1話 入学式の日、僕は前世の記憶を取り戻した
※全36話完結済み・予約投稿で毎日更新中です。
※CPはアウスティス×エヴァリオ(主人公)で固定です。
※全年齢向けBLです。
入学式の日、僕は王都の学園に余裕を持って到着した。入学式の開始まではまだ少し時間があって、式の会場である講堂へ入る前に、校内を少し見て回ることにする。
校舎沿いに歩いて行って渡り廊下に入り、僕が学園の中庭を覗くと、そこには数名の騎士に囲まれた、目を引く明るい金髪の男子生徒が立っていた。
彼が不意に視線を上げて、こちらの渡り廊下を見る。視線が合った。鮮やかな緑の目が美しい。
僕と同じ、今年の入学生である王太子殿下だ。気づいた僕は、ドキドキしながら立ち止まり、敬意を込めてゆっくりと頭を下げた。軽く頷かれる。
そこで僕は、内心焦りながら来ていた道を引き返した。しがない子爵家の三男が、王太子殿下の邪魔をするわけにはいかない。どこか他の、人の邪魔にならない場所で時間を潰そう。
そうして渡り廊下を引き返していた時のことだった。
「どいて!」
そんな声と共に、曲がり角で突然横腹あたりに強い衝撃を受けて、僕は背後の柱に頭をぶつけた。目の前がチカチカする。
「あー、もう! 王子様とのイベントに遅れちゃう!」
ピンク色の髪色をした小柄な少女は、ぶつかった僕に視線を向けることもなく、制服のスカートを翻しながら中庭に向けて駆けて行った。
中庭には王太子殿下がいるのに……。
そんなことを思いながら、目の前が真っ暗になって僕の意識は失われた。
「圭悟、これまで本当にありがとうね」
ああ、これは夢だな。
俺は、そう思った。もう何度も繰り返し見た、長山怜との別れの時の記憶だ。ここは空港で、怜はすでに預けてあるトランクとは別に、機内持ち込みのキャリーカーを持って、これからアメリカのサンフランシスコに向かうところだった。三年の海外赴任は、商社勤めの彼女にとって出世コースだ。
「あなたが私の生活を支えてくれたから、私はやりたいように仕事に専念できた。こうして新しい挑戦ができるのも、あなたが家のことを全部やってくれていたおかげ」
手入れのされた長い髪をバレッタでまとめて、これからの長いフライトに備えて化粧は控えめにした顔が、俺を見上げる。自信に満ちた表情。不安のかけらもないように見える。
「これでお別れだけど、私、あなたが幸せになるように祈ってる」
彼女とは大学生の頃からの付き合いで、就職を機に二年半同棲していた。そして後半の一年半は、俺は仕事を辞め彼女のヒモとして、彼女の日常生活を支えていた。
ブラック気味な会社で体を壊しかけていたところへ、バリキャリの彼女が「そんな仕事辞めたら? いっそそれで家のことやってよ。圭悟、料理とか掃除、私より得意じゃない。稼ぐのは私がやるからさ」と言ってきたのが理由だった。
「怜……お前、俺がいなくても、ちゃんとした生活できるのか?」
こんなことを言ったのは、もちろん未練もあるが、本当に心配だったからでもある。怜は、俺が用意しないと食事を抜いたり、酒とつまみだけで済ましたり、アイロンがけが苦手だったり、同じ服ばかりを洗って乾かしてはそのまま着ていくようなズボラなところがあった。これからアメリカで一人で暮らしていけるのか、俺の方が不安だった。
「掃除や食事の用意は通いの家政婦さんを雇う予定で、もう出向先で手配してもらってるの。服は下着以外ほとんどクリーニングに出すつもりだし、コンシェルジュ付きのマンションだから、なんとかなると思う」
「そう……ならいいけど」
「圭悟、私ね、頑張るよ。あなたの下支えがあって出世したし、このチャンスを無駄にするつもりはないの。絶対に向こうでも成功してみせる」
「うん、頑張って」
その未来に、俺はもういらないんだなって、言いたかったけれど我慢した。男らしくないもんな。これからのキャリアがかかった海外生活に、英語が苦手な俺を連れてはいけないというのも、理解はできる。
「じゃあ、さようなら」
最後まで笑顔で、怜がゲートの向こうに去っていく。俺は、それをただ見送った。
目を開けたら、白い天井が見えた。後頭部が少し痛む。俺は——いや、僕は? あれ?
