2話 元ヒモ、異世界で生き方を考える
馬車でタウンハウスに帰宅する。レイジントン家のタウンハウスは、学園から馬車で二十分ほど。王都の程よい街中にある商会の奥に建っている、子爵家としての体裁を保った屋敷だ。
領地で作っている柑橘を中心とした果実を材料にした、ジャムなどの加工品やフレーバーティーを扱う商会の脇に、屋敷へ続く細い私道がある。馬車が一台通れるように調整した道の、突き当たりの旗竿地にタウンハウスは建っている。
馬車から降りると、俺は屋敷に入り、真っ直ぐ自室に向かった。執事と侍女が出迎えてくれるが、今は頭の整理がしたい。
部屋で食べるための軽食とコーヒーを頼むと、執事が少し変な顔をした。そう言えば、記憶が戻る前の僕は、コーヒーより紅茶派だった。
記憶が蘇った今は、前世での癖が強く出てきている。これは、少し気をつけて生活したほうが良いのかな。それとも、高校デビューならぬ、学園デビューで押し切れるものなのか。
部屋に入る。紙袋にまとめて入れてあった書類と教材を正面の勉強机に置いて、制服から私服に着替えた。
クローゼットの扉の外に貼ってある鏡を見て、俺はううーんと唸った。前髪が長い。目元を完全に覆い、顔が半分隠れている。これは駄目でしょう。
勉強机の前の椅子に腰を下ろして、俺は記憶を確認した。
僕は、エヴァリオ・レイジントン。レイジントン子爵家の三男だ。
長男であるギルベルト兄さんはすでに結婚しており、今は両親と共に王都から見て南方にある領地の領地経営に参加している。子爵家は、領内で消費する麦とは別に、柑橘を中心とした果樹の育成と加工を行なって、それを王都へ売り出して生計を立てている。
次男であるルクレシオ兄さんは、去年学園を卒業して以来、領地へ戻ったギルベルト兄さんと入れ替わりに、この屋敷の前に建つ商会を取り仕切っている。贈答品や貴族家向けに、領地で作った果実のジャムや、ドライフルーツ、柑橘の皮などを使ったフレーバーティーなどを売る店だ。
そして僕、エヴァリオ。三男なので、このままだといずれ父親が亡くなるか引退して、子爵家がギルベルト兄さんへ代替わりした際、平民になる。
他に継ぐ爵位もないし、家業は兄二人で事足りているので、卒業後は文官や騎士などになって自分で身を立てるか、婿に行くしかない。
同じように将来平民になることが決まっているルクレシオ兄さんは、家業の王都の商会を切り盛りする役目があるため、平民になっても子爵家の人間という扱いになる。三男の僕だけが、将来の展望がないのだ。
学園に入る十六歳になるまでは、領地で家庭教師から学んでいたが、成績は普通。強いて言えば頑張って中の上。競争率の高い試験を切り抜け、文官になるのにはなかなか厳しい。
人見知りで気が弱く、部屋で本を読んでいることが多かったから、体力もあまりない。それに、家族全員、どちらかと言うと細っこい。これから鍛えたとしても、騎士になるのは厳しそう。と、なるとどこかへ婿入りするのを目指すのが一番良い。
そこで、俺ですよ。
僕は人見知りで気が弱くて心配性で、女性と話した経験もほとんどないけれど、俺は違う。
なにしろ、俺は前世、プロのヒモだったのだ。
ヒモと聞くと眉を顰められそうだが、俺はそんじょそこらの遊んで暮らす、ただのヒモとは違う。
ヒモはヒモでも、俺、東野圭悟はプロのヒモだった。家でただ女の人の財布に縋るだけではない、生活をきちんとサポートする、プロのヒモだ。
料理、洗濯、掃除はもちろん、爪の手入れや髪の手入れ、全身マッサージ。お中元やお歳暮の手配。歯医者や美容院の予約。彼女に仕事に専念してもらうための家の中のことは、なんでもやった。
きっかけは同棲中のバリキャリの彼女からの一言だったとはいえ、俺は家でのサポートが心底向いていたと思う。ヒモとして暮らした一年半でキャリアが途切れてしまったこともあって、俺は海外赴任する怜に置いていかれてから、女性たちの生活を支えるヒモとして生きていくことにしたのだった。
俺と暮らした女性たちはみんな、最後には成功していた。
ブレイク前のアルバイトとの兼業生活だったアイドルの卵は、俺のダイエット食とウォーキングやスクワットなどの指導、髪の手入れなどでみるみる垢抜けていってテレビCMをきっかけにブレイクした。
ホストに入れ込んでボロボロになっていたキャバ嬢は、俺が毎日客の愚痴を聞き、帰宅したらいつも優しくハグをして、時には抱きしめたまま眠ったりもした。結果的にホスト通いから足を洗って、健康的な生活になったせいか性格も明るくなり、客の一人の会社経営者から惚れ込まれて、結婚を申し込まれて嫁いで行った。
起業して会社経営者になった人もいたし、趣味で書いていた小説を褒めちぎっていたら、それが高じて作家になった人もいた。拗れていた実家との関係を修復して、地元に帰っていった人もいた。
俺が生活を支えた人たちは、みんな笑顔で俺から『卒業』していった。成功した彼女たちに、俺は選ばれなかった。いつも置いていかれてしまった。
男のあげまんって、いったい何て言うんだろうな?
