12話 下心の先にあるもの
「見てて」
俺が言うと、アスティは胡乱な眼差しを俺の手元に向けた。俺は手のひらをアスティに向けて、集中しながら呪文をゆっくり唱える。
治癒魔法の呪文は、どこか歌のような、詩のような、そんな不思議な雰囲気の言葉だ。
手のひらにほんわりとした光が宿る。これはきっと成功だ。成功……の、はずだ。
アスティの顔つきが変わらないので、俺はだんだん不安になった。これ、ちゃんと治癒魔法かかっている、よな?
「じんわり暖かくならない? お湯に浸かってるみたいにさ」
気持ちよくない? と訊くのがさすがにデリカシーがないのは理解しているので、俺はそう尋ねる。
「ああ。確かに、緩やかな熱を感じる」
真面目な顔をしたまま、アスティがそう答える。
なんだよ、やっぱり成功していたんじゃないか。リアクション薄いな。俺はアスティの表情を変えたくて、もっと威力を高めようと集中した。
「おい!」
急に目の前がチカチカしたと思ったら、俺は教室の床に座り込んでいた。頭がぐらぐらして上げられない。
「馬鹿が……魔力の使い過ぎだ。今日は昼間に魔法の授業もあったのに、無理して使うから」
椅子に腰掛けていたアスティが、前に回り込んで崩れ落ちそうな上半身を支えている。目の前は相変わらずチカチカと明滅していて、視界がはっきりしない。急に手足の先が冷たくなっていく感覚。
貧血とも少し違う、めまい。考えがまとまらない。
「仕方がない……少し気分が悪くなるかもしれないが、我慢しろ」
アスティのそんな言葉が、水に潜った時のように遠くから聞こえてきて、次の瞬間握られた右手から、ぐんと熱い奔流が体に流れ込んできた。熱い、と思ったのは一瞬で、すぐに治癒魔法とは違う心地の良い酩酊感が頭を侵す。
前世でも滅多になかったけれど、酒に酔った時の感覚に近い。ふわふわとして、クラクラとして、でもそれが妙に癖になるような、甘いものを口に含んだような、思わず口元が緩むような、軽い快楽。
「おい、エヴァリオ。大丈夫か? 気持ち悪くはないか?」
心配そうなアスティの声とは裏腹に、俺は楽しい気持ちになってきている。
思わず、ふふっと笑いが溢れた。駄目だ。なんか俺、酔っ払ってる。
これ、授業で前に聞いた魔力譲渡ってやつか?
魔力切れを起こした相手への、緊急時の魔力の譲渡。肌の接触でパイプを繋いで、そこから自分の魔力を直接流し込むってやつ。
普通は魔力が切れかけたら、魔力補充のためのポーションで回復させるものだけれど、あいにく放課後の教室にはそんな用意はない。だから、アスティは魔力譲渡に踏み切ったんだと、頭ではわかっている。
それなのに、感覚が本当にただ気持ちよく酔っ払っている感じで、アスティのシリアスさがどうにも俺には届かない。俺を支える腕を、『案外力あるんだな、こいつ』みたいに面白がってしまう。
あー、こいつ、近くで見るとやっぱりとんでもない美形だな。いつもの不機嫌な顔もいいけど、そのうち笑顔とか見てみたいな。
「……アスティ、お前そろそろ笑顔を見せてくれてもよくない?」
「は? こんな時に笑顔になんかなれるか! 馬鹿か!」
不機嫌だけど不機嫌ではない。これは、照れている感じか? いいね、いいね。もっと見せてみてよ。
俺はこれまでどんな頑なな女性の心も、優しく丁寧に癒してきた男だ。プロのヒモだ。俺が本気でケアすれば、アスティの心だってきっと開けるはずだ。
俺は楽しくなってきて、クスクス笑った。
「本っ当に、すみませんでしたー!」
俺は、何度目かわからない謝罪を繰り返した。教室の床の上で土下座です。
アスティはツンと澄ました顔で椅子に腰掛け、腕を組んでそっぽを向いている。
なんか魔力譲渡されたところまでは覚えているんだけど、そのあと妙に酩酊してしまってよく覚えていない。迷惑をかけたのは確かなので、目が覚めてから何度も謝っているのだが、アスティのご機嫌斜めはなかなか直らない。
いや、これは珍しく本気で怒っている。
「お前……」
「はい!」
ジト目で睨まれて、俺はお行儀よく正座のまま、大きな声で返事をした。
「あんな、魔力切れなんて起こして……。僕がいなかったから、どうするつもりだったんだ。基本的には寝ていれば回復するが、稀に命にも関わるんだぞ?」
あ、そこを怒っていたのか。酩酊している間に、何か失礼なことでもしたのかと思った。
酔うと懐っこくなる。デリカシーがなくなる時がある。たまにうざい。と、歴代の彼女たちに言われていたから、てっきりちゃんとセーブしないで距離なしの失礼なことでもしたか、言ったかしたのかと思っていたが。
「それは……まあ、ごめん。魔力切れるほど使ったことなくて、加減が分からなかったと言うか、まだ治癒魔法慣れてなかったから、魔力の消費が激しかったのかな?」