気がついたら、病院のベッドのような場所に横になっていた。ベッドを囲むように白いカーテンが閉まっていて、天井しか見えない。ほのかに、薬草のような青臭い香りがした。
「——あ、目が覚めたかい?」
ベッドでゴソゴソしているとカーテンが開けられて、白衣を着た大人の男性が顔を出す。癖のある鮮やかなオレンジ色の髪に、ペリドットのような明るい緑の瞳。なんか、やたら派手な色だな?
「君、新入学生だよね? 渡り廊下で倒れているところを見つけた人が知らせてくれて、ここに運ばれてきたんだけど」
優しい笑顔で、白衣の男性がそう告げる。そう言えば、入学式の前に時間を潰していたら、渡り廊下でピンク髪の女の子にぶつかられて、柱に頭をぶつけたんだった。
「あの、ここは? それと、あなたは……」
「学園の保健室だよ。私はシェルバート・アンガス、保健医だ」
なるほど。この白衣の男性は保健医だったのか。
「治癒の魔法をかけたけど、なかなか目が覚めなくて心配したよ。まだどこかに不調はある?」
そう言われて、ゆっくりと起き上がる。目覚めた時に感じた気がした後頭部の痛みは、確かに今はもうなかった。
長い夢を見ていたような気がする。いや、気のせいではなく、実際に前世の夢を見ていた。それで、前世の記憶が蘇ったんだった。
「人とぶつかって頭をぶつけた記憶はあるのですが、今は痛みはありません。昨日、緊張してよく眠れなかったので……目が覚めなかったのは、そのせいかもしれません」
前世の記憶が蘇る前の俺、いや僕は、かなり繊細な性格だった。昨日の夜は今日の入学式で何か失敗しやしないかと心配で、何度も寝返りを打って、なかなか寝付けなかったという記憶が蘇ってきた。
「あの、今、何時ですか? 入学式は……」
俺が訊くと、保健医は困ったように眉を下げる。
「もう、終わった頃だね」
「そう……ですか」
終わってしまったものは仕方ない。それなら今日はもう帰るか。
前世の記憶が蘇る前だったら、入学式に出そびれたことに狼狽えてどうしたらいいのかとオロオロしていたところだが、今の俺はそうはならない。済んだことを気にするより、これからどうするかを考えたほうが良いと考えるからだ。
「ところで、意識がない状態で運ばれてきたから、君の名前がわからないままなんだけど……。入学式を欠席したのは今年は一人だけだから、それが君で合っているのかな? エヴァリオ・レイジントン君?」
「あ、はい! エヴァリオ・レイジントンで合っています。あの、治癒魔法もありがとうございました。希少だって聞いています」
「ああ、それは……それがあるから選ばれた保健医だからね、気にしなくていい」
アンガス先生は、気障な仕草で肩をすくめてみせる。戯けたような様子だが、何となく、目の奥が観察するようで笑っていないように見えた。頭を打ったと話したから、経過観察されているのかな。
「クラス分けや座席の位置を書いた紙と、必要な教材を、職員室で受け取ってから帰るように伝えて欲しいと言付かっている。一人で帰れそう? 家の人か誰か呼ぼうか?」
「大丈夫だと思います。馬車には御者が待っていますし……。あの、アンガス先生」
「何だい?」
「フレーバーティーがお好きなようですね。今度、お礼にうちの商会が扱っている、柑橘のフレーバーティーをお持ちしますね」
小さな棚の上に並んでいる、フレーバーティーの缶を見ながら俺が言うと、アンガス先生は目を細めて俺をじっと見つめた。
「よく、見ているね」
「そうですか? 普通だと思いますけど」
俺は、ベッドから降りて、軽く頭を振ってみせる。うん、特に痛みも目眩もない。これなら大丈夫だろう。
俺は、もう一度アンガス先生にお礼を言ってから、保健室を後にした。
初回3話まで投稿します。