ともかく俺は、女性の生活サポートにはかなり慣れている。だから、これからの学園生活で、どこかの男爵家とか子爵家あたりの後継娘への婿入りを狙うのが、良いんじゃないかなって思う。
領地経営は基本的なところしか学んでいないけど、手伝うことなら多分できるし、できるように頑張るつもりだ。それ以上に、俺はこれまでのヒモテクニックを使って、女の子たちから好かれるように立ち回ろうと考えている。
それには、まずこの垢抜けない、地味な見た目をどうにかしなくては。
この世界の常識では、とにかくハッキリしたビビッドな色合いが人気というか、魅力的だという扱いだ。保健医のアンガス先生なんか、オレンジ色の髪に明るいペリドットグリーンの瞳でいかにも人気が出そうな色合いだな。キラキラの金髪に、新緑のような鮮やかな緑の瞳の王太子殿下もそう。
それに比べると、俺の淡い水色の髪色と瞳は、薄くて地味という評価になりそうだ。でも俺は、水色って清潔感あるし、爽やかで充分綺麗だと思うんだよな。作家になった彼女と観ていた、長命のエルフが主人公のアニメにも、水色の髪の美形勇者様が出ていたし。
ただ、この長い、目を隠すボサっとした前髪は駄目だ。すぐに切ってもらわなくては。
眉毛も手入れしないとな。あと、これからは肌や爪の手入れももっと気をつけよう。
制服も、ちょっとサイズが合っていなかった。ダボついて見えるのはNGだ。体に沿うようにスッキリ見せないと。
歩き方も、上半身をあまり動かさず、膝を先に出す感じが良いって、アイドルになった子が言っていて、一緒によく練習したよな。
体力もつけなくちゃ。女の子の代わりに荷物を持つ時に、フラフラしていたら格好がつかないもんな。
とりあえず、これから毎日スクワットと腹筋背筋、腕立て伏せをやるようにしよう。なよっちい体つきが、少しはスッキリするだろう。
幸い、背は高くもないが、それほど低くもない。平均くらいはある。王都に出てくる前に測った時には、確か百七十三センチだったはず。少し鍛えて体が引き締まれば、それなりにスマートに見えるはずだ。
鏡を見た限り、王太子殿下やアンガス先生みたいなとんでもない美形ではないけれど、そこそこ整った顔立ちに見える。まつ毛も密度あるし長いし、肌にもそばかすや目立ったニキビなどはない。
前世では取り立てて特徴のない普通の顔だったけど、清潔感に気をつけることでそれなりに見られるようになっていたのだから、現世のこの顔ならきちんと手を入れれば充分、女性から好ましく思われるような魅力が出せるはずだ。
大丈夫。この俺のプロのヒモテクは、きっと今のこの世界でも役に立つ。
そこでふと、最期の瞬間の記憶が脳裏に浮かぶ。三十歳を目前にしたあの日、歌い手として動画配信をやっていた歌手志望の彼女、水木さやかと買い出しのために道を歩いていた。そうしたら突然、車が歩道に向けて突っ込んで来るのが見えて——咄嗟に彼女を横に突き飛ばしたのは覚えている。しかし、その後の記憶がない。
おそらく俺はあそこで轢かれて命を落としたんだろうけど、彼女は無事だったのかな。結構強く突き飛ばしてしまったから、転んで怪我とかしてないと良いけど。
部屋に帰ったら、彼女の好きな鍋で煮出す本格的なロイヤルミルクティーを淹れてあげるって、約束していたのにな。




