聖人が作れるようになったわけです?」
「そう。その時代に聖人・聖女が生まれなくても、治癒魔法を使えるようになった。ただし、治癒魔法を同じように習得しても、そこには個人差があった。だからそれも長い時間をかけて適性の有無を調べる方法が編み出され、今は適性がある人間に教える方向になっているというわけだね」
「適性があるなしで、消費魔力量が全然違うから?」
「そういうこと」
だから、俺のように適性のない者でも、習うことや習得すること自体はできるというわけか。
俺がアスティと作ったドライヤー魔法を五分間発動するのに、俺の魔力量が百として、使うのはせいぜい五とか六くらいなんだけれど、治癒魔法は発動するだけで軽く二十五くらいは使う。だから、前に魔法の授業で色々な生活魔法を使ったあとの放課後にアスティにかけて、さらに威力を高めようとした時に、俺は魔力切れを起こしてしまったのだ。
「そう言えば、今、適性のある生徒を教えているって言っていましたよね。どうなんです? もう、バリバリに使えるようになっていたりとか?」
「おや、君は他人と比較するタイプではないと思っていたんだけどな」
「単なる興味本位ですけど。それに、素直に才能ある人のことは、羨ましいとは思いますよ」
「それでいて、妬む方向にはいかないのが君なんだよなあ」
アンガス先生は、面白そうに俺を見る。
「本当はこういうことは教えてはいけないんだろうけれど、彼女は適性はあるけれど、呪文をなかなか上手く唱えられなくてね。威力こそ弱いが、発動率だけなら君のほうが高い」
「あー、呪文、めちゃくちゃ難しいですもんね。外国語とかも苦手そうで、親近感覚えちゃうな」
俺は、その知らない女生徒に親近感を覚えた。
そうなんだよ。治癒魔法の呪文、本当にめちゃくちゃ覚えるの大変だったんだよな。
それを、俺のように自分から覚えたくて覚えるのではなく、適性があるからって習得しなくてはならないのだとしたら、結構なプレッシャーだろう。
「頑張っていることは伝わるんだけど、ちょっと空回りしているところがあるように見えるね。考えすぎて足元が絡まっているような。君くらい図太くて愚直なほうが、覚えは早いのかもしれないね」
「呪文の習得に、図太さって関係あります?」
「はは、ないね」
「アンガス先生って、優しいけど割と内心毒吐くタイプっぽいですよね」
俺は、見た目が甘いのに毒舌だった彼女、甘原めいをまた懐かしく思い出しながらそう言った。彼女は見た目の甘さに騙されて近づいてきた相手を毒舌で刺して、その反応を面白がるようなところがあった。俺が慣れて騙されなくなると、ちょっとつまらなそうにしていた。
「……君に馴れ馴れしく接していてしまったのなら、謝るよ」
アンガス先生は少し硬い表情でそう言う。俺は、首を傾げた。
「え、別に今みたいな軽口、普通に楽しいですけど、俺。アンガス先生って、そのままだと美形なのに性格も良い、ただの嫌味なモテ男だから、それくらいの二面性があるほうが、俺としては面白くて良いと思います」
悪口ではないちょっとした皮肉とかって、むしろ会話のエッセンスとして普通に楽しいものだし。俺はブラックユーモアも嫌いではない。
アスティは口下手なだけで真っ直ぐなやつだし、ランディアスもユーモアもあるけど男らしく真っ直ぐなタイプだ。
リュシアンとするのは真面目な料理の話だし、王太子は少し施政者として腹黒い面もあるんだろうがツッコミはしても皮肉を言うタイプではない。
強いて言えば、初めて会った時のレンドルフがちょっと嫌味なことを言ったりもしていたが、あいつも根っこは妹思いの真っ直ぐなやつだし。
そうすると、アンガス先生みたいに、優しいのにたまにちょっとした皮肉が飛び出るようなタイプって、意外と貴重なのでは?
「——君は、優しい保健医の私と、毒を吐く私の、どちらが本当の私だと思う?」
試すような顔つきで、アンガス先生が言う。
「え、それ、分けて考えなくちゃいけないものです? どっちも先生ですよね?」
俺が答えると、アンガス先生は少しビックリしたように瞬きをした。
「欲張りな子だね、君は。両方欲しいだなんて」
次の瞬間、少し意地の悪い顔つきでそんなことを言う。俺はガハハと笑った。




