第三話「アリバイ」
朝。
ジョンは一人で街へ出た。
ジョンは事件現場へ向かうことも、警察へ協力を求めることもしなかった。
代わりに、街の中を歩き始めた。
探偵という肩書きを使えば、人々は意外なほど素直に質問へ答えてくれる。
「昨夜、この辺りにいましたか?」
「何時頃です?」
「誰か変わった人物を見ませんでしたか?」
ジョンは一人ずつ話を聞いていった。
商店の店主。
バーの店員。
夜まで働いていた会社員。
タクシーの運転手。
深夜まで開いている店の客。
「昨日の夜、十時頃は何をしていましたか?」
ジョンは店主に尋ねた。
「十時? 店を閉める準備をしていたよ」
「誰か来ましたか?」
「何人かね。会社員の男もいたし、若い男もいた」
ジョンは手帳に書き込む。
どれも、この街では珍しくない。
「その男は、どちらへ?」
「駅のほうだったかな」
「ありがとうございます」
ジョンは店を出た。
次に、バーへ入った。
「昨夜の十時頃、客はどれくらいいましたか?」
「結構いましたよ」
「その中に黒いスーツの男は?」
「いましたね」
「眼鏡をかけていましたか?」
「確か……そうだったと思います」
また一人。
ジョンは名前を聞いた。
そして、その男が店を出た時間も確認した。
話を聞くたびに、ジョンの手帳には人の名前と時間が増えていく。
誰も決定的に怪しくない。
しかし、誰も完全に無関係とも言い切れない。
ジョンはさらに聞き込みを続けた。
「昨夜、友人と一緒にいた?」
「ええ。十時半までは」
「十時半からは?」
「一人です」
「どこへ?」
「家に帰りました」
「証明できますか?」
「……家族なら」
ジョンは頷いた。
「分かりました」
また一人。
また一つ。
証言が積み重なっていく。
昼頃になると、ジョンの手帳には何人もの名前が並んでいた。
その中に、一つの名前があった。
**ショーン・ヘッド。**
ジョンはその名前を見つめた。
昨夜、ショーン・ヘッドはある人物と一緒にいた。
その人物は、ショーン・ヘッドと夜の一定時間まで一緒だったと証言している。
それだけなら、十分なアリバイに見える。
だが――。
「その後、ショーン・ヘッドは?」
ジョンが尋ねると、相手は少し考えた。
「別れました」
「何時です?」
「たしか……十時少し前だったと思います」
「十時少し前?」
「はい」
ジョンは時計を見る。
そして手帳に時間を書き込んだ。
十時前。
その後、ショーン・ヘッドがどこにいたのか。
証言はなかった。
空白だった。
ジョンは静かにペンを置いた。
だが、ショーン・ヘッドだけが怪しいわけではない。
他にも、同じような空白を持つ人物はいた。
十時から十分間だけ一人になった男。
十一時頃まで誰にも会っていなかった男。
家にいたと言いながら、それを証明できない男。
誰もが怪しい。
ジョンは手帳を閉じた。
「……これなら十分だ」
小さく呟く。
そんな人物が街にいたという証言を集める。
さらに、その中の何人かには、事件の時間帯に説明できない空白がある。
それだけで、捜査する側は迷う。
一人に絞れなくなる。
ジョンは歩きながら、手帳を開いた。
その中で最も気になった名前が、ショーン・ヘッドだった。
彼には、わずかな空白がある。
アリバイは完璧に見える。
しかし、完全ではない。
「ショーン・ヘッド……」
ジョンは名前を呟いた。
そして、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「そいつの電話番号を教えてくれ」
ジョンは相手の肩を掴んだ。
午後。
ジョンはショーン・ヘッドに連絡を取った。
聞き込みで得た情報について、もう少し詳しく話を聞きたい。
指定した場所は、人通りの少ない路地裏だった。
ジョンは壁にもたれながら、ショーン・ヘッドを待っていた。
やがて、足音が聞こえた。
「ジョン探偵か?」
現れたのはショーン・ヘッドだった。
しかし、一人ではない。
隣には、見知らぬ男が立っていた。
「二人で来たのか」
ジョンが言う。
「用心深いんでね」
ショーン・ヘッドは笑った。
その笑顔には、先ほどまで聞き込みをしていたときの穏やかさはなかった。
「聞きたいことがあるんだろ?」
「ああ」
ジョンは手帳を取り出した。
「昨夜のことについて――」
その瞬間だった。
ショーン・ヘッドが懐から銃を取り出した。
もう一人の男も、ジョンへ銃を向ける。
「動くな」
ジョンは両手を上げた。
「これは、どういうことだ?」
「とぼけるな」
ショーン・ヘッドの声が低くなる。
「お前に聞きたいことがある」
「私に?」
「ああ」
ショーン・ヘッドはジョンを睨みつけた。
「ジェノの仇だ」
ジョンの表情が止まった。
その名前を聞いた瞬間、何かを思い出したようだった。
「……ジェノ?」
「ああ」
ショーン・ヘッドは一歩近づく。
「俺たちはずっと探していた」
「何を?」
「ジェノを捕まえた奴をだ」
ジョンは黙っていた。
やがて、静かに尋ねる。
「ジェノは独房か?」
ショーン・ヘッドの顔が歪んだ。
恨みと怒りの表情だ。
「…..何?」
ジョンは再度尋ねる。
「ジェノは独房に入っているのか?」
ジョンは答えなかった。
ショーン・ヘッドはジョンを睨み続ける。
そしてジョンは、短く答えた。
「……死んだ」
空気が凍った。
「お前……」
ショーン・ヘッドの声が震えた。
「ジェノが死んだことを知っているのか?」
「……」
「どうして知ってる?」
ジョンは答えなかった。
その沈黙が、ショーン・ヘッドにとっては十分だった。
「お前がやったのか」
「違う」
ジョンは答えた。
だが、ショーン・ヘッドには届かなかった。
「ジェノを殺したのは、お前なんだな!」
ショーン・ヘッドと相方が銃を構える。
ジョンは後退した。
「待て」
「もう遅い!」
引き金に指がかかる。
その瞬間、ジョンが素早く動いた。
懐から銃を取り出す。
短い音が路地裏に響いた。
ショーン・ヘッドと相方が倒れる。
路地裏が静まり返った。
ジョンはその場に立ち尽くしていた。
しばらく、何もできなかった。
やがて銃を下ろす。
「……違う」
誰に言うでもなく呟いた。
「私は……」
ジョンは頭を抱えた。
呼吸が乱れる。
自分でも予想していなかった出来事だった。
ショーン・ヘッドは死んだジェノの仇を追っていた。
そして、その仇がジョンだと思った。
だがジョンにとって問題なのは、それだけではなかった。
自分の前に倒れている二人を見て、ジョンは初めて気づいた。
ジョンは頭を抱えたまま、動かなかった。
路地裏には誰もいない。
ただ、遠くから街の喧騒だけが聞こえていた。