「僕に訊かれても、治癒魔法についてはあいにく知識を持ち合わせてはいない」
そこで機嫌が悪そうな顔をしたまま、律儀に答えてくれる真面目なところが好きだ。いかにもアスティって感じする。
「魔力譲渡って初めて受けたけど、なんか、こう、すごいな?」
俺が言うと、アスティの眉毛が片方、ピクリと上がった。これは興味がある時の反応だ。
「僕の魔力は濃度が高いと言われている。魔力の相性次第では、具合が悪くなることもあると聞く。見た限り、不快ではなかったようだが」
「いやいや、不快どころか、なんと言うか……酒飲んだみたいでヤバいってあれ。なんか途中から記憶ないし」
記憶に残っている感覚を口にすると、アスティの眉間に皺がよった。
「記憶が、ない?」
また不機嫌になってしまった。やっぱり酩酊している間に、何かやらかしていたのだろうか。
「お前……本当に、お前……」
アスティが信じられないと言うように頭を振って、呻くように、呪詛のように、繰り返す。
え、これ、また謝らないといけない感じ? まあ、許してもらえるまで謝るのは別に苦ではないけれど。悪いことをしたり、機嫌を損ねたら、すぐ謝る。これ、大事。
ただ、あんまり簡単に謝ると今度は謝罪の重さがなくなると言うか、軽く見えるらしいので、そこはそもそも機嫌を損ねないように気をつけないといけないんだけれど。
「ああ、なんだか真面目に心配したのが馬鹿みたいだ」
呆れ果てた様子でそう言われて、さすがに反省する。そうか、いきなり目の前で倒れかかったんだから、そりゃあ心配かけたよな。
それなのに俺は治療行為で酔っ払ってしまって、何かデリカシーのないことをしたか言ったかしたんだろう。それなのに覚えてないと言われたら、それは呆れられても仕方がない。
「——そもそもお前は、なんで僕に向けて治癒魔法なんて使ったんだ?」
「え、普通にできるようになったのを、見て欲しかったからだけど」
それに、治癒魔法って受けた時に心地よく感じるものだったから、アスティにも体験して欲しかったというのもある。なんかリラックス効果ありそうだったし。
「それは、どういう意味があることなんだ?」
心底不思議そうに訊かれて、俺はちょっと考えてしまった。あんまり深く考えず、できるようになったからアスティに使ってみせたが、どういう意味があるかと言われると……。
「俺のことを知っておいて欲しかった、からかな?」
「知ってどうする?」
「別に、どうもしない。ただ、友達なんだから知っていて欲しいし、関心持ってもらいたいなってだけ」
人間関係の大元は、興味関心だ。興味がない相手とは人は長く付き合えないし、良くも悪くも関心があるから人は関わり合う。
「お前は……下心があって僕に近づいたんだったよな?」
「うん。一緒に便利な生活魔法を作って欲しくて友達になった」
「婿入り先を探すために」
「そうね」
そこは隠すつもりはないので、頷く。アスティは不可解なものを見るように、俺をじっと見つめている。
「それなのに、お前は僕にお前のことを知って欲しいと言う。……お前も、僕のことを知りたいと思うのか?」
「もちろん。だって友達だろ?」
「魔法の開発以外で関わろうとする理由がわからない。利用するために近づいてきたのなら、それだけでいいはずだ。なのに、お前は僕にあれこれ仕掛けてくる」
「髪の毛をいじったり、治癒魔法を使ったり?」
「——そうだ」
なんで急にこんな初歩的な話になったんだろう。本当なら、こんな話は付き合い始めの最初の一週間とかで訊かれるものではないのか?
アスティを観察する。パッと見暗く見えるはずの紫紺の瞳が、今は紫水晶のように赤みを帯びている。その瞳が、不安げに揺れていた。
そうか。本当はずっと訊きたかったことなんだ、きっと。
ただ、今まではどう扱っていいのか、どうしたらいいのかわからなくて、ただ流されるように俺の言いなりになっていただけで。でも、本当はずっと気になっていたことなんだろう。
「下心があるのも、利用したいところがあるのも本当だけど、それはそれとしてお前と仲良くなりたいよ、俺は」
俺が言うと、アスティの瞳がますます大きく見開かれた。
「世話だって焼きたいし、一緒に食事もしたいし、どうでも良い会話だってしたいし、髪の手入れもしたい。意味もなく治癒魔法だってかけたい」
意味がわからないという表情で、アスティがゆるく首を振る。
「お前にとって、それが友達というものなのか?」
「そうだね。嫌ならやめるけど」
「……嫌ではない」
アスティは俯いて何度か呼吸をしてから、顔を上げ、俺のほうに視線を向けた。
「嫌では、ない」
そして、もう一度、自分に言い聞かせるように繰り返した。




