第二話「別れ」
夜。
事務所の扉が開いた。
「ただいま……」
ジョンが帰ってきた。
弟子は机で資料を整理していたが、ジョンの姿を見た瞬間、椅子から立ち上がった。
「先生!」
ジョンの顔には血の跡が残り、スーツも赤く汚れている。
「どうしたんですか、その血!」
「鼻血だ」
「鼻血?」
「ああ。帰る途中で転んでな」
ジョンは何事もなかったかのように上着を脱いだ。
「これ、洗濯に出しておいてくれ」
「はい……」
弟子は汚れたスーツを受け取った。
しかし、心配そうな顔は消えなかった。
「先生、本当に大丈夫なんですか?」
「問題ない」
ジョンは椅子に座った。
しばらく何も話さなかった。
やがて、ジョンは弟子のほうを向いた。
「……話がある」
「はい」
「明日から、お前はここに来なくていい」
「え?」
弟子の顔から笑顔が消えた。
「どういう意味ですか?」
「そのままの意味だ。今日で弟子を辞めろ」
「急にどうして……?」
ジョンは机の上に置かれた自分の探偵道具を眺めた。
「お前はまだ若い」
「それなら、これからもっと勉強すれば――」
「違う」
ジョンは首を横に振った。
「探偵なんて、続けるものじゃない」
弟子は黙った。
「先生……?」
「私は今まで、探偵としていろんな人間を見てきた」
ジョンは淡々と話した。
「金のために嘘をつく人間。自分を守るために他人を裏切る人間。誰かを追い詰める人間。そして、そのすべてを調べ続ける自分自身も、決して立派な人間じゃない」
「でも、先生は困っている人を助けてきたじゃないですか」
「そう見えていただけだ」
ジョンは笑わなかった。
「お前には、もっと別の道がある」
「僕は探偵になりたいんです」
「……そうか」
「先生のような探偵になりたい」
その言葉を聞いて、ジョンは少しだけ目を伏せた。
「だからこそ、辞めろ」
「どうしてですか!」
弟子の声が大きくなる。
「僕はまだできます! 失敗することもあります。でも、もっと勉強します。だから……まだ弟子でいさせてください」
「駄目だ」
「先生!」
「私はお前を弟子にするべきじゃなかった」
弟子は言葉を失った。
「……そんな」
「お前が悪いわけじゃない」
ジョンは静かに続ける。
「私の問題だ」
弟子は目を伏せた。
「僕には、先生しかいません」
「なら、なおさらだ」
ジョンは立ち上がった。
「私を目標にするな」
「……」
「私のようになる必要はない」
弟子はしばらく黙っていた。
そして、震える声で言った。
「……本当に、もう弟子じゃないんですか?」
「ああ」
「戻ってきても?」
「来るな」
「先生に頼んでも?」
「駄目だ」
ジョンの返事には迷いがなかった。
弟子は何か言おうとした。
だが、言葉が出てこない。
やがて、自分の荷物をまとめ始めた。
扉の前まで歩き、最後に一度だけジョンを見る。
「……今まで、ありがとうございました」
「……ああ」
扉が閉まった。
ジョンは一人になった。
事務所は、先ほどまでよりずっと広く感じられた。
ジョンは椅子に座り、窓の外を眺める。
弟子を突き放したことに後悔がないわけではなかった。
それでも、これでいい。
ジョンは窓から離れて行く弟子を見て笑みを浮かべた。




